青年期に「不条理を凝縮したような体験」をしてしまったことで、自分の人格意識に強い影響を与えていたと感じます
その黒い感情をどうにかして払拭しようとしていたのだと思います
それは自分の弱さもあり、愚かさもあり、彼ら彼女らは愛すべき人物でもあったことも先ずは伝えておきます
彼ら彼女らにとっては、数多くの出来事の中から道端に転がる石ころぐらいの存在で忘却の彼方だったかもしれませんが、自分にとっては幼少期から抱いていたものへの人生を通した必死の抵抗でした
「何かヒューマンとして向かわなければならない大きな何か」に神々も照覧あれ!と走り続けるように、これから不条理世界に向かい実際を見極め理想を追及しようとするのであるならば、この体験を通して今後の戒めとして糧としてここにしるします
まだ大切な何かを失ってはいないのなら
末端専従は被害者でもあり「日々の労働と信仰を否定される者の生理的拒絶」への寛容さも必要であります
またぞろ銀河JOYで誠実さの欠片もなく笑っているだけなら風化しないよう批判もやぶさかではありませんが、個人攻撃は行き過ぎた感はあります
己の醜悪な部分も自覚しており、君と僕に痛烈文章を受け止める強さが最大の願いであります
彼ら彼女らは音楽に身を投じ=直に対峙するので刺激が強い=依存性が強い=「楽しいことやめられない!by元専従の子」
そして「金の為に」かつての仲間達を問答無用で白眼視=ブルジョア的害毒を注入されマネーの奴隷ということだと思います
この「問題無用での白眼視」が明らかに許容範囲を超えている所で、なぜ「悪い所もあるけど少しずつ変えていこう」とならないのか不思議でした
売春もその本質は「権力者の用意した道具で大切なものを見失う」という所にあるのではないでしょうか
(その本分はドンシンクフィールかもしれませんが三橋派風に言うならば)
漠然と感じていた不快感は「守銭奴」で「快楽」を貪っているようにみえたからかもしれません
いえ、売春よりもっと深く人々に蔓延る巧妙狡猾なものに