ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

昭和20年の文春

2008年08月15日 15時02分25秒 | Weblog
今日、終戦63年、その人によってそれぞれの思いがあると思います。2日前に何の気なしに立ち寄ったライフの本屋さんで、昭和20年の「文芸春秋」文春新書編集部「編」を見て買ってきました。新書版だからそんなに詳しくはないが興味のある記事があります。

戦後間もなく取り上げられた文学者の戦争責任について、取り上げられた作家の人たちの断片とも言える文章が載っています。

斎藤茂吉、高浜虚子、島木健作、佐藤春夫、中野 実、菊池 寛、火野葦平など、

いま作家の戦争責任を問う人はいないと思いますが、当時は読書好きな人達の間で話題にされた事を思い出します。

この目次を見るだけでも多少の事は理解できると思います。昭和20年になると戦局は厳しいものになってきます、もはや敗戦は決定的となります。

1月の目次には、19日、イタリア、対日同盟関係を破棄。21日、小磯首相、施政方針演説で、国体護持を明言。27日、ソ連がアウシュィッツ収容所を解放。

2月。3日、米軍、マニラに突入。連合軍、ベルリンを大空襲。14日、近衛元首相、戦争継続は敗戦後の共産革命をもたらすと、早期和平案を上奏。19日、早朝、硫黄島に米軍二個師団、上陸開始。3日間に及ぶ大規模空襲、艦砲射撃のあと。25日、米艦載機600機,B29爆撃機、130機が東京および関東地方を空襲、神田などに大きな被害。

3月。10日、午前零時、B29、270機が東京下町を襲う。本所、深川,城東、浅草はほぼ全滅し。下谷、日本橋、向島各区も甚大な被害。死者10万人以上、罹災者80万を超す。17日、硫黄島守備隊、大本営へ決別電報を打電。26日、米軍、沖縄の慶良間列島に上陸。沖縄渡嘉敷島、座間味島で住民が集団自決。これより住民を巻き込んでの壮絶な戦いが3ヶ月にわたって続く。

4月。1日、沖縄本島中部、嘉手納海岸に米軍6万人が無血上陸。6日。戦艦大和以下の第二艦隊、沖縄水域へ、翌日、米軍空母機部隊の攻撃を受け大和沈没。(日本の艦隊は事実上壊滅した)
27日、ムッソリーニ首相、コモ湖畔でバルチザンに捉えられ、翌日ミラノで銃殺。
30日、ヒトラー総統、ベルリンの地下壕で自殺。

5月。7日、ドイツ軍、無条件降伏文章に調印。8日、トルーマン、日本に無条件降伏を勧告。31日、米軍、沖縄の首里地区を占領。

6月。1日、米スティムソン陸軍長官、大統領の諮問に答え日本に原爆投下を勧告。8日、御前会議で本土決戦の「戦争指導ノ大綱」を決める。9日、木戸幸一内大臣、ソ連の仲介で戦争終結を図る「時局収拾対策試案」を天皇に言上。23日、沖縄守備隊全滅。沖縄の戦いにおける軍人、軍属の戦死者は9万人。一般市民の犠牲者は10万人。

7月。10日、最高戦争指導会議で、ソ連に終戦斡旋依頼のため近衛文麿の派遣決定。しかし18日にソ連婉曲に拒否。16日、米国、ニューメキシコで初の原爆実験に成功。17日、米トルーマン・英チャーチル・ソ連スターリン、三国首脳によるボツタム会談。23日、金属不足で木製飛行機の増産を計画。28日、鈴木首相、記者団にボッタム宣言黙殺、戦争邁進と談話。26日に米英中三国の対日宣言を発表。

8月、6日、午前8時15分、広島に原子爆弾投下。7日、愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され、女子挺身隊・国民学校児童ら2477人死亡。8日、ソ連、対日宣戦布告。同日、北部満州・樺太・北部朝鮮にソ連軍侵攻。9日、午前11時、長崎に原子爆弾投下。10日、午前2時20分の御前会議で国体護持の留保を付けてボツタム宣言受諾を決定。14日、御前会議でボツタム宣言受諾を確認。15日、正午、ラジオを通じて天皇の「終戦の勅」を放送。同日鈴木貫太郎内閣総辞職。17日、東久邇宮内閣が成立。20日、新宿駅前にヤミ市ができる。28日、記者会見で東久邇宮首相「全国民総懺悔」発言。30日、厚木飛行場に連合国最高司令官マッカーサー進駐。

この年表は12月まで続く、あまり長くなるので8月までを私の視点で収録しました。省いた部分もあります、もし本物を見たい方は値段も安いので購入されてご覧下さい。終戦直前のことが多少なりと分かるのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る