5月の連休を利用して息子が何か手伝えればと実家に
次の日いわき市のボランティアの人達の集合場所行く兄が送って行く
スコップとか持って電車はというので
私は帰ってきましたが息子は残ってあちこち手伝いに行ったようです
磐田に帰ってからはよく野菜送った。
もともと自然が豊かで山菜等山や川からの恵みは数え切れない
それを一切食べなくなった、食べれたかもしれないが不安はぬぐいきれなかったのだ
6月娘がいく、兄が被害にあった久ノ浜、豊間、薄磯、小名浜、を車で通ってくれたと
ショックだったと、津波の跡がまざまざとみれたから
震災が1年、2年と経過と同時に主人の介護も始まり母も1年に1,2度預かるようにした
パートで仕事をしながらだったから大変だった
自分が倒れてはと思いちょっと早かったが年金の手続きをし、仕事をやめることにした
あれから5年母は92歳になった今までは
今まで連れて来ていたがこれからは私が行こうと思う、
だんだん足が弱くなって来ている、3月に末に行く予定だ