今日 北海道では初雪が降りました
昨年より2週間遅い雪です
我が家の前はすでに3cm積もりました
暖かい秋が終わり寒さ厳しい
白一色の綺麗な冬が訪れます
今回は父が初めて挑む抗がん剤治療について書きたいと思います
2001年7月 ようやく父の癌による熱も下がり主治医から
抗がん剤投与の治療を始めたいと話してきました
父も私も初めてのことなので、どんな治療で、どんな効果があるのか
解からないので先生に色々と聞きました
抗がん剤とは数十種類あるらしく どの抗がん剤が
癌細胞に効果があるかは投与してみないとはっきりとはわからないのです
まして父の癌細胞は大きくて、抗がん剤で小さくすることは出来ず
今の腫瘍がこれ以上大きくならずに 癌の成長を遅らせる目的の投与でした
先生は考えた結果、初めての投与なので有効だろうと思う
2種類の抗がん剤を点滴に入れて 父の体に負担が掛からないように
時間をかけて体内に入れる事にしました
夏が来て 病室の外の太陽は陽が暑く 活気ある季節になりました
父は大きな点滴を腕に付け 窓から見える景色を見ては
嬉しそうに「夏になったんだな~」と、薄笑して言いました
父も入院してやっと4ヶ月目で治療が出来るようになり
これが終わると帰宅できると信じていたので
抗がん剤を投入しても気持ちはホッとしていました
熱が下がったお陰で父も少しずつ食欲が出てきたので
父は、あれが食べたい これが食べたいと言うようになってくれたのです
夏なのに「柿が食べたいな~」「桃が食べたいな~」「ぶどうが食べたいな~」
など、いつものくったくのない笑顔で言うので私も可笑しくなり 笑いながら
「みかん探すのは大変だったのよ~秋まで缶詰で我慢してよ~」と、言い
見舞いを終えて家に帰る途中、大きなスーパーやデパートに寄り
父が食べたがっていた果物を、探して歩いて帰りました
それは父が自分の体が秋までは持たないと感じたのか
それとも父が初めて娘に甘えて、言ったことなのか解かりませんが
とにかく私は父の笑顔を見たかったので四方八方と探し見つけては
嬉しくなり早く父に届けたいと思う気持ちだけが
病院に見舞いに行く 辛い私の心を明るくしてくれたのです
抗がん剤治療も無事おわり 相変わらす同室の患者さんと
楽しく笑う父の姿が戻り 私も安心しました
「8月には帰れそうね!」と、話していた矢先に父の容態が変わったのです
いわゆる抗がん剤のリスクの部分の副作用がでたのです
副作用のせいで父はベットにずっと寝てる状態でした
起きることも出来ないほどの頭の痛み 食欲不振 嘔吐 発熱 など
父が経験したことのない苦しさだったのです
意識がもうろうな父の顔には いつもの笑顔はありませんでした
点滴で栄養を体内に入れても 口から食べ物を取らないので
体はみるみるうちに痩せていきました
声を掛けても薬で眠ってるので 返事がない父の寝顔を見て
「・・お父さん・・今日はぶどうが手にはいったよ・・それと・・
メロンも持ってきたよ・・あと・・トコロテンも買ってきたよ・・」 とポツリ言い
父のベットの横で 泣きたい気持ちをこらえ 目を覚ますのを待っては
面会時間が終わると 父と何も話しが出来ないまま帰宅しました
「明日はカボチャを煮て持っていこう!」帰宅途中でカボチャを買い
歩きながら「今、父は懸命に病気と闘っているんだ!私が泣いてたら
父が悲しむ!」そう自分に言い聞かせながら 歩く道のりには
街のネオンが涙で滲み 綺麗に見えました
8月に入り暑い日が続いたある日 父の副作用も落ち着き
なんとか起き上がれるようになった父が 私に言ってきました
「・・今・・何月・・何日・・なんだ・・?」
「うん8月10日よ。何か食べる?頭痛くない?」
「・・そうか・・もうすぐお盆か・・かき氷が・・食べたいな・・」
「うん!わかったよ!買ってくるから待ってて!」
久し振りに父と会話した嬉しさで 私は思わず声がはずみ笑顔で答えました
父は私の顔を見て「・・すまない・・な・・」と、か細い声で言った顔は
頬は痩せこけていましたが いつもの笑顔が戻ってきました
抗がん剤の効果が癌細胞に効いたみたいで 体調がよければ
医師から「今月末に1度帰宅してもいいよ」と許可をもらうことが出来ました
私はそのことを父に伝えると、嬉しそうな顔をして
「退院できるんだ・・」と、言いました
私は医師から「もし微熱が出たらすぐ病院に戻るように」と、約束し
父には熱が出たら戻らなければならない事を隠していました
少しずつ食事もでき、熱もでなくなり、容態も安定してきたので
退院ではなく 帰宅する要望を医師に伝え 了解を得ました
帰宅する日 私が病室に向かうと いつもの父の笑い声が聞こえてきました
明るく笑う声を聞いた私も嬉しくなり、父を迎えに病室に入りました
父はベットに座り同室の患者さんに「元気でな~頑張れよ~」と、声をかけて
まるで自分はもう治って退院するかのように みんなに挨拶をしてました
寝てた期間が長いのと 体力が無い父に「お父さん 歩ける?」と、聞くと
驚いた顔をして「何だよ!?大丈夫だよ~!」と、苦笑いしていました
ベットの横で立とうとした父の体は バランスを崩しフラフラしてました
看護婦さんが「1階のタクシー乗り場まで車椅子を使っていいのよ」と、
優しく声をかけてくれましたが 父はケラケラと笑い
「大丈夫だ~!歩けるさ~」と、言う言葉とは反対に
ふらつきながらも歩こうとする父の姿を見て 私は思わず背中を見せて
「おんぶしてあげる 背中に乗って!」と、言ってしまいました
父は驚いた顔をし 笑いながら「何いってんだよ~」と、照れ笑い
でも歩く体力がないのを自分で知ったのか 悩みながら私の背中に乗りました
「恥ずかしいから~降りる」そう言ってきた父の体を 私は絶対に離さず
「いいじゃない!親子なんだから~」と、笑い でも今にも
泣きそうな気持ちをこらえて 父をおぶり廊下を歩き始めました
ー お父さんって・・こんなに軽かったの・・!? -
入院する前は56㌔あった父の体重は 44㌔まで落ち 私より軽くなってました
父は自分の身を削りながら 過酷な治療を耐え抜いたのです
そう思うと 背中で照れ笑う父の重みを 尊く思い
心の中で「お父さん・・よく頑張ったね・・」と、溢れる涙を
こらえるので精一杯になり 無口になった私は 病院の玄関だけを
ひたすら目指し 父を背に乗せて歩いてました
5ヶ月振りに外に出た父と私は「わぁ~!いい天気だね!」と言い
タクシーで自宅へ向かって帰ることが出来ました
夏祭りも終わり 残暑がまだ残る街に 私達親子は
ただ ただ 感極まる思いと 本当に父と帰れてよかった
そして これ以上の幸せはないと実感じました
ー 光る向日葵の笑顔にも 負けぬ生き方で愛せたら
受け取った命を冷やさず 今日もずっと歩いてゆける -
向日葵 ~一期一会の命~ より Song By 東 真紀
次回は20年振りに父と過ごした正月と
予期してた再度の入院を書きます
読んで頂きまして ありがとうございました
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