「全く、のこのこ死にに来るなんて馬鹿な男だ」
その言葉で、記憶が途切れた。あたしはショックに腰を抜かし掛ける。
「こんな小娘の為にボロボロになって」
しかし自分の横の黒い影に気付き、どうにかそれを耐えた。視線の先に、魔女がいる。
彼女は足で、彼の体を仰向けに転がした。
彼はもう、自分では動かない。仰向けになった彼の体は血で真っ赤だった。
「・・・陸・・・」
あたしは、その赤をじっと見ながら彼の名前を呼んだ。何度も呼んだ名前。何度も呼んでいたことを思い出して、あたしは。
「・・・陸?」
血だらけの彼。目を閉じてピクリとも動かない彼。ここに来るまでの貼り付いたような表情のない顔は魔女との約束だと気付いて、同時にあたしと深く関わるのを避けていたのだと今になって気付いて、それがあたしの為だったと気付いてあたしは。
「い・・・」
ざわっ、と。
音が聞こえた。
黒い何かが自分を包みこんだ音の様な。
それが良くないものだと何故かあたしは知っていて、本能的な拒否反応を体が勝手に示して。
血が逆流するような感覚と。
記憶が思考回路を滅茶苦茶にして。
一瞬、急に何もかもが分からなくなった。
真っ赤と、真っ黒が。
視界を塞ぐ。
「いやー!!」
不意に声帯を破るような掠れた声が、自分の中から飛び出してくる。その自分の悲鳴に理性が戻ると、今度は絶望のどん底に突き落とされた。受け入れられない程の強烈な感情があって。
だからあたしは、動けたのかもしれない。
それから逃げるように、体は勝手に動き出した。彼へ。
あたしは弾かれたように血だらけの体に駆け寄って、胸に手を置いて叫んだ。
「陸! 陸!!」
僅かに揺らす自分の力に、陸は全く反応しない。横たわった体は、物の様に動かなかった。
「や・・・やだ・・・やだ! 目を覚まして! 陸! 陸・・・お願いー!!」
あたしは余りのショックに、悲しいという感情もうまく感じられなかった。それなのに、涙だけがその感情を伴って溢れてくる。それは幾筋も頬を伝い、視界を一瞬歪ませ、零れて正常に戻る。繰り返し繰り返し、あたしの膝元にそれは零れていった。
歪む視界を振り払うように首を振りながら、あたしは涙というものを初めて疎ましく思った。
そして、それを拭おうとして片手だけ陸の体から手を離し、自分の手を見て。
「・・・!」
愕然とする。思わず息を飲んだ。そしてもう片方の手も見てみる。
「・・・」
両手とも、血で真っ赤に染まっていた。しかも、それは腕の方に垂れていく。
あたしの腕に、幾筋も血の線が入った。
生暖かくてどす黒い、たった今流れたばかりの陸の血。
「この男、病魔にも犯されているようだねぇ」
後ろから、魔女の声が聞こえた。あたしは思わず彼女を見上げる。彼女はあたしの真っ赤な手の平を見て、愉快そうに笑って、言った。
「でなきゃ何日か前の傷から、こんなに血が噴き出してくることはないさ」
あたしは、自分の手の平を見ながら思い出していた。自分もかかった、あの流行病を。熱く冷たいあの病魔を。
・・・どうして?
