失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

瀧山古城本丸跡より眺望 多摩川へ秋川落入図

2007年11月25日 | Weblog





<クリックするといくらか大きい写真(700x400程度)が表示されます>


植田孟縉著「武蔵名勝図会」に上記タイトルの絵があります。
今回はこの絵、つまり滝山城址本丸跡からの眺望をテーマとしてみます。
まず植田孟縉の絵をみていただきましょう。
安藤勇さんのサイト「webギャラリー江戸時代の隠れた名画達」-「武蔵名勝図会」-「八王子」http://homepage2.nifty.com/tisiruinoe/musasimeisyouzueHatioji.htmlの一番上の絵です。
慶友社の「武蔵名勝図会」ではpp.418-419です。

この絵に記入されている地名は、(○印は私には読めないところ)
遠景左から「武光山」「秩父郡の〇山」「高麗郡ノ山峰」「入間郡金子領」「サヤマ」「村山」。その下の村名は「草花村」「羽村」「川崎村」「福生村」「熊川村」
「野辺村」「二宮〇〇」「二ノ宮村」「平沢村」「小川村」「高月村」「瀧村」。
一番左には「大石信濃守古城」(高月城址)とあります。
右側の書き込みは私には読めません。「瀧山古城本丸跡〇〇〇より〇 古松一株切〇〇 上にあり〇〇より 眼下に望む〇」?

「武蔵名勝図会」本文を見ますと「大奥と号するところは、いま金毘羅の祠を祀れるところなり、物見の松というは、そこの崖上に古松一株あるを云う。」(慶友社「武蔵名勝図会」p.403)とあります。現在の金毘羅宮の社殿は現地の「金毘羅社再建の碑(平成六年)」によると「国史跡瀧山城本丸櫓台に鎮座する金毘羅社は、今を去る二百年余り前天明(一七八一~)年代に滝村持ちで造営されたと武蔵風土記に記載されています。・・・創建二百年事業として社殿の再建を行いました」とのことです。


滝山公園の尾根道は林におおわれていて、周辺の山がほとんど見えません。本丸の金毘羅宮のあるこの位置が数少ない眺望点です。しかしここも樹木のため、一箇所から「武蔵名勝図会」のような眺望は得られません。何mか位置をずらして撮ったものが上の三枚です。これでだいたい「武蔵名勝図会」の山はカバーしているとおもいます。
「カシミール」でパノラマを作っていくつか山の名前を入れてみました。
遠景の山もさることながら、眼下の高月の水田もきれいです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 町田市 図師 | トップ | 稲城市 大丸 圓照寺周辺 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事