三日月堀のぶろぐ

お城・歴史の記事がメインのぶろぐです〈(_ _)〉

茨城の城館巡り その2 牛久市の城館

2015年12月27日 | 茨城 城址

前回の続きになります。

〇小坂城 茨城県牛久市小坂町
永井館から県道53号線に戻り東へ進み、下佐谷の交差点を右折し県道64号線~県道197号線を通り、下稲吉の交差点を右折し国道6号線を南下、途中コンビニで昼食をとりその後、牛久市の生涯学習センターへ立ち寄り「牛久市文化財ガイドブック」を頂きました。

事前に問い合わせをしていましたので、無事に全員分頂くことが出来ましたε= (^o^;

生涯学習センターから国道408号線へ向かい、国道を東へ進むと左手の小坂団地の先に小坂城がありました。
城跡は南側を流れる小野川に突き出た舌状台地の南端部に位置しています。
また城の北側には城下を連想させる集落が江戸時代前期頃まで存在しており、さらに北側を鎌倉街道が東西に走っています。
城主は「小田家風記」に「岡見備中守」の名が記されていることから、岡見氏の一族であったと考えられます。
4つの曲輪から成り、それぞれ折れを持つ空堀や分厚い土塁で囲まれていて、大変見応えがありました。
市指定文化財に指定されており、駐車場や解説板も充実していて、訪れやすいお城です。

  

〇牛久城(付・牛久陣屋) 茨城県牛久市城中町
県道53号線を西に向かい牛久城へ・・・(裏道?といいますか最短距離の経路で向かいました)

牛久城は南に牛久沼を望む台地上に位置し、永禄9年(1566)の「小田氏治味方地利覚書」に「岡見山城守」の城として記されています。
佐竹・多賀谷氏との争いの中で、後北条氏に救いを求めた為、後北条氏は在番衆として近隣の城主を送り込みました。
多賀谷氏の攻撃を何度も受けつつもなんとか持ちこたえましたが、天正18年(1590)豊臣勢力の進出により落城したと思われます。
広い曲輪が三つあり、根古屋や外郭も含めると広大な城郭であったようです。
空堀は幅広く、また深く掘られていて、今回巡ったお城の中では規模がまったく違うのを実感出来ました。
外郭の一部は近世になって山口氏の牛久藩陣屋がおかれました。
牛久藩陣屋跡から眺める夕日がきれいで、牛久沼そして葉に隠れてしまいましたが富士山も見えました(^^;

  
  

今回、武蔵直登様の忘年会に初めて参加させて頂きましたが皆様きさくに話かけて下さり、また資料の配布・移動手段の手配や現地で色々と教えて頂きました。
訪城数は多くはなかったのですが、皆様と楽しく巡る事が出来ました。
ありがとうございました<(_ _<(_ _)>_ _)>

参考資料: 
新治村史・牛久市文化財ガイドブック・関東の名城を歩く北関東編・現地解説板・角川地名大辞典茨城県

追記 武蔵直登の皆様と解散後、携帯電話と家の鍵を自宅に忘れてしまいその日は結局家に入れず、一晩ネットカフェで過ごすはめになりました・・・(T_T)


茨城の城館巡り その1 土浦市(旧新治村)の城館

2015年12月23日 | 茨城 城址

ご無沙汰しています、暫く更新が途絶えておりました
私事ですが長年懸案だった案件のひとつが今年の夏に山場を迎え、心身ともグッタリの状態でしたが、10月には一応解決し今はホッとしております。
書きかけの記事もありそちらを先にアップしなければいけないのですが、先日武蔵直登の皆様と忘年会に参加させて頂きましたので、そちらをアップしたいと思います。
行先は茨城県土浦市と牛久市ですが、今回は土浦市の城館です。

〇甲山城 茨城県土浦市大志戸

外環道から常磐道を北上し、土浦北ICで降り、国道125号線から県道199号線(フルーツライン)に入り北上し、「朝日トンネル南」の交差点を右折し、一つ目の交差点を右折すると甲山の中腹辺りをぐるりと廻っている道で、途中左手に三十番神社へ向かう参道があり、ここから甲山城へ向かいました。
山頂に三十番神社があり、その奥に張り出しを伴った土塁と空堀が残っていました。
頂いた資料(新治村史)によると、小田氏の流れをくむ小神野(おかの)氏の城(砦)で、小田氏が佐竹氏に敗れた際に小高館・本郷館・永井館などと共に落城したそうです。 
ちなみにワタクシ、甲山「こうやま」と読んでいましたが「かぶとやま」と読むそうです(^^;

  

〇館山(本郷館) 茨城県土浦市本郷
県道199号線に戻り南下、二本松の交差点を左折し県道53号線を東へ進み、東城寺を源流域とする天の川に架かる本郷橋を渡った左手台地が館山(本郷館)です。

台地といっても道路からの比高差は目測で5メートル前後でしょうか。
館山は谷津田に囲まれた台地先端にあり、新治村史には「壕と土塁の一部が残存」とありましたが、耕作地と藪で遺構は見つけられませんでした(T_T)
岩瀬弾正の館と伝えられています。

 


〇永井館 茨城県土浦市永井
館山のある本郷から県道53号線を東へ進み、山ノ荘郵便局の先の路地を左折し、突当りのT字路付近から永井館のある大日山へ登りました。

山頂には寛永三年造立の宝篋印塔(大日如来塔)があり、土塁に囲まれた郭や虎口、空堀が残っていました。
山頂に遺構があり、館というよりは、砦・城といった方が合っているように思えました(^^;
新治村史には、戦国期に東北方面の前線基地として、小田氏家臣前野修理を配したそうです。

  


次回は土浦市の城館です

12月24日追記 甲山城の遺構の写真が永井館の遺構になっていましたので訂正しました。