LIGHT BOX

今日の一枚

2011年3月22日 「フープ」

2011年03月22日 | スポーツ
D3S/AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED

体操教室の春休み教室にお邪魔しました。

今日は午前中で撮影は終了、自宅に向け車を走らせましたが、途中、停電地域を通過しました。今回の計画停電が始まってから初めての車での外出でした。突然に信号の消えた地域に突入し、そして唐突に正常な地域へと入っていきました。比較的交通量の多い16号での出来事でしたが、意外と事故は起こらないものですね。

2011年3月17日 「卒園式」

2011年03月17日 | スクール
D3/AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

海老名市の幼稚園にお邪魔しました。

計画停電の予定の中で卒園式が行われました。幸いなことに真冬の寒さとはいうものの、明るい日差しが差し込むホールでの卒園式、ちょっと緊張気味の子どもたちでしたが、練習通りに上手に卒園証書を受け取っていました。

2011年3月14日 「地震3日後」

2011年03月14日 | Weblog
情報が錯綜しています。

昨夜遅く計画停電の情報が流れました。東京電力のサイトはアクセスが多いためか、なかなかトップページに繋がりません。日付が変わる頃にやっと繋がったサイトには、各都県、各市町村ごとを5つのエリア分けした表がアップされています。ただ、何丁目までは表示が無く、同じ町名がいくつかのエリアに分かれている場所もあり、自分の住む地域がどのエリアに属するのか分からない地域が多数あるようです。我が家も3つのエリアに分かれているようですが、どの地域になるのかは定かではありません。とりあえず隣り合った町のエリア等を調べて推理するしかない状態の中で、夜のうちに洗濯を済ませ、水を汲み置き、いつもより多めに炊飯器に米をセットして、今朝を迎えました。
ふたを開けてみると、忠実に計画停電に対応した鉄道各社がほぼ1日運休状態になったおかげで、電力消費が抑えられ、結果として朝から予定されていた数回の停電は夕方の1回だけになりました。各所での混乱というおまけはありましたが・・・。
明日もまた計画停電が予定されています。(今日はエリア分けの表は詳しく改定されています。)ターミナル駅での大混雑の中、「自分たちは、ただ並んでいるだけだから・・・、被災地の人たちはもっと大変なんだから。」等の意見もありました。計画停電は4月いっぱいまで行われるような話もあるようですが、ネット上では「この状態が続けば中小はもたない」等の意見も出ています。オールジャパンとしてみんなで頑張ることには何の異存もありませんが、確かにこのままの状態が続けば共倒れにもなりかねません。錯綜した情報の中で無益な時間を過ごすのは本意ではないはずです。


2011年3月13日 「地震2日後」

2011年03月13日 | Weblog
各地の惨状の情報が続いています。

昨日のうちに連絡があり、横須賀で行われる予定だった新体操の発表会が中止になり、思いもかけない久し振りの週末の休みになりました。TVでは各地の惨状の様子が流れています。津波に襲われる港町、津波が去ったあとの瓦礫の街、非常に危険な状況の原子力発電所、各地の避難所の様子等々、様々な状況の報告が続いています。被災していない地域の人々の興味をそそるには十分すぎる映像が流れていますが、ほんとうに必要な情報が欲しい人にとっては、役に立たない情報になっている人も多いのではないでしょうか。派手な被害の地域の陰で、地味に停電、断水、ガスもストップしているらしい茨城県の情報はほんのわずかしか流れてきません。TVもせっかくデータ放送等も利用できる地デジ化が進んでいる現在、もう少し知りたい場所の情報が得られる手だてが取れないものでしょうか。

2011年3月12日 「地震その後」

2011年03月12日 | Weblog
被災地の情報が流れています。

埼玉県志木市で行われる予定のバレーボール大会の撮影に向かうため、朝6時に家を出て、8時には会場の駐車場に到着しました。昨日の連絡では大会は決行とのことでしたが、駐車場待機中に急遽中止との連絡が入りました。もう少し早く分かっていればという思いと、突然の災害では無理も無いと思う気持ちを胸に、帰途に着きました。
カーナビで「自宅に帰る」の指示を出すと、選ばれたルートは川越街道を上り環八を経由し246で厚木方面に向かうというものでした。少々走ってはみましたが、川越街道はそこそこの混雑状態、せっかく計算してくれたカーナビには悪いですが、道をはずれました。しばらくは何とかして元のルートに戻そうと計算を続けていましたが、そのうちにこちらの考えていたルートに沿った計算を始め、当初の予定よりも早く帰ることができました。人間の勘もまだまだ捨てたもんじゃありませんね。

我が家ではとりあえず家族がそろっていますが、茨城県ひたちなか市に住む妹一家は、都内の大学に通う長男とは連絡が取りずらいながらも無事が確認されているものの、たまたま友人と福島のスパリゾートハワイアンズに遊びに行っていた二男とは、一度近くの小学校に避難したという連絡があったきりで、その後連絡がとれなくなっているそうです。妹一家の住む茨城県も停電や断水が続いている状態だそうですが、その他被害はあったけれども比較的ビジュアル的に惨状が見え難い東京周辺の地域の災害状況も、東北地方のあまりにもひどい惨状の陰で、昨日からCMを遮断して情報を流し続けている各TV局の情報からもスッポリと抜け落ちてしまっているようです。これだけ広い地域が被災地になっていることを考えると、各局が同じような情報を流すのではなく、分担して地域毎に情報を流すようにして欲しいところです。

2011年3月11日 「地震」

2011年03月11日 | Weblog
大地震です。みなさん御無事でしょうか。

ほんとうに幸いなことに、神奈川県の内陸部の我が家は、テーブルの上の金魚の水槽の水が大揺れで半分ほどがこぼれ出たことと、本棚の上のレンズの空箱が落ちたくらいで、タンスもテレビもまったく動くこともなく、食器ががちゃがちゃ言うでもなく、長い揺れの間、金魚鉢に専念することができました。
地震の後は、普段と変わらず隣から回覧板が回ってくるなど、我が家の周りでは通常の生活が動き始めましたが、こんな時にたよりになると思っていた携帯電話が機能しませんでした。
5年生の長男は、集団下校で帰ってきましたが、学校からの15時~16時のメール連絡は23時過ぎにまとめて届きました。高校生の長女は学校の体育館で待機中でしたが、これも通話、メール共に非常に繋がりにくい状態が続きました。固定電話が比較的繋がりやすかったですね。最近は携帯電話のみで固定電話を引いていない人も増えています。やはり非常時に備えてあらゆる手段を考慮しておく必要がありますね。