あたしは呆然としたまま、小さく心の中で問うた。だって、分からない訳ない。分からない訳・・・。
違う・・・。
何を言ってるんだろう。あたしは。そんなこと、分かり切っているのに。
分からない訳がない。何言ってるのよ。陸は、全て分かっていたに決まってる。それなのに、それなのに・・・分かっていた上で・・・。
でも、あたしはその理由を知っている。
陸は一週間という期日を守ろうとして、それで自分も異常を感じていただろうに無理をして・・・っ。
「何で・・・」
「うん?」
魔女が答えた。あたしは自分が何も出来ない無力さに、彼女を責めることも出来ない。血だらけの拳を強く握った。
「何でこんな事・・・っ」
血の感触、血の匂い。どうしてここまでの犠牲が生まれたのか、どうしてこんな事に・・・。
「お前の父親が約束を破ったからさ」
「・・・?」
あたしは魔女を再び見上げる。そして目を丸くした。
さっきまで黒髪だった魔女の髪の毛が、灰色に変化している。肌も、水分を失ったかのように皺だらけになっていた。
「私がこんなになったのは、お前の父親のせいなんだよ。お前の大嫌いな、契約違反さ」
「え・・・?」
あたしの頭は、急にその言葉の理解を始めた。そしてそれに必要な情報や記憶が、さっきまでとは嘘のように蘇ってくる。
・・・まさか。
そしてその「答え」を手に入れて、あたしは息を飲んだ。
魔女と国王。それを思い出した時、あたしはやっと彼女が誰なのかを理解した。彼女は、国が保護契約を結んでいる魔女だ。それに遅蒔きながら、あたしはやっと気付いた。
魔女は、あたしの表情で理解が追いついたのが分かったのか、吐き捨てるように言う。
「私は国を保護する代わりに、お前の国から力の実を頂いていたのさ。お前なら知ってるだろう? それを食べなければ、私だって死んじまうんだ」
魔女は、あたしの顔を覗き込んでいった。釣り上がった目の回りに深い皺。はらりとこぼれ落ちた何本かの髪は、もう真っ白だった。
「そんな・・・」
あたしは、その事実に言葉を失い掛けた。でも違う。それは間違っている。それを思い出して、あたしは大きく首を振った。
「そんな・・・そんな訳無い! 一ヶ月ほど前に、国を上げて式を行ったもの! その実を採って、今年の一年間無事に過ごせることを国中で祈って・・・兵だって間違いなく、ここに向けて出発したわ!! 」
あたしは記憶を探りながら叫んだ。勢い良く溢れだす記憶に言葉の方が遅れる。
でも、混乱はしていても、それは確かな記憶だった。だって、それは毎年の最重要儀式でもあったから。みんなが去年一年間の無事を感謝して、来年一年間の平穏を心から願う日だったから。
しかし現実は魔女に味方していた。
「何を今更・・・」
魔女は舌打ちをすると、更にあたしを睨む。
「この期に及んで、何を言っても無駄だよ。もう出て行きな。そこにいるだけで気分が悪い」
「さっさと去れ」そう言って、魔女は背を向けた。その魔女の黒い裾を、あたしは必死に掴む。ここで彼女を見失ったら、全てが終わりだ。そんなこと、黙って見ている訳にはいかない!
「待って!」
「離せ! 魔力が無いからって馬鹿にするな!? お前を殺すことくらい、訳無いんだからな!!」
「おねが・・・っ」
あたしは必死に叫んだ。
「お願いだから聞いて! 確かにその実は、腕の立つ兵に持たせてここに向かわせたわ! 貴女のことを裏切ったりなんて、絶対していない!!」
「・・・だから何だ?」
魔女は一瞬の間を置くと、ため息のような吐息と共に冷たい声で言った。刻まれていく皺が、どんどん深くなっていくのが見える。真っ直ぐだった白髪は乱れ始め、膨らみ、傷み始めていた。彼女は本当に魔力と生命力をどんどん失っている。
彼女の周りだけが、時間の進み方が全く違う。その流れの中で、彼女は呆れたようにこう言った。
「裏切られていようがいまいが、もうそんな事どうでも良いんだよ。魔力が続かなくてこれ以上の復讐出来ないことは口惜しいが、もう終わりは見えているんだ。私はもうすぐ死ぬ。そこに転がっている男のようにな」
「!」
陸・・・。
魔女の指さした先を、見ることが出来なかった。彼が生きているのか、死んでいるのか、確認したくなくて。
怖くて。
「お前の言っていることは、もはや無意味な事だ。事実? この光景が全てだ」
そうだ・・・。魔女は、もうすぐ死んでしまうだろう。そして多分、彼女しか陸のことは治せない。もし治せるとしたら。その一縷の望みをもうすぐ失ってしまう。
陸・・・。
あたしは肩を震わせて体に力を入れた。時間がない。
どうしたらいい? あたしは・・・あたしに何か出来ることは有るのだろうか? この終末を、あたしは曲げることが出来ないの?
必死に考えた。何も浮かんでこない。考えて考えて考えた。
「立ち上がれ」
魔女の冷たい声が響いた。あたしはその声に耐える。
そして考えていた。何も思いつかない。そのあたしを見て、魔女は足を踏みならした。
「立ち上がれ! そして去れ!」
「~~っ」
火傷をするほどの、熱い口調。それにも耐えた。
以前耐えたように。そして陸が耐えたように・・・。
・・・あ!
「この小娘が・・・っ」
手を振り上げ、魔女が叫んだ。
あたしはその瞬間、目を大きく見開く。そして息を飲んだ。
この現実を曲げられるかもしれない物。
思い出した。
思い出した!!
