天神台の梅 向山のフジザクラはいずこに
富津警察署先に「海良区」の案内とともに「菅原道真公」の案内看板があります。
案内に従い天神山方面に向かうと「天神社」入口の鳥居があります。
鳥居脇には坂道ですが道路があり、登ったところは「天神台」と呼ばれ、眼下に湊川、遠くに、東京湾・富士山を遠望できます。今は、住宅地となっておりますが、宅地造成の際に発掘調査を行ったところ、縄文時代、弥生時代の住居跡が発掘されました。
(子供のころに黒曜石のやじりを探した記憶がよみがえります)
また、中世には真里谷武田氏の支城「天神山城」が築かれ堀切 (ほりきり)跡等の遺跡が残っています。
道なりに進むと「天神社」がみえます。御祭神は「菅原道真公」で、伝承によれば第十二代「景行天皇」巡幸の際に、この地に「天の神」を祀ったことによるとのことです。白梅の開花はもう少し先のようです。
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
なお、この海良地区には(向山) かつて、「フジザクラ」(マメザクラ)と呼ばれる国指定の天然記念物の桜がありました。近年ほとんどが枯れてしまい指定を解除されたことは非常に残念に思います。
(ウィキペディアさんの写真を掲載させて頂きました)
この桜は、富士山、箱根付近に自生しています。
その昔「景行天皇」も御覧になられたのでしょうか?改めて自然の尊さを痛感いたします。
「家を離れて三四月 涙を落とす百千行 万事夢の如し 時々灯彼蒼(大空)を仰ぐ」
(友人の紀長谷雄『きのはせお』へ送ったとされる歌
*先日掲載いたしました「源 実朝」の歌について「万葉集」と書きましたが、私歌集 「金槐和歌集」の誤りでした、お詫して訂正いたします。(師である藤原定家共々、万葉集を学び、強い影響を受けていたことから、誤って記載いたしました)
なお、この件に関してのご丁寧なご指摘、ご教示が2件ございました。皆様方のご慧眼に触れ、あらためて敬意を表する次第です。
今後ともよろしく、ご閲覧ならびにご指導願います。
by mino-sak
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