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The afterglow

◆沢山のメッセージに勇気づけられている私・・ちょっぴりお裾分けです◆

磨く

2013-05-21 10:25:45 | Weblog
人の為と書いて
いつわりと読むんだねえ



人の為にやってあげている
と思ううちはたぶん
自分が満足できていないから
それを外に向けているときなんじゃないかと思う。

それはそれでいいのかもしれないけど

それとは別に
まず自分を磨くことから始めると
もっと自然に人に思いやりを注げるのかもしれない。








たまたま 同じ職場の違う部署に
ミュージシャンが居た。

「お疲れ様です」という声を聴いた瞬間

(このひとは・・)と思って

「あなた、何か「声」のお仕事されてます?」
と聞いたところ

実はミュージシャンだと打ち明けてくれた。

音楽をやりながらこの仕事をしているが

この仕事をしているからこそ
音楽を思う存分できるという。
この「仕事場」には

どこを探しても暗さは見つからない。

だから明るい気持ちのまま音楽をやれる 
と、言い切った。

すごくわかる。

今の自分も全く同じ気持ちだ。

自分も多少音楽をやるけれど

ただ単純に幸せだ~と感じ
空気感が好きだと感じ
人が好きだと感じ

感動できることが嬉しくて
楽しいから続けていられる。

あとは特に望んでなくて・・

その場所から色んなパワーを頂いて
生活にプラスワンのエッセンスになっている。

そして、好きなミュージシャンを応援もする。
したいからする。
心が自動的に動く。

義理の応援はしない。
それこそが 偽りになってしまうから。




先ほどの同僚は、実はガラスを磨く人。

窓を磨くと心まで磨かれたように晴れ晴れする。
この人の心はいつも晴れ晴れしているんだな きっと。


自分を磨けば 誰かの輝きにも感動できて
尊重もできる。

恨みもつらみも出てきやしない。



日常生活や仕事でストレスを抱えている人が
音楽でストレスを発散するという事も沢山あると思う。

それも経験していることなのでわかる。

切り替えることで自分のバランスを保っているのだ。
だからこそ音楽に心を注げるのだ。

そしてそこで得たものを
仕事への活力に繋げられる。

気が付いてみると
誰かの為に一生懸命になっている自分が
そこにいるんだね。




人の為・・・


それは 何かをやって差し上げる事という意味もあるけれど

為を偽りにしない為には

そっと誰かの心に寄り添うことができる自分になるように
自分を磨く事からはじまるのかもしれないね。


ガラスを磨くと
部屋には光が差し込む。

自分を磨くと
心に光が差し込む。


丁寧に・・
ピカピカに・・・磨こう!!

わたしのこころのうらおもて

2012-11-05 15:12:55 | Weblog

自己掲示 

自己嫌悪 

わたしのこころのうらおもて



こころのうらおもては誰にもあると思います。
顔で笑って心で泣いていることもあります。
でも、人にはちゃんと伝わります。
だから 心でも笑えるようにできる
そんな強い心の筋トレをしているといいのかもしれません。

頭じゃ

2010-02-04 16:04:57 | Weblog
頭じゃ
わかっているんだが



良く目を見開いてみることは

とっても大事。

だけど

何も考えない

無になる時間は

人間にとって

もっと大切な事なのかも知れません。



多くの情報
多くの話題

それらを吸収できない



そんな時期もあるのでは・・・



いま大切にしなくてはならないこと

心の目で見つめたい。


そんな 今の わたしです。

許す

2010-01-13 19:51:48 | Weblog
許す



ことに関しては 実は 得意

たいていのことは、簡単にゆるしてしまう自分です。

「絶対に許さない」などと言われたら
泣きそうになります。

「なぜそんなことが許せないの!?」などと思います。

何かにキレることもほとんどありません。

ちょっと カチンときてもすぐに普通に戻ることができます。
怒ることもあまりなく、わりと

いつも爽やかな方なのですが・・・(笑)

しかし・・・

自分でも不思議なのですが
心のなかでふと

「許せない」と思ったら

もう ばっさりという 

怖い私です。

つまり いつも扉は開いているけれども
私の心に傷をつけた人に対しては

ギロチンシャッターがばっさりと降りてしまうんです。

「心に傷」とは
ののしられたとかけなされたとか
そういう単純な事ではありません。

内容は色々ありますが・・・


もう、こうなったらどうしようもありません。

私は全く「ガラスのハート」ではありません。

結構鈍感でもあります。

それでも、

もう だめなときは だめなんです。

そして それは 絶対に口にはしないのです。
その言葉を吐く自分の口が許せないのです。

だから相手はそのことを一生 知ることはないでしょう。

そんな中の1人から年賀状が今年も届きました。
あれだけ信頼していた人なのに
残念です。
そう。自分に対しても相手に対しても
とても残念でなりません。

いや~ほんとに
私って 怖い・・・・

根さえ

2009-11-28 18:37:02 | Weblog
根さえしっかりしていれば
枝葉はどんなにゆれたって
いいじゃないか
風にまかせておけばいい



反対に
根がしっかりしていない自分は
いつも風にふかれてゆらゆらしている。
折れてしまう前になんとか・・・

え・・今更遅いですか?