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その言葉で、記憶が途切れた。あたしはショックに腰を抜かし掛ける。
「こんな小娘の為にボロボロになって」
しかし自分の横の黒い影に気付き、どうにかそれを耐えた。視線の先に、魔女がいる。
彼女は足で、彼の体を仰向けに転がした。
彼はもう、自分では動かない。仰向けになった彼の体は血で真っ赤だった。
「・・・陸・・・」
あたしは、その赤をじっと見ながら彼の名前を呼んだ。何度も呼んだ名前。何度も呼んでいたことを思い出して、あたしは。
「・・・陸?」
血だらけの彼。目を閉じてピクリとも動かない彼。ここに来るまでの貼り付いたような表情のない顔は魔女との約束だと気付いて、同時にあたしと深く関わるのを避けていたのだと今になって気付いて、それがあたしの為だったと気付いてあたしは。
「い・・・」
ざわっ、と。
音が聞こえた。
黒い何かが自分を包みこんだ音の様な。
それが良くないものだと何故かあたしは知っていて、本能的な拒否反応を体が勝手に示して。
血が逆流するような感覚と。
記憶が思考回路を滅茶苦茶にして。
一瞬、急に何もかもが分からなくなった。
真っ赤と、真っ黒が。
視界を塞ぐ。
「いやー!!」
不意に声帯を破るような掠れた声が、自分の中から飛び出してくる。その自分の悲鳴に理性が戻ると、今度は絶望のどん底に突き落とされた。受け入れられない程の強烈な感情があって。
だからあたしは、動けたのかもしれない。
それから逃げるように、体は勝手に動き出した。彼へ。
あたしは弾かれたように血だらけの体に駆け寄って、胸に手を置いて叫んだ。
「陸! 陸!!」
僅かに揺らす自分の力に、陸は全く反応しない。横たわった体は、物の様に動かなかった。
「や・・・やだ・・・やだ! 目を覚まして! 陸! 陸・・・お願いー!!」
あたしは余りのショックに、悲しいという感情もうまく感じられなかった。それなのに、涙だけがその感情を伴って溢れてくる。それは幾筋も頬を伝い、視界を一瞬歪ませ、零れて正常に戻る。繰り返し繰り返し、あたしの膝元にそれは零れていった。
歪む視界を振り払うように首を振りながら、あたしは涙というものを初めて疎ましく思った。
そして、それを拭おうとして片手だけ陸の体から手を離し、自分の手を見て。
「・・・!」
愕然とする。思わず息を飲んだ。そしてもう片方の手も見てみる。
「・・・」
両手とも、血で真っ赤に染まっていた。しかも、それは腕の方に垂れていく。
あたしの腕に、幾筋も血の線が入った。
生暖かくてどす黒い、たった今流れたばかりの陸の血。
「この男、病魔にも犯されているようだねぇ」
後ろから、魔女の声が聞こえた。あたしは思わず彼女を見上げる。彼女はあたしの真っ赤な手の平を見て、愉快そうに笑って、言った。
「でなきゃ何日か前の傷から、こんなに血が噴き出してくることはないさ」
あたしは、自分の手の平を見ながら思い出していた。自分もかかった、あの流行病を。熱く冷たいあの病魔を。
・・・どうして?
