「空」
お父さんの声だ。どうしてだろう。ここの記憶はハッキリとしない。
「こっちにいらっしゃい」
お母さんの声。なんでだろう。視界がぼやけている。ユラユラと揺れる視界の向こうに、確かに二人は見えているけれど。
この時、あたしは何か答えたのだろうか? 記憶の中の二人があたしに向かって、楽しそうな声で言う。
「空。実はね、少し前からお父さんと話していたの。そろそろ、あなたのお相手を見つけなければねって」
・・・お相手?
「結婚は急がなくて良いんだよ。ただ、もう二十歳だろう。お父さん達が元気な内に、将来夫となる人を決めて欲しいんだ。その人に、伝えなければならないことが沢山あるからね」
結婚? 夫?
「ゆっくり、いい人を選ぶのよ。あなたが一生を共にする人なんだから」
「そうそう。今は自分のことだけ、一生懸命考えなさい。お前も親になったら、この時期にはやるべき事が沢山あるけどな」
一生? やるべき事?
一つ一つ聞き返すあたしの視界が、次第にグニャグニャと動きを増してくる。
大好きな両親との記憶が、こんな形で残っているなんて。
「空」
「空・・・」
二人が、歪んだ視界の向こう側であたしを呼んでいる。
あたしは・・・あたしは何か答えたかった。でも、それは叶わない。そして、この時自分がどうしたのか、結局分からない。
ここの記憶はとても曖昧で。
多分壊れていた。
「空」
「!」
その声に、あたしの視界は鮮明によみがえる。飛び込んでくる、闇を含んだ暗い緑達。
その声は・・・。
「・・・陸・・・」
震える声で、あたしは彼を呼んだ。陸は、小さく頷くように返事をして、あたしに近付いてくる。
ここは、どこ?
陸が目の前に来る前に視界を僅かにずらすと、そこは木々に囲まれた泉の前だった。視線の先には、初めてここで逢い引きした時よりも、ずっと大きくなっている紫色の木の実。
あたし、どうしてこんな所に。
今まで息をするように自然に見えていた記憶が、こんなにもちぐはぐなのは初めてだった。前後がはっきりしない。今はいつなんだろう。
必死に記憶を探る。過去にも、こんな風に記憶を呼び起こしたのだろうか?
複雑な作業の筈なのに、それは随分スムーズに脳裏に浮かんだ。
『姫様・・・』
『!?』
爺に呼ばれて、空は慌てて顔を上げた。思ったよりも近くにその姿を認めて、空は息を飲む。動悸が激しくなったのか、胸に手を当てて言った。
『び・・・びっくりした・・・いつから居たの?』
『・・・すいません』
本当は、爺は何度もドアを叩き、ドアを開けて呼びかけ、そして入ってからもずっと空を呼んでいた。
しかしこの時、爺はその事実を封印した。そんなことは、どうでも良かった。一言詫びれば済む。それよりも、空の心中を察して、爺はこの時とても複雑だった。
『・・・どうかしたの?』
目を伏せがちな爺に、空は言った。爺は手を組み、小さな声で伝言を口にする。
『陸殿から言伝を預かっております』
『・・・!』
その言葉に、空は目を見開いた。ずっと陸のことを考えていたから。会いたかったから。声を聞きたかったから・・・。
『な・・・何?』
でも、それは不安でもあった。変化しつつある現実に、気持ちがついていかない。陸に会って何がしたいのか、何が出来るのか、空には全く分からなかった。
『・・・お話が、あるそうで』
爺は言い辛そうに、そして密告するように小さな声で告げた。
『本日六時に、泉へ』
『・・・』
締め付けられる感覚が、記憶の中の感覚があたしに伝わってくる。息詰まるような、そんな苦しさがいつまでも残った。
そんな、記憶。
「・・・ごめん。呼び出したりして」
陸は、独り言のようにそう言った。
空はそれに対して、何も答えられない。強張ったような顔のまま、ただ陸をじっと見ていた。
何か答えたかったのに。
でも不安と迷いが、心を外に向けるのを妨げていた。陸に、さっき親から言われたことを伝えるべきか否か。
この時は、いつものようにゆっくりと腰を下ろして話したりしなかった。固まったように立ちつくす空の前に、やはり硬い表情の陸が向き合い、足を止める。
「・・・?」
陸が僅かに目を細めたのを見て、空は思った。自分は一体、どんな表情をしているのだろう? と
泣きそうになった。安心と不安が同時に同じくらい襲ってきて、苦しくなる。
・・・陸?