そう思いたくないですから
日々勉強なのでございます・・・・・

具体的に

2009-11-20 17:12:09 | Weblog
ともかく具体的に動いてごらん

具体的に動けば

具体的な答えが出るから





具体的に とは
世の中の渦中に入る、ということです。
その結果として
人々の理解や支援を受けるかの精もあるのですが
悩んでいるときは、なかなか踏み込めないものです。


それでも何か動いてみることで
周りも自分も少しは変化してくるはず。
変化は進化、成長であると信じたいと思います。

身から出たさび

2009-11-19 19:07:46 | Weblog
身から出たさびとおもえば
こころしずまる
身から出たさびとおもえど
腹が立つ
どっちも
わたし



何か気に入らないことがあったとき
自分が悪かったと反省の気持に繋がったときは
たいてい気持に余裕が生まれるのに
時にはやり場のない怒りが生まれてくることがあります。
気持がどちらに転がるのか
それを自分で制御しきれないのが人間です。


やり場のない怒りが生まれてしまった場合
普通の精神状態では生まれてこない感情が生まれてまうことがあります。
人は悪い方に悪い方に流されてゆく傾向があるからです。
思いも寄らない怒りが引き金となって
体中が怒りに満ちあふれてしまうのです。

その気持ちをどこに捨てたらよいのか・・
でも、果たして捨ててしまっても良いのか・・

これでいいのか?
それでいいのだ。
それじゃダメだ

じゃあ・・・どうする・・・・・・・・・・!?

観音様のよう寛大な心になるか
はたまた相手に正面からぶつかっていくか

大人としていかに波風をたてないようにするか・・

ただ これは一対一の場合にのみ使えること。

自分が我慢することで周りを傷つけないのならば
全ては「我慢」することでしか
解決する道がないのかもしれない。







よき出逢いを

2009-11-19 18:52:11 | Weblog
人の世の 幸 不幸は
人と人とが
逢うことから
はじまる
よき
出逢いを



人間は人に囲まれていなければ生きていけない存在です。
良き出逢いがあれば、自分を大きく飛躍させることが出来ますが
そのためには他の人との多くの出逢いが不可欠となります。


多くの出逢いはすばらしいものです。
しかし、その出逢いは
プラスになるものばかりとは限りません。
不幸の始まりではないかと感じることもあります。

あとになって結局はプラスだったと思えることでも
苦しめられたり傷ついたりもします。
相手があることですから
失敗もするし反省もします。

そして、それをどう受け止めるかによって
今後の出逢いにも繋がっていくのでしょう。

出逢いにはムダなどない と
信じたいものです。






座布団のような

2009-06-19 19:09:15 | Weblog
おてんとうさまの
ひかりをいっぱい
吸ったあったかい
座ぶとんの
ような人



縁側に起きっぱなしになっていた座布団。
ふと座ってみると
その何とも言えないぬくもりが
体中に伝わってきて
一瞬ささやかな幸せを感じます。

あったかい人というのは
人を自分の心の中に座らせられる人のことかも知れません。

(相田一人)

じぶん

2009-06-09 09:38:48 | Weblog
じぶん

この 

やっかいなもの




「わかっているようで一番わからぬこの自分」という作品もあります。
自分のことは自分が一番良く知っているとも言えます。
ところが、よくよく考えてみると
何もわかっていないことに気づきます。

だから「このやっかいなもの」なのですね。

(相田一人)


そう、わからない。
自分はやっかいである。
わかろうとしてもなかなか分析できない。
はたまた分析したところで
それを解決することも難しい。
でもそれはきっと
自分自身で解決するものではなく
人とふれあっていくことで
自然に見えるものなのかもしれません。
文字だけで交流することが多くなっている昨今
人と人とのふれあいが少なくなっている昨今
もう少し、外に出て
多くの人たちと交流することが
自分を理解するヒントになるのかもしれない。