君と歩んできた道

いつかたどり着く未来に、全ての答えはきっと有る筈。

第十章 解り合えた日 2

2015年10月31日 | 第十章 解り合えた日
 風が吹いた。初夏の風はちょっと生ぬるくて、でも心地の良い。
 それが、二人の髪を揺らして去っていく。空は風が止むと、緊張しながら口を開いた。

「陸・・・」

「・・・?」

 陸が振り返った。

「爺にね。教えて貰ったの。色々」

「・・・」

 陸はコクンと小さく頷く。
 空は、それを穏やかに受け止めて言う。

「あたし、ちゃんと理解した。陸の言いたかったこと、ちゃんと分かったよ・・・」





 悲しかった。だって、どうしてもその壁は、乗り越えていけない物だと思って。
 それを無理に越えようとすれば、多大な被害が出てしまう。爺は大事なことだと言ってくれたけど、大事だけど、越えられないことがある。これが、そういうことなのだ。空はそう察した。

 これからは陸と、必要以上の付き合いをしてはいけない。
 陸の為に、そして自分の為に。

 でも寂しい・・・。

 楽しかったこと、沢山あった。それを思い出して、空は泣きそうになる。

「陸殿は、立派です」

 爺の、そんな言葉が聞こえてくる。空は涙を見られたくなくて、その言葉に同意するように頷いた。

「姫様の見る目は、確かでしたね」

 爺が慰めるように、そう言った。
 けれど、そんなことを誉められても辛くなるだけだ。彼との別れは避けられないのに。
 空は、耐えきれなくなって肩を震わせた。未熟な自分に腹が立つ。陸にも、爺にも、気を使わせて・・・。

「・・・姫様」

 爺が、そう言って膝を着いた。そして、空の手を優しく包む。

「だから彼に、教えてお上げなさい」

「・・・?」

 空は涙を拭いながら、その手を見た。

「彼の、その心配を消してお上げなさい」

 空は、涙ぐんだ目で爺を見た。爺は頷くと言う。

「彼はきっと、これからもずっと姫様を大切にしてくれるでしょう。そして、良き友人にもなってくれます。それは呼び方だけの友人ではなく、もっと深い意味で付き合える友人になれるということです」

「・・・」

 空は、その言葉に目を丸くする。そして、また泣きそうになった。

 友達になれるの? 陸と?

「今度こそ、大丈夫です」

 爺は空の目を見て言う。爺が立ち上がり、それを追って空が顔を上げると、爺はからかうような、軽い口調で言った。

「姫様が甘い物をお好きだということも、本や花がお好きだということも、陸殿はちゃんと覚えていたのですよ」

 空の頬がポッと赤くなる。爺はそれを見て、幼い子供を見るような目で笑った。





「だからね」

 空は陸を見て言った。

「陸にね、友達になって欲しいの」

「・・・え?」

 困惑気味に聞き返した陸を、空は可笑しそうに笑ってから言った。

「あたしね。これからはちゃんと陸に気を使えると思うし、自分の立場もわきまえて行動出来ると思う・・・だから」

 不思議そうに自分を見つめる陸に、空は一生懸命気持ちを伝えた。

「だから・・・こんな事言うのは矛盾しているの分かるんだけど、お願い。こんなこと、陸だけにしか言わないから・・・」

 そう伝えると、陸はやっと話を理解したらしい。僅か、困ったような照れたような、そんな複雑な表情に変わる。

「・・・駄目?」

 その言葉に、陸は困ったように目を逸らす。でも、それは以前までの表情とは確かに違っていた。迷ったように俯くと、唇を噛んで何も答えない。

 空は心細くて、陸の横顔から目を逸らした。

 どうしたんだろう・・・。

 いつも、叩けば響くような即答をしてくれた陸らしくない。迷っているのだろうか? 

 でも、こればかりはどうにもならない。後は、これ以上はお互いの気持ちの問題だ。身分の壁が取り払われても、友達になれるかどうかはお互いの気持ちによるから。

 空は不安を堪えるように、小さくうずくまって俯いた。

 駄目なのかな・・・。

 空がそんな事を考えていた時、陸がやっと空の方を見た。空は、それに気付かない。そのまま、陸は返事を口にする。

「・・・はい」

「・・・」

 その言葉の意味が分からなかったのか、空は陸から目を逸らしたまま、しばらくじっとしていた。
 が、やがて理解すると驚いたように陸を見上げた。陸は照れたような顔のまま、でも笑って頷く。

「喜んで」

 その言葉に、空の表情が驚きから微笑みに柔らかく変化した。そして安心したのか、泣きそうな顔になって膝を抱く。そして深呼吸をした。

「陸・・・返事するの、遅いよー・・・」

 緊張し過ぎたのか、力の抜けた声で空は愚痴るようにそう言う。
 でも嬉しかった。顔は必死に隠しながら笑顔だ。

「・・・すいません」

 陸も、照れ隠しのように笑って言った。

「・・・それからね」

 陸が笑ったことが嬉しくて、空も照れたように俯きながら言う。

「あの・・・飴と栞、ありがとう」

「え?」

 その言葉に、陸は目を丸くした。
 それを、空が知っているとは思わなかったのかも知れない。しかし空の笑顔で、それをやっと察すると。

「・・・うん」

 そう言って笑顔で頷いた。





 それから少しずつ敬語が抜けて。
 陸も、姿を見かけると声をかけてくれるようになって。

「やっぱり、空って呼んでもいい?」

 そう言われたのは、それからまだ一ヶ月足らずの、残暑厳しい頃のことだった。

 あの時から、二人はやっとお互いのことを知り始めた。陸が本当はよく笑うことや、本当はちょっと口が悪いことや、好きな食べ物のこととか、その日にあった楽しい事とか。
 他愛もない、どうでも良い事もよく話した。からかわれて、膨れて、結局笑い合って。そんなことも多くなった。
 多分、そんな出会ってお互いを知る当たり前の事を、二人はようやく始める事が出来た。

「え? う、うん」

 そしてその言葉に、嬉しさと戸惑いが溢れて、返事は僅かに乱れた。
 ちゃんと、距離が縮まっている事を理解して、嬉しかった。
 それなのに、改めて名前を呼ばれて、胸が高鳴った。

 自分がこんな風に笑うことがあるとか、陸と一緒にいるとドキドキする不思議な気持ちとか。

「空」

 そう言われて、それを思い出して、何だか眠れない夜があることとか。



 空は、ベッドの上でため息を付いた。陸の声が聞こえる。陸の顔が浮かんでくる。何だか胸が苦しい。目が冴えて眠れなかった。

「・・・」

 寝返りをうって目を閉じた。もう夜も更けている。普段だったらもう寝付いている時間だった。

 どうしちゃったのかな・・・あたし・・・。

 しかし眠れないことは、今の空にとって気にすることではないようだ。赤子のように蹲ったままの空の顔が、微笑むように変化した。

 明日も、会えると良いな・・・。

 その自分の声に照れたか、空は僅かに目を開くと照れたように顔を隠した。そしてもう一度小さなため息を付く。

 会いたいな・・・。

 声には出来なかったが、空の唇が小さく動いた。彼の名前を、呟く。
 明日になるのが待ち遠しかった。そして空は眠りに落ちる。明日を迎える為に。





 記憶はどんどん進んでいく。

 どうしてだろう。この頃の記憶は、他の記憶よりも通り過ぎていく速度が、とても速かった。
 それでも鮮明に戻ってくる、陸との記憶。胸の高鳴りと、それに痺れるような心が、あたしに戻ってきた。

 あたしは、それを抱き締める。もう二度と手放したくなくて。


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