インシャアッラー  モロッコ人と国際結婚

モロッコ人との結婚・ビザ手続きについて。来日7年目を迎えました。

配偶者ビザ取得

2010-04-25 23:51:08 | 結婚
彼から連絡があり、「無事ビザがもらえたよ」と

6月上旬に来日予定なので、結婚して約1年でようやく本当の家族になる。

この1年はほんとに長かった

あと1ヶ月半の辛抱です。

配偶者ビザ申請 その3

2010-04-20 20:03:39 | 結婚
申請から1カ月半経ったが、何の音沙汰もない。

そこで仙台入国管理局に電話をして、現在の進行状況について問い合わせをした

その答えは・・・
「審査は終了しています。来日予定までまだ日にちがあったため、証明書は発行していません」
ということは、許可が下りたということなのだろう。すぐに送ってもらうように伝えた。

その6日後に簡易書留が届き、中を開けるとそこには、「在留資格認定証明書」と来日までの手続きについて書かれているA4用紙1枚が入っていた
今度はこの証明書を彼に送り、彼が在モロッコ日本大使館で片道航空券と合わせてビザ申請をする。そして証明書の発行日より3カ月以内に来日すればよいとのこと。

早速彼に証明書を届け、彼も早々にビザ申請をした。1週間以内に受け取ることができるようで、それが今週の木曜日だという。まだ油断はできないが、間もなく配偶者ビザを手にすることができそうだ



配偶者ビザ申請 その2

2010-04-11 22:55:36 | 結婚
いろいろなサイトを調べた結果、ビザ申請のポイントは以下の2つであるようだ。
①偽装結婚ではないことを証明する
②日本で生活できる水準である

そのために、提出書類の「質問書」が重要だという。

私は、結婚までのいきさつをA4サイズ2枚に、写真と共にまとめた。そしてそれを証明するために、メールの送受信歴を添付した。メール内容を翻訳して添える、という人もいたが、そこまでプライベートな内容を提示する必要はないだろうと思い、あえてメールの内容は伏せた。

この質問書と先に挙げた提出書類をまとめて、いざ仙台入国管理局へ。

受付のおじちゃんが書類漏れが無いか確認した後、受付番号の紙をくれた。そんなに混んでいる様子はなく、すぐに順番が回ってきた。書類がそろっているか1つ1つ確認していく。婚姻証明書はその場でコピーし、原本はすぐに返却された。5分程度の待ち時間で無事申請書は受理され、交付には1~2カ月かかるとのことだった。

意気込んで申請に行ったわりには、あっさりと受理されたなぁという印象。


1週間後、入管より電話があった。入職して間もないので、預金がどれくらいあるのか預金通帳のコピーを追加書類として送って欲しいとのことだった。
翌日には返信用封筒が送られてきたため、通帳のコピーをすぐに送り返した。

パリ・モロッコ旅行

2010-04-06 21:34:03 | 旅行
両親と共にパリ・モロッコ9日間の旅へ

【1日目】
 21時55分成田発エールフランス便にてパリへ。

【2日目】
 朝4時半パリ空港へ到着。5時45分発エールフランスバスにてパリ市内へ。1人15ユーロ。乗客は私たちの他に女性が一人のみ。予約していたホテルで荷物だけ預けて凱旋門からルーブル美術館まで歩いた。写真を撮りながらゆっくり歩いたため、それ程疲労はなかった。父念願のルーブル美術館には入れたが、オルセー美術館は長蛇の列だったため断念。その後エッフェル塔・凱旋門をゆっくり見物して早めにホテルに入った。

【3日目】
 エールフランスバスにて空港へ。13時10分発エールフランス便にてカサブランカへと向かった。多くのモロッコ人が機内持ち込み荷物多すぎ、呼び止められていたせいで出発が遅れる。彼との再会を喜んでる暇もなく、両替の後電車に乗るべく空港内をつっ走りぎりぎりセーフ。フェズに向かった。泊まろうとしていたホテルが満室だったため、あわてて探し、なんとか新市街の中級ホテルを見つけることができた。

【4日目】
 午前中はメディナを散策し、午後彼の実家を訪れた。彼の両親と弟が温かく迎えてくれた。昼食は巨大なバステラと鳥の丸焼き・牛肉とプルーンのタジンなど、豪華な料理を用意してくれていた。母は日本から箸を持参し、モロッコ料理を箸で食べるというとても異様な光景であった。

【5日目】
 ラバトへ電車で移動。予約していたホテルに直接行ったがホテルの手際が悪くてチェックインだけで1時間待たされた。しびれを切らして違うホテルへ変更。ハッサンの塔・ウダイヤ・メディナを訪れた。
夕方ホテルの前では大きなデモがあり、多くの人が声をそろえて何かを叫んでいた。それが悲鳴に変わったと思ったら警察や兵隊が棍棒を振りかざし、中にはたたかれて道端で倒れ込む人もいた。だから何でも暴力で解決しようとするモロッコが嫌いだ、と彼は言っていた。

【6日目】
 マラケシュへ。ホテルに荷物を置いてジャマエルフナ広場へ向かった。メディナを散策し、屋台で魚のフライを食べた。タクシーがつかまらなかったため歩いてホテルまで帰った。とりあえず食中毒は起こさずに済んだ。ハムドゥリッラー

【7日目】
 マラケシュ2日目。伝統工芸館に立ち寄った後、マラケシュ博物館へ。そのままメディナでお土産を買いまくり、ホテル近くまで馬車で帰った。一般道路を馬車で移動するのは何とも不思議な感じで、とても楽しかった。

【8日目】
 7時発の電車に乗り空港へ移動。空港には12時前に到着した。カフェでのんびりしているとスーツケース1つ無いことに気付いた。あわてて空港の入口の検問所に引き返す。警察のそばにスーツケースが置かれているのを見つけた。警察に事情を説明し、自分たちの持ち物であることを証明した後に無事返してくれた。あやうくモロッコ人が持って行くところだったとのこと。15時15分発パリに向けて出発。パリの空港で買い物をしていると、フランス人男性が怒っている声がした。振り向くと父が20ユーロの土産を買うためレジにいたのだが、手元には1.2ユーロしかなく、怒られていたのだった。あわてて間に入り、代わりにお金を払う。20セントを20ユーロと勘違いしていたようだった。そんなこんなで23時35分定刻で日本に向けて出発した。

【9日目】
18時半。無事日本へ到着。

今回の旅行で父は外国人女性の写真を撮りまくるエロ親父となり、母は道も安全に渡れない幼児となった。いろんな意味で非常に疲れた。もう二度と両親を連れて旅行には行くことはないだろう