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今の自分

2020-09-30 10:23:00 | 日記
コレは今まで自分がやっていた事もそうだが、〇〇とは何かみたいな哲学的な事?確信的な事が出てきた時に人の言葉に左右されず自分の言葉でできるだけ生み出す事や考えることが大切ではないのかなって思った。そうでなかったとしても、この言ってる事自体はわからない。けど、今の自分にとってこういう事に置き換えられておそらく書いた人間はこんな事をいってるのではないだろうか…と埋める作業がとても重要だと思ったのでココに書いて置こうと思った。

このアルファでありオメガみたいな事ってどんな世界にもあるし、インフィニティの形を作っているような気がしてならない。

今の私にはとても重く。確かに仰る通りかもしれませんが、すみません。そこまで考えが及んでいませんで…としかいいようがない。誰々先生はこういう風にいう、頭のいいシカジカ君はこういう風に言ってる。だから私もこう思う。だと痛い目見るなって。今は今とて、〇〇の私の答えとしてはここまです。という感じかな。なんだか、身をもって知っている感じがする。本来頭の片隅にでも置いておけばいいのだろうけど、ふーんそんなもんかね。そんなものなのかね。と聞き流せない人間にとってみたらかなり重い言葉達なのであるからして、それまでしか言えないし。言葉を持ち合わせない。

確かにテクニック的な事ってのは、大切な事で、これからやりながら自分自身で学んでいかなくてはいけない。けれども、そこまで経験がなかったりそんな経験を持ち合わせていない人間にとっては手取り足取りが手枷足枷になり、邪魔になる事もある。1だろ1の次が2だろ、ほら2の次が3になるじゃないか…ほら、10になっただろ。と1から10まで、教えて頂けるのは確かにありがたい。それに、人には何か目的があって、やってるはずで。教壇関係なら、いやだなーこんな興味もない生徒達に教えるのはとどこかで教授が思いながらおしえてるのかもしれないがそこには、その教授達は今の学生はこれもしれないのかじゃあ、これを教えてからと、そういう積み重ねで失敗と成功を繰り返しながらどういう風に進めて行けばよいのかという事と経験則から導きだされた学生側にも配慮のあるいわばメソッド的なものがあるような気がするが、実務と名乗る人のブログというのはそれはない。もしかしたら、コメント等々やりとりしたり、その人自身も教壇に立ったり人に教えてたかもしれないけど…何かしらやっぱりそこに行き当たるまでの言葉が足りないというか。あ、仲間。ましてや、情報の並列化ではないが同じように共有できる人が欲しいのかなって思ってしまう。そういう人が書く言葉をまるで自分の言葉のようにするのはよくないなというか、何か大きくなった気でいたら。ハッキリダメな状態だぞとは言いたい。
知識が多い方がいいのだろうし基本的な事ってのはやってやって。自分のモノにしていって、確かにこういうふうに仰っていたけど、どうもそこは納得できないとか他のアプローチがあるんでなかろうかとか。役に立たないものは知識とはいわない。とどこかで割り切ってくぐらいの方がいいのかもしれない。

で、まあ、歴史は大切だ。

安定性も妥当性も大切だ。

違う世界に飛び込んでみてやっぱり元の世界を俯瞰するというか、こんな見方もあったんじゃなかろうかという事ができそうなきがするなー。
とおもうのである。

そして、こっちの世界から向こうの世界をみて気がついた事は。
選ばれた人しか表現ができないとおもってるのなんてそんな事いうやつなんて偽物だろ なんて思ってたけど。で、だれがそんな事言ってるんだって自分で自問自答していたけど。表現者ってのは表現を見つけるのも小さい意味ではそうかもしれないが、オーダー通りの表現を探すってのが一つ答えかもしれない。オーダーをされてる時点で自分のオリジナルな表現をしていいわけではなくてね。

で、こっちの世界に戻ってきて、答えなんてないって言っていたけど、大丈夫。つまりさ今のオレの段階では答えはあるよ。決められた事はある。すくなくともそれをやるべきって事と。自分で自分に言ってやりたい。

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