前回の続きになります。
〇小坂城 茨城県牛久市小坂町
永井館から県道53号線に戻り東へ進み、下佐谷の交差点を右折し県道64号線~県道197号線を通り、下稲吉の交差点を右折し国道6号線を南下、途中コンビニで昼食をとりその後、牛久市の生涯学習センターへ立ち寄り「牛久市文化財ガイドブック」を頂きました。
事前に問い合わせをしていましたので、無事に全員分頂くことが出来ましたε= (^o^;
生涯学習センターから国道408号線へ向かい、国道を東へ進むと左手の小坂団地の先に小坂城がありました。
城跡は南側を流れる小野川に突き出た舌状台地の南端部に位置しています。
また城の北側には城下を連想させる集落が江戸時代前期頃まで存在しており、さらに北側を鎌倉街道が東西に走っています。
城主は「小田家風記」に「岡見備中守」の名が記されていることから、岡見氏の一族であったと考えられます。
4つの曲輪から成り、それぞれ折れを持つ空堀や分厚い土塁で囲まれていて、大変見応えがありました。
市指定文化財に指定されており、駐車場や解説板も充実していて、訪れやすいお城です。
〇牛久城(付・牛久陣屋) 茨城県牛久市城中町
県道53号線を西に向かい牛久城へ・・・(裏道?といいますか最短距離の経路で向かいました)
牛久城は南に牛久沼を望む台地上に位置し、永禄9年(1566)の「小田氏治味方地利覚書」に「岡見山城守」の城として記されています。
佐竹・多賀谷氏との争いの中で、後北条氏に救いを求めた為、後北条氏は在番衆として近隣の城主を送り込みました。
多賀谷氏の攻撃を何度も受けつつもなんとか持ちこたえましたが、天正18年(1590)豊臣勢力の進出により落城したと思われます。
広い曲輪が三つあり、根古屋や外郭も含めると広大な城郭であったようです。
空堀は幅広く、また深く掘られていて、今回巡ったお城の中では規模がまったく違うのを実感出来ました。
外郭の一部は近世になって山口氏の牛久藩陣屋がおかれました。
牛久藩陣屋跡から眺める夕日がきれいで、牛久沼そして葉に隠れてしまいましたが富士山も見えました(^^;
今回、武蔵直登様の忘年会に初めて参加させて頂きましたが皆様きさくに話かけて下さり、また資料の配布・移動手段の手配や現地で色々と教えて頂きました。
訪城数は多くはなかったのですが、皆様と楽しく巡る事が出来ました。
ありがとうございました<(_ _<(_ _)>_ _)>
参考資料:
新治村史・牛久市文化財ガイドブック・関東の名城を歩く北関東編・現地解説板・角川地名大辞典茨城県
追記 武蔵直登の皆様と解散後、携帯電話と家の鍵を自宅に忘れてしまいその日は結局家に入れず、一晩ネットカフェで過ごすはめになりました・・・(T_T)