「良い、報告がある」
何も言えないまま自分を見上げる空の目の前で、陸は口の端だけ持ち上げて笑うと、静かに言葉を続けた。
「次期国王の、護衛隊隊長候補に指名された」
「次期・・・」
それだけ呟いて、空は目を丸くした。その意味に気付いて。
体から力が抜けるのを感じた。バランスをどこか僅かにでも失ってしまったら、この時膝を折っていたかもしれない。
もう・・・知ってるんだ・・・。
息を止めて体に力を入れて、空はそれを耐えた。
あたしが、結婚の準備を始める時期に入ったって・・・。
知られてしまっている。陸に。知られたくなかった唯一の人に。
彼の言葉で気付いた。自分は、彼にだけは知られたくなかったんだ、と。
「・・・」
空は項垂れるように俯き、そして何も応えなかった。
何も言えなくなってしまった。ショックで。そして、この割り切れない感情が理解出来なくて。
どうして・・・?
だって、分かっていた筈だった。あたし、分かってて陸に友達になって欲しいって・・・言った筈だった。あの日。ここで。それなのに。
「・・・」
陸は、そんな空をじっと見ている。何も言わずに、空からの言葉を待っていた。空はその無言の中、自分に問いかけ続ける。
終わりが来ることを分かっていた訳じゃない。それを納得していた訳じゃない。そんなこと、考えたくなかった。そんな事を考えながら陸と一緒にいたんじゃない。だけど。
どこかで、それは避けられない道だと。
・・・頭の、どこかで。
多分、理解だけは、していた。
でも、友達だったら、陸のその言葉に何よりも喜びを感じる筈だ。大切な人の、名誉ある昇進。どうして、こんなつまらない感情を覚えるのだろう。
あたしの、この「友情」は。
戻る 目次 次へ
お父さんの声だ。どうしてだろう。ここの記憶はハッキリとしない。
「こっちにいらっしゃい」
お母さんの声。なんでだろう。視界がぼやけている。ユラユラと揺れる視界の向こうに、確かに二人は見えているけれど。
この時、あたしは何か答えたのだろうか? 記憶の中の二人があたしに向かって、楽しそうな声で言う。
「空。実はね、少し前からお父さんと話していたの。そろそろ、あなたのお相手を見つけなければねって」
・・・お相手?
「結婚は急がなくて良いんだよ。ただ、もう二十歳だろう。お父さん達が元気な内に、将来夫となる人を決めて欲しいんだ。その人に、伝えなければならないことが沢山あるからね」
結婚? 夫?
「ゆっくり、いい人を選ぶのよ。あなたが一生を共にする人なんだから」
「そうそう。今は自分のことだけ、一生懸命考えなさい。お前も親になったら、この時期にはやるべき事が沢山あるけどな」
一生? やるべき事?
一つ一つ聞き返すあたしの視界が、次第にグニャグニャと動きを増してくる。
大好きな両親との記憶が、こんな形で残っているなんて。
「空」
「空・・・」
二人が、歪んだ視界の向こう側であたしを呼んでいる。
あたしは・・・あたしは何か答えたかった。でも、それは叶わない。そして、この時自分がどうしたのか、結局分からない。
ここの記憶はとても曖昧で。
多分壊れていた。
「空」
「!」
その声に、あたしの視界は鮮明によみがえる。飛び込んでくる、闇を含んだ暗い緑達。
その声は・・・。
「・・・陸・・・」
震える声で、あたしは彼を呼んだ。陸は、小さく頷くように返事をして、あたしに近付いてくる。
ここは、どこ?
陸が目の前に来る前に視界を僅かにずらすと、そこは木々に囲まれた泉の前だった。視線の先には、初めてここで逢い引きした時よりも、ずっと大きくなっている紫色の木の実。
あたし、どうしてこんな所に。
今まで息をするように自然に見えていた記憶が、こんなにもちぐはぐなのは初めてだった。前後がはっきりしない。今はいつなんだろう。
必死に記憶を探る。過去にも、こんな風に記憶を呼び起こしたのだろうか?
