「さよなら、サイレント・ネイビー 伊東乾著」を読む。
副題が「地下鉄に乗った同級生」。
この本は、オウムの地下鉄サリン事件実行犯の一人
豊田亨と彼の東大での同級生であったという著者の視点から、
著者と彼の歩むべく道を分けたものは何か?
を問いかけてゆくノンフィクションである。
タイトルの≪さよならサイレント・ネイビー ≫は
ーー言い訳せずに黙って責任を取る・・・つまり
「誰かが黙って責任を取る」これをずっと繰り返しているから、
1945年も、1995年も、そしていまも、何一つ本当は裁かれないし、
日本は何一つ変わらない。
豊さん。豊さんでしか語れない、また豊さんだからこそ
語りうることを語ってくれないか。(本文より)
という著者の同級生、豊田被告への熱い切実な思いから
付けられたのだと思う。
本文中、豊田被告の言葉として
「もちろん、このようになるつもりで入団したわけではありません
すべての事件においてグル(松本)の指示が極めて大きな
位置を占めていたことも事実です。しかし仏教では
『人は自分のレベルに応じたグルに出会う』 という言葉が
あるそうです。わが身を振り返るとまさにそのとおりかも
しれないという気がいたします。自分の愚かさをいくら
後悔しても後悔しきれない思いでいっぱいです。」
という言葉がある。
彼が≪サイレント・ネイビー≫であり続けるのは
これなんだな・・と感じた。
で、著者は言う
「大きな夢と希望、野心も持って東大で一番点の高い
物理に進んだ。まして素粒子理論研究室まできた。
それなのにやらせてもらえたのは先行業績のレビューだけ。
仮に1セクションでもいいから、下手でも失敗作でもいいから
豊田のオリジナルモデルの取り組みを指導してやる体制が
あったら、俺は確信あるよ、豊田はオウムに行かなかった。」
・・・・どうなんだろう。
素粒子論だの何だの難しい記述も多くて
理解不能な場面も多々あったけれど
なかなかに読み応えのある本だった。
私が一番知りたかった
*なぜ、人々はオウムや麻原彰晃に心酔したのか?
にスッキリした答えは勿論無かったんだけれど
豊田被告に
「豊田クン、頭良すぎたんだね」
「豊田クン、こんなに良い友達がいたのに・・」
「豊田クン、気持ち解るけどみっともなくても全部話して」
と言いたい。
そしてそれでもやっぱり最後に
・・・豊田クン、なんで・・・どうして・・と思ってしまったら
ぶわっと涙が溢れてきて夜中に大泣きしてしまった。