君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第十八章 荒野に吹く風

2016年09月22日 | 第十八章 荒野に吹く風
「姫様。お綺麗ですよ・・・」

 メイドが空を見て言った。空は、純白のドレスを身に纏って鏡の前に立っている。

 天井近くまである填め込みのガラスからは眩しいほどの光が射し込み、空と、空の着ているそのドレスを、キラキラと輝かせていた。空は、確かに美しい、と思った。その反射する光が。

「ありがとう・・・」

 そして鏡越しに応える。彼女の言葉は、素直に嬉しかった。


 目を覚ましてから約二ヶ月後のこと。空の体調もほぼ元通りになり、取り巻く環境も、全てがあの一週間の旅路を忘れさせてしまいそうに平穏だった。人生の中における、たった一週間という時間。僅かに寄り道をしても、結局あるべき道に戻り進み始めているにすぎない現状。こうなるとあの「寄り道」の方が夢のような気さえしてくる。

 でも、過去は確かに刻まれている。自分の中に。時間の中に。
 そして歩き出してる。時間とともに全てが。

 躊躇いながら、それでも自分も。


「もう少し裾を下ろしましょうか。お式の時は高いヒールの靴になりますからね・・・」

 メイドは、そう言って空の前に膝を着く。空はされるがまま、ジッと自分の姿を見ていた。





 岩から砂が生まれ、それが風によって舞っている。乾ききった大地に、動く物はそれ位しかなかった。そこに身を投じた日。もう遠い過去のようだ。
 その光景が、緑に溢れた庭の向こうに広がっている。どこまでも限りなく続く、果てに見える地平線。不思議な風景だった。どれだけ見ても見慣れない光景。

「・・・」

 それを見ていた、陸の髪が風に揺れた。乾いた筈のその風は、陸に届くまでに潤った空気に変わる。砂も、ここまでは舞うことはなかった。

 建物の正面に当たる屋上付近に、何に使われるのか、屋根のない平らな空間があった。まるで部屋の入り口のような何の変哲もないドアを開けると、広場と言っても過言ではない広い空間が外に向かって広がっている。そこには手すりも何もない。何も知らない者がドアを開けたら、その絶景ともいえる光景と意外性に、まずは呆気にとられることだろう。陸は最近、ずっとそこにいた。

 ぼんやりと外に向けられた視線の先には、何も映っていないのかもしれない。それ程までに陸の表情は動かず、そして景色も動かなかった。

 静かに時は過ぎていく。

 再び空気が動いた。陸は僅かに目を細める。

 その視線を、僅かに横へずらした。どこを見ても、同じような違う筈の風景。
 遠く見下ろせる風景の中に、「道」は無い。自分が進んだ筈の足跡すら、そこには何も見えなかった。

 ぼやけている。
 ふと、自分みたいだと思った。

 ここで過ごし始めてから、どんなに目を凝らしていくら何を見ても、全てがぼやけている気がした。
 嘘みたいな過去も。これからの道も。全ては霧掛かったようにしか見えなくなっている。

 陸の中では、全てが停止してしまっていた。
 歩き始めることが出来ない。戻ることも出来ない。

 それも、仕方がない、とは思う。これも日常に戻るための大切な課程。
 焦りもしない。怖くもない。
 ただ、ぼやけている。思うことは、それだけだった。 

 いつまでこんな日が続くんだろう。上の空でも、そう思う。

 しかし、思考は長く続かなかった。
 答えはない。今は、どこにもない。過ぎていく時しかその答えは持って来れないのは、ずっと前から分かっている。だから。

 だからやがて陸の中から、再び疑問は影を潜めた。
 時を見守るように、陸の視線は遠くに向けられる。それは全てを受け入れている、陸なりの結論でもあった。

「陸」

 いきなり背後のドアが開いて、魔女がズカズカと近寄ってきた。

 振り返ると、風が反応したかのように強く吹いて、二人の髪を強く揺らした。

 が、魔女は目を細めもせずにそれを受け止める。
 その彼女を見る陸だけが、僅かに目を細めた。

「治療を始めるぞ」

「・・・」

 もう、必要ない。と、呟くように陸は言った。仕方がないと分かりつつも、不安定なままの自分の立ち位置に、そうとでも言って抵抗しなくては落ち着かなくて。
 傷は、もうパッと見は分からないほど治っている。当然痛みもない。
 となれば、ここにいる自分に違和感を感じて、陸は無意識の内にそう言っていた。
 が、魔女は大人しく聞き入れる筈が無かった。

「お前が決める事じゃない」

 そうバッサリと切り捨てて、しかし強引に連れて行く気はまだ無いのか、彼女は陸と同じ方向に視線を向けた。

 その答えを持て余しながら、少しだけホッとした自分にも気付く。
 戻りたい気はある。戻らなければ、という気持ちもある。
 でも、戻ってからどうすれば良いか、戻った先がどうなっているか分からない。ここに長くいればいる程、それは強くなったり、弱くなったり。波のように陸を惑わせた。自分で選択する事は、迷いに通じる事でもある。だから、彼女の一存で決定されるなら、こんなに楽なこともない。

「よく、こんな場所にいて飽きないな」

 彼女には見慣れた風景だからか。
 それとも、考えるべき事が無いからか。
 どちらにしても彼女には、自分と違う風景が見えているらしい。と陸は思う。

「ほら、行くぞ」

「・・・」

 その言葉に、陸は小さなため息を付いて従った。
 これが終わらなければ帰れない事は分かっている。
 だからもう、従うしかないのに。

 心だけが、迷っている。

 知りたい事だけを知って、他には何も得られなかった情報が、今更主張を始めた。

 でも、最早聞く気にもなれない。

 やがてその二つの影は、屋内に通じる扉をくぐる。
 小さな足音という余韻を残しつつ、二人という存在はそこから消えた。


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