見失っていた筈の魔女は、その様子を近くで見ていた。門をくぐるとすぐに、こちらを向いていた彼女と視線が合う。追い付き、自分を見上げる魔女と視線が合うと、陸は素直な気持ちを口にした。
「何で・・・」
色々な疑問はあった。でもこの時の言葉は、まずは彼女に向けた疑問だった。あの門をくぐるには、貴族だって署名等の手続きが必要になる。それなのに急に帰ってきた自分と魔女に驚きもせず、彼は導くように通してくれた。魔女の自然な動作に、本来は自分にも向けられる筈の疑問という事すら気付かずに、陸は彼女に向けてそれを口にする。
それに対する正確な回答を上げるとすれば「魔女が事前に戻る事を連絡していたから」。たった、これだけだった。門番の対応に対する回答とするなら、たったこれだけ。
しかし魔女は、その質問の答えではない事を口にする。
「何で?」
その質問を繰り返して呟き、茫然としている陸を見て魔女はさも可笑しそうに笑った。
「お前は本当に鈍感だな」
そう言って、魔女は背を向けて歩き始める。
混乱している陸に、彼女に掛ける言葉は無い。従うように彼女の後を追って歩き始めた。
そのままの状態で、魔女はこんな事を言う。
「これが、お前がした事の結果だろう」
「・・・え?」
「お前は自分に対して厳しく、人に対して鈍過ぎる」
呆れたように肩を竦めてそう言って、それなのに魔女は笑った。
「だから分からないんだ。自分がした事の価値を。そして、お前が他人にどう思われているかもな」
「・・・」
そう言われても、陸にはピンとこない。今でも、自分は十分な事が出来たとは思えないから。
それが、表情から分かったのだろう。振り返り、陸の言葉を待っていたらしい魔女はそれを諦め、今度は心底呆れた様子で呟いた。「お前、本当に馬鹿だな」と。
「まぁ、いい。国王の元に案内しろ。こっちで良いのか?」
魔女は進行方向も良く分かっていないくせに、ここまで勝手に進んできて明後日の方を指す。
そう言われて陸も、ようやく今すべきことが理解出来たようだ。今の問題を深追いせずに、ただ面白くなさそうな表情だけ片手間に浮かべてため息をついた。
「そっちじゃない。こっち」
そう言って、陸は魔女の前を通り過ぎた。そして歩き出す。
それにしても、何処を見てもやっぱり人の影はない。シンと静まり返った空気。沈黙に耳が痛いという言葉の意味が分かった気がした。違和感は消えないが時間と小さな出来事が、それを少し薄めてくれたようだ。
陸は、その空間を進む。見慣れた城の廊下の見慣れない姿。改めて、この異常な、そして不思議な光景を受け止める。
見回して思った。こうして見ると、仕事場であることを捨てた城は、とても厳かだ、と。
もしかしたら沈黙に慣れたのかもしれない。違和感よりも、やがて感動を覚えた。通り過ぎるしかなかった装飾品や、磨き上げられた廊下は歴史があるだけ素晴らしい。
ゆっくりとそれを見回しながら、陸は思わず呟いた。疑問や違和感ではなく、最早ただの感想のような口調で。
「それにしても、何で誰もいないんだか・・・」
物音一つもしない。ここには誰も「いない」のだろうか? そう考えた方が常識的ではある。けど。
でも。だったら、みんなどこへ?
「空姫の結婚式だからだろ。・・・おー、なかなか見事な庭園だな。この間は気付かなかったけれど」
「あ。そう・・・」
陸は話半分で聞いていたが、そう返事をして納得したように頷いた。
そして、後からその意味を理解し始める。
そうか、そういう・・・。
・・・結婚?
「・・・は?」
結婚式?
陸は、遠くで聞こえたような魔女の言葉を反芻する。
空の?
疑う余地もない。そう聞こえた。確かに。
陸が驚いて振り返ると、魔女は窓から中庭を見ていた。陸の後ろを付いて行こうという気は全くないようだ。二人の間は、大分開いていた。
挙げ句の果てに。
「やっぱり春は良いな」
などという、暢気な言葉を呟いている。
「・・・」
その魔女の態度に陸は、さっき自分の聞いた言葉が嘘だと、どこかで思ってしまいそうになる。空耳なんじゃないか。聞き間違いなんじゃないか。自分の気持ちが、そっちに意識を持って行ってしまうのか。
でも、もう一人の自分がそんな事は無い、現実を見ろと言っている。ハッキリと聞いた。空の結婚式だと。逃げるなと、理性が叫んでる。
「何をやっている。早く案内せんか」
気が付いたら、魔女は目の前にいた。追いついたのに動かない陸に腹を立てているようだ。自分が付いて来なかった癖に、あまりに横暴な言い方。あまりに横柄な態度。
「・・・う・・・」
その言葉に、我に返った。瞬きをして気を持ち直すと、さっき聞こえた言葉は嘘でも空耳でも気のせいでもないと理解する。
でも、落ち込む暇も余裕もない。やっとの思いで重い空気を肺に入れると、呟いた。
「何で・・・」
「うん?」
「・・・何で・・・言わない訳?」
「何を?」
その、魔女の言葉に急に陸は切れた。
「空の結婚のことだよ!! 決まってんだろ!?」
いきなり陸は、顔を上げて叫んだ。魔女ののらりくらりとした返答に、いい加減我慢の限界に達してしまったらしい。
「あー、うるさい」
しかし魔女は動じない。耳を塞いで彼女はそっぽを向いた。そして困ったように肩を竦める。
「お前の怪我が治る頃、結婚することになったって言っただろ?」
「今日だとは聞いてないぞ!」
「お前が聞かずに今日って決めたんじゃないか」
「聞かずにって・・・あの、なぁ・・・」
陸はヘナヘナと脱力すると、そう呟いて壁に手を着いた。ショックや驚きや怒りで、もう目が回ってしまったのだ。貧血みたいな症状に、怒りも急速に引いていく。
そんな状態のまま、もう一度頭を抱え直し、陸は力のない声で尚も反抗した。
「だったら昨日、言ってくれれば良いじゃんかよ・・・」
その陸を見下ろして、魔女はアッケラカンと言った。
「何か、まずかったか?」
「・・・」
魔女のその言葉を挑発と受け取ったのか、陸は顔を上げた。そして自分が彼女に言った言葉の数々を思い出した。確かに、自分の言葉は彼女の行動に文句を言えるものではない。
分かっている癖に。とは思う。けれど、それを魔女に求めるのはお門違いの話だ。
全ては、自分の言葉の責任。
そして、それは嘘ではない。
その方程式を解いて。
同時に諦めを受け入れて、首を振ると陸は再び歩き出す。
「・・・もう、いい・・・」
ただ、驚いてしまっただけだ。それだけ。
そう自分に言い聞かせて、陸は素早く冷静になる。そして平常心で、僅かな胸の痛みと共に考えた。
・・・もしも。
もしも、会う事が出来たら。
気持ちの整理はついていた筈だった。だから心を静めるのは簡単だった。当たり障りのない言葉を思い浮かべることも簡単。魔女という「他人」の前では。
おめでとうって・・・言いたいけれど。
それでも、心は乱れた。
うまく、言えるかな・・・。
それなのに、乱れた。彼女以外の誰かから、知らされなくて良かったと心から思う。
会えるかも分からない。多分、会うことは叶わないだろう。
でも、会えたら。彼女を目の前にして、自分は一体どんな感情を抱くのだろう。そう思うと、陸の胸は動悸のように高鳴った。
「・・・っていうかさ・・・」
幾つかの廊下を曲がって、陸は思い付いたように言った。本当に、どこに行っても誰もいない。それを確認すると、結論までに時間は掛からなかった。
「国王は、もうここにはいらっしゃらないんじゃないの?」
「何で?」
魔女が不思議そうに聞き返す。その言い方が余りにも素直だったので、陸はガックリと項垂れてしまった。
「こんなに人がいない所にいらっしゃると思ってんの?」
大体、愛娘の結婚式だろーが。それをほっぽって、どうして無人の城にいるんだよ。
陸は仕返しのつもりなのか、振り返って呆れたように言う。それを屁とも思っていないのか、魔女は大きく頷いた。
「ああ、そうか。そうだな」
そして、左手の手の平に右手のグーをポンと打ち付ける。納得のポーズらしい。
「・・・わざとらしい・・・」
陸は憎々しげに呟くと、足を止めた。そして困ったように呟く。
「どちらに行かれたのかな・・・」
「教会だろ。結婚式なんだから」
「どこの?」
「さぁねぇ・・・」
魔女は早々に考えるのを諦めて、また窓から外の景色を見ていた。角度が変わって、今度は遠方の山が連なって見える。
「おー、良い景色だなー」
「・・・」
大事な時には何の役にも立たない。
口には出さなかったが、陸はからかわれた仕返しにそう思った。
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「何で・・・」
色々な疑問はあった。でもこの時の言葉は、まずは彼女に向けた疑問だった。あの門をくぐるには、貴族だって署名等の手続きが必要になる。それなのに急に帰ってきた自分と魔女に驚きもせず、彼は導くように通してくれた。魔女の自然な動作に、本来は自分にも向けられる筈の疑問という事すら気付かずに、陸は彼女に向けてそれを口にする。
それに対する正確な回答を上げるとすれば「魔女が事前に戻る事を連絡していたから」。たった、これだけだった。門番の対応に対する回答とするなら、たったこれだけ。
しかし魔女は、その質問の答えではない事を口にする。
「何で?」
その質問を繰り返して呟き、茫然としている陸を見て魔女はさも可笑しそうに笑った。
「お前は本当に鈍感だな」
そう言って、魔女は背を向けて歩き始める。
混乱している陸に、彼女に掛ける言葉は無い。従うように彼女の後を追って歩き始めた。
そのままの状態で、魔女はこんな事を言う。
「これが、お前がした事の結果だろう」
「・・・え?」
「お前は自分に対して厳しく、人に対して鈍過ぎる」
呆れたように肩を竦めてそう言って、それなのに魔女は笑った。
「だから分からないんだ。自分がした事の価値を。そして、お前が他人にどう思われているかもな」
「・・・」
そう言われても、陸にはピンとこない。今でも、自分は十分な事が出来たとは思えないから。
それが、表情から分かったのだろう。振り返り、陸の言葉を待っていたらしい魔女はそれを諦め、今度は心底呆れた様子で呟いた。「お前、本当に馬鹿だな」と。
「まぁ、いい。国王の元に案内しろ。こっちで良いのか?」
魔女は進行方向も良く分かっていないくせに、ここまで勝手に進んできて明後日の方を指す。
そう言われて陸も、ようやく今すべきことが理解出来たようだ。今の問題を深追いせずに、ただ面白くなさそうな表情だけ片手間に浮かべてため息をついた。
「そっちじゃない。こっち」
そう言って、陸は魔女の前を通り過ぎた。そして歩き出す。
それにしても、何処を見てもやっぱり人の影はない。シンと静まり返った空気。沈黙に耳が痛いという言葉の意味が分かった気がした。違和感は消えないが時間と小さな出来事が、それを少し薄めてくれたようだ。
陸は、その空間を進む。見慣れた城の廊下の見慣れない姿。改めて、この異常な、そして不思議な光景を受け止める。
見回して思った。こうして見ると、仕事場であることを捨てた城は、とても厳かだ、と。
もしかしたら沈黙に慣れたのかもしれない。違和感よりも、やがて感動を覚えた。通り過ぎるしかなかった装飾品や、磨き上げられた廊下は歴史があるだけ素晴らしい。
ゆっくりとそれを見回しながら、陸は思わず呟いた。疑問や違和感ではなく、最早ただの感想のような口調で。
「それにしても、何で誰もいないんだか・・・」
物音一つもしない。ここには誰も「いない」のだろうか? そう考えた方が常識的ではある。けど。
でも。だったら、みんなどこへ?
「空姫の結婚式だからだろ。・・・おー、なかなか見事な庭園だな。この間は気付かなかったけれど」
「あ。そう・・・」
陸は話半分で聞いていたが、そう返事をして納得したように頷いた。
そして、後からその意味を理解し始める。
そうか、そういう・・・。
・・・結婚?
「・・・は?」
結婚式?
陸は、遠くで聞こえたような魔女の言葉を反芻する。
空の?
疑う余地もない。そう聞こえた。確かに。
陸が驚いて振り返ると、魔女は窓から中庭を見ていた。陸の後ろを付いて行こうという気は全くないようだ。二人の間は、大分開いていた。
挙げ句の果てに。
「やっぱり春は良いな」
などという、暢気な言葉を呟いている。
「・・・」
その魔女の態度に陸は、さっき自分の聞いた言葉が嘘だと、どこかで思ってしまいそうになる。空耳なんじゃないか。聞き間違いなんじゃないか。自分の気持ちが、そっちに意識を持って行ってしまうのか。
でも、もう一人の自分がそんな事は無い、現実を見ろと言っている。ハッキリと聞いた。空の結婚式だと。逃げるなと、理性が叫んでる。
「何をやっている。早く案内せんか」
気が付いたら、魔女は目の前にいた。追いついたのに動かない陸に腹を立てているようだ。自分が付いて来なかった癖に、あまりに横暴な言い方。あまりに横柄な態度。
「・・・う・・・」
その言葉に、我に返った。瞬きをして気を持ち直すと、さっき聞こえた言葉は嘘でも空耳でも気のせいでもないと理解する。
でも、落ち込む暇も余裕もない。やっとの思いで重い空気を肺に入れると、呟いた。
「何で・・・」
「うん?」
「・・・何で・・・言わない訳?」
「何を?」
その、魔女の言葉に急に陸は切れた。
「空の結婚のことだよ!! 決まってんだろ!?」
いきなり陸は、顔を上げて叫んだ。魔女ののらりくらりとした返答に、いい加減我慢の限界に達してしまったらしい。
「あー、うるさい」
しかし魔女は動じない。耳を塞いで彼女はそっぽを向いた。そして困ったように肩を竦める。
「お前の怪我が治る頃、結婚することになったって言っただろ?」
「今日だとは聞いてないぞ!」
「お前が聞かずに今日って決めたんじゃないか」
「聞かずにって・・・あの、なぁ・・・」
陸はヘナヘナと脱力すると、そう呟いて壁に手を着いた。ショックや驚きや怒りで、もう目が回ってしまったのだ。貧血みたいな症状に、怒りも急速に引いていく。
そんな状態のまま、もう一度頭を抱え直し、陸は力のない声で尚も反抗した。
「だったら昨日、言ってくれれば良いじゃんかよ・・・」
その陸を見下ろして、魔女はアッケラカンと言った。
「何か、まずかったか?」
「・・・」
魔女のその言葉を挑発と受け取ったのか、陸は顔を上げた。そして自分が彼女に言った言葉の数々を思い出した。確かに、自分の言葉は彼女の行動に文句を言えるものではない。
分かっている癖に。とは思う。けれど、それを魔女に求めるのはお門違いの話だ。
全ては、自分の言葉の責任。
そして、それは嘘ではない。
その方程式を解いて。
同時に諦めを受け入れて、首を振ると陸は再び歩き出す。
「・・・もう、いい・・・」
ただ、驚いてしまっただけだ。それだけ。
そう自分に言い聞かせて、陸は素早く冷静になる。そして平常心で、僅かな胸の痛みと共に考えた。
・・・もしも。
もしも、会う事が出来たら。
気持ちの整理はついていた筈だった。だから心を静めるのは簡単だった。当たり障りのない言葉を思い浮かべることも簡単。魔女という「他人」の前では。
おめでとうって・・・言いたいけれど。
それでも、心は乱れた。
うまく、言えるかな・・・。
それなのに、乱れた。彼女以外の誰かから、知らされなくて良かったと心から思う。
会えるかも分からない。多分、会うことは叶わないだろう。
でも、会えたら。彼女を目の前にして、自分は一体どんな感情を抱くのだろう。そう思うと、陸の胸は動悸のように高鳴った。
「・・・っていうかさ・・・」
幾つかの廊下を曲がって、陸は思い付いたように言った。本当に、どこに行っても誰もいない。それを確認すると、結論までに時間は掛からなかった。
「国王は、もうここにはいらっしゃらないんじゃないの?」
「何で?」
魔女が不思議そうに聞き返す。その言い方が余りにも素直だったので、陸はガックリと項垂れてしまった。
「こんなに人がいない所にいらっしゃると思ってんの?」
大体、愛娘の結婚式だろーが。それをほっぽって、どうして無人の城にいるんだよ。
陸は仕返しのつもりなのか、振り返って呆れたように言う。それを屁とも思っていないのか、魔女は大きく頷いた。
「ああ、そうか。そうだな」
そして、左手の手の平に右手のグーをポンと打ち付ける。納得のポーズらしい。
「・・・わざとらしい・・・」
陸は憎々しげに呟くと、足を止めた。そして困ったように呟く。
「どちらに行かれたのかな・・・」
「教会だろ。結婚式なんだから」
「どこの?」
「さぁねぇ・・・」
魔女は早々に考えるのを諦めて、また窓から外の景色を見ていた。角度が変わって、今度は遠方の山が連なって見える。
「おー、良い景色だなー」
「・・・」
大事な時には何の役にも立たない。
口には出さなかったが、陸はからかわれた仕返しにそう思った。
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