私は、新聞配達というものがなくなるかもしれない最後まで、新聞を紙で読む決心をしていました。
一人暮らしでも、何度引っ越しても、海外に行っても、生まれてから新聞の来ない場所に住んだことはなく、読む読まないに関係なく、新聞の来ない朝は生活の場ではないような、そんなことすら考えたことがないくらい、あたりまえのライフラインの一つでした。
と、全部過去形になっていますが。
そうです。そんな私がこの3月から、デジタル新聞(朝日)に完全移行。
2ヵ月ほどは紙とデジタル両方でしたが、3月から、とうとう新聞の届く音がしない朝がはじまりました。
こんな日が来るなんて。
時代が相当変わったということ・・・かもしれません(と、単なる個人的な感動)。
決心の最大の理由は、
・デジタルでも新聞そのままの形で読めるということ。
→ これは、今まで通りの読み方ができ、ストレスがない。
・スクラップが簡単にできるということ。
→ 紙の山が増えなくてすむ。
・検索が簡単ということ。
→ 紙の整理整頓が必要ない。見逃したもの、過去記事など、情報のピックアップが簡単。大好きな「GLOBE」も読める。
・社説の英訳がおもしろい
→ へぇーと思うことや、発見がある。
今となっては笑い話があります。
新聞を取っていない(自宅配達してもらっていない)という人が増え、電車の中で新聞を読む人もほとんどいなくなったと気付いた昨年。
試しに6-7月の新聞配達を休んだことがあります。
でも、辛抱すること二十数日。
とはいえ、その間も、駅でつい買ってしまったりして。
インターネットで新聞を読むようにしましたが、文字がずらーーっと並んでいても、見ていると疲れる。
あのばさばさっという新聞独特の紙の音と、あのにおい、やっぱりやめられないと思いました。
何よりいいのは、どこにでも、掴んで鞄に入れて出かけられるということ。
禁断症状?で、7月10日頃に新聞やさんに電話をし、明日からまた再開してもらっていいでしょうか、と言いました。
さすが、ちゃんと忘れずに、届けはじめてくださいました。
そしてまた、わが家に新聞紙のばさばさ音が戻ってきました。
その時は、つくづく幸せを感じました。
で、死ぬまで新聞を配達してもらおうっと、となかば本気で決意を新たにしたわけです(笑)。
しかし貧乏症の私は、新聞の紙を筆頭に、紙モノが多すぎ、全部目を通すまで新聞が捨てられなくて。
でも、もう、デジタルでもそのままで読める現在です(夕刊はまだだけど)。
昨年の「かたづけ研究会(かたラボ)」効果もあるかな。
ただね、いつでも、どこでも、読めるわけではないことが、今一歩、満足度7割。
今も、スマホではないから、というのでもなさそう。
たぶん、満足度は、上がっても8割かなと思う。
あの紙のばさばさや、におい、手触り、そしてずっと暮らしの風景の中に新聞があった時間があまりに長くて、人と人が会うこと以上のコミュニケーションを超えるコミュニケーションはない、ということと同じように、その現物と対面して読む以上の喜びは、今のところ、まだ見いだせていません。
ただ、デジタル新聞は、使いこなせば、従来の新聞をすでに超えていることを知っています。
可能性は、相当広がっているのです。
私、ついて行こうね、がんばれ、そんな感じです。
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