あたしは呆然としたまま、小さく心の中で問うた。だって、分からない訳ない。分からない訳・・・。
違う・・・。
何を言ってるんだろう。あたしは。そんなこと、分かり切っているのに。
分からない訳がない。何言ってるのよ。陸は、全て分かっていたに決まってる。それなのに、それなのに・・・分かっていた上で・・・。
でも、あたしはその理由を知っている。
陸は一週間という期日を守ろうとして、それで自分も異常を感じていただろうに無理をして・・・っ。
「何で・・・」
「うん?」
魔女が答えた。あたしは自分が何も出来ない無力さに、彼女を責めることも出来ない。血だらけの拳を強く握った。
「何でこんな事・・・っ」
血の感触、血の匂い。どうしてここまでの犠牲が生まれたのか、どうしてこんな事に・・・。
「お前の父親が約束を破ったからさ」
「・・・?」
あたしは魔女を再び見上げる。そして目を丸くした。
さっきまで黒髪だった魔女の髪の毛が、灰色に変化している。肌も、水分を失ったかのように皺だらけになっていた。
「私がこんなになったのは、お前の父親のせいなんだよ。お前の大嫌いな、契約違反さ」
「え・・・?」
あたしの頭は、急にその言葉の理解を始めた。そしてそれに必要な情報や記憶が、さっきまでとは嘘のように蘇ってくる。
・・・まさか。
そしてその「答え」を手に入れて、あたしは息を飲んだ。
魔女と国王。それを思い出した時、あたしはやっと彼女が誰なのかを理解した。彼女は、国が保護契約を結んでいる魔女だ。それに遅蒔きながら、あたしはやっと気付いた。
魔女は、あたしの表情で理解が追いついたのが分かったのか、吐き捨てるように言う。
「私は国を保護する代わりに、お前の国から力の実を頂いていたのさ。お前なら知ってるだろう? それを食べなければ、私だって死んじまうんだ」
魔女は、あたしの顔を覗き込んでいった。釣り上がった目の回りに深い皺。はらりとこぼれ落ちた何本かの髪は、もう真っ白だった。
「そんな・・・」
あたしは、その事実に言葉を失い掛けた。でも違う。それは間違っている。それを思い出して、あたしは大きく首を振った。
「そんな・・・そんな訳無い! 一ヶ月ほど前に、国を上げて式を行ったもの! その実を採って、今年の一年間無事に過ごせることを国中で祈って・・・兵だって間違いなく、ここに向けて出発したわ!! 」
あたしは記憶を探りながら叫んだ。勢い良く溢れだす記憶に言葉の方が遅れる。
でも、混乱はしていても、それは確かな記憶だった。だって、それは毎年の最重要儀式でもあったから。みんなが去年一年間の無事を感謝して、来年一年間の平穏を心から願う日だったから。
しかし現実は魔女に味方していた。
「何を今更・・・」
魔女は舌打ちをすると、更にあたしを睨む。
「この期に及んで、何を言っても無駄だよ。もう出て行きな。そこにいるだけで気分が悪い」
「さっさと去れ」そう言って、魔女は背を向けた。その魔女の黒い裾を、あたしは必死に掴む。ここで彼女を見失ったら、全てが終わりだ。そんなこと、黙って見ている訳にはいかない!
「待って!」
「離せ! 魔力が無いからって馬鹿にするな!? お前を殺すことくらい、訳無いんだからな!!」
「おねが・・・っ」
あたしは必死に叫んだ。
「お願いだから聞いて! 確かにその実は、腕の立つ兵に持たせてここに向かわせたわ! 貴女のことを裏切ったりなんて、絶対していない!!」
「・・・だから何だ?」
魔女は一瞬の間を置くと、ため息のような吐息と共に冷たい声で言った。刻まれていく皺が、どんどん深くなっていくのが見える。真っ直ぐだった白髪は乱れ始め、膨らみ、傷み始めていた。彼女は本当に魔力と生命力をどんどん失っている。
彼女の周りだけが、時間の進み方が全く違う。その流れの中で、彼女は呆れたようにこう言った。
「裏切られていようがいまいが、もうそんな事どうでも良いんだよ。魔力が続かなくてこれ以上の復讐出来ないことは口惜しいが、もう終わりは見えているんだ。私はもうすぐ死ぬ。そこに転がっている男のようにな」
「!」
陸・・・。
魔女の指さした先を、見ることが出来なかった。彼が生きているのか、死んでいるのか、確認したくなくて。
怖くて。
「お前の言っていることは、もはや無意味な事だ。事実? この光景が全てだ」
そうだ・・・。魔女は、もうすぐ死んでしまうだろう。そして多分、彼女しか陸のことは治せない。もし治せるとしたら。その一縷の望みをもうすぐ失ってしまう。
陸・・・。
あたしは肩を震わせて体に力を入れた。時間がない。
どうしたらいい? あたしは・・・あたしに何か出来ることは有るのだろうか? この終末を、あたしは曲げることが出来ないの?
必死に考えた。何も浮かんでこない。考えて考えて考えた。
「立ち上がれ」
魔女の冷たい声が響いた。あたしはその声に耐える。
そして考えていた。何も思いつかない。そのあたしを見て、魔女は足を踏みならした。
「立ち上がれ! そして去れ!」
「~~っ」
火傷をするほどの、熱い口調。それにも耐えた。
以前耐えたように。そして陸が耐えたように・・・。
・・・あ!
「この小娘が・・・っ」
手を振り上げ、魔女が叫んだ。
あたしはその瞬間、目を大きく見開く。そして息を飲んだ。
この現実を曲げられるかもしれない物。
思い出した。
思い出した!!
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