複雑な作業の筈なのに、それは随分スムーズに脳裏に浮かんだ。
『姫様・・・』
『!?』
爺に呼ばれて、空は慌てて顔を上げた。思ったよりも近くにその姿を認めて、空は息を飲む。動悸が激しくなったのか、胸に手を当てて言った。
『び・・・びっくりした・・・いつから居たの?』
『・・・すいません』
本当は、爺は何度もドアを叩き、ドアを開けて呼びかけ、そして入ってからもずっと空を呼んでいた。
しかしこの時、爺はその事実を封印した。そんなことは、どうでも良かった。一言詫びれば済む。それよりも、空の心中を察して、爺はこの時とても複雑だった。
『・・・どうかしたの?』
目を伏せがちな爺に、空は言った。爺は手を組み、小さな声で伝言を口にする。
『陸殿から言伝を預かっております』
『・・・!』
その言葉に、空は目を見開いた。ずっと陸のことを考えていたから。会いたかったから。声を聞きたかったから・・・。
『な・・・何?』
でも、それは不安でもあった。変化しつつある現実に、気持ちがついていかない。陸に会って何がしたいのか、何が出来るのか、空には全く分からなかった。
『・・・お話が、あるそうで』
爺は言い辛そうに、そして密告するように小さな声で告げた。
『本日六時に、泉へ』
『・・・』
締め付けられる感覚が、記憶の中の感覚があたしに伝わってくる。息詰まるような、そんな苦しさがいつまでも残った。
そんな、記憶。
「・・・ごめん。呼び出したりして」
陸は、独り言のようにそう言った。
空はそれに対して、何も答えられない。強張ったような顔のまま、ただ陸をじっと見ていた。
何か答えたかったのに。
でも不安と迷いが、心を外に向けるのを妨げていた。陸に、さっき親から言われたことを伝えるべきか否か。
この時は、いつものようにゆっくりと腰を下ろして話したりしなかった。固まったように立ちつくす空の前に、やはり硬い表情の陸が向き合い、足を止める。
「・・・?」
陸が僅かに目を細めたのを見て、空は思った。自分は一体、どんな表情をしているのだろう? と
泣きそうになった。安心と不安が同時に同じくらい襲ってきて、苦しくなる。
・・・陸?
「良い、報告がある」
何も言えないまま自分を見上げる空の目の前で、陸は口の端だけ持ち上げて笑うと、静かに言葉を続けた。
「次期国王の、護衛隊隊長候補に指名された」
「次期・・・」
それだけ呟いて、空は目を丸くした。その意味に気付いて。
体から力が抜けるのを感じた。バランスをどこか僅かにでも失ってしまったら、この時膝を折っていたかもしれない。
もう・・・知ってるんだ・・・。
息を止めて体に力を入れて、空はそれを耐えた。
あたしが、結婚の準備を始める時期に入ったって・・・。
知られてしまっている。陸に。知られたくなかった唯一の人に。
彼の言葉で気付いた。自分は、彼にだけは知られたくなかったんだ、と。
「・・・」
空は項垂れるように俯き、そして何も応えなかった。
何も言えなくなってしまった。ショックで。そして、この割り切れない感情が理解出来なくて。
どうして・・・?
だって、分かっていた筈だった。あたし、分かってて陸に友達になって欲しいって・・・言った筈だった。あの日。ここで。それなのに。
「・・・」
陸は、そんな空をじっと見ている。何も言わずに、空からの言葉を待っていた。空はその無言の中、自分に問いかけ続ける。
終わりが来ることを分かっていた訳じゃない。それを納得していた訳じゃない。そんなこと、考えたくなかった。そんな事を考えながら陸と一緒にいたんじゃない。だけど。
どこかで、それは避けられない道だと。
・・・頭の、どこかで。
多分、理解だけは、していた。
でも、友達だったら、陸のその言葉に何よりも喜びを感じる筈だ。大切な人の、名誉ある昇進。どうして、こんなつまらない感情を覚えるのだろう。
あたしの、この「友情」は。
戻る 目次 次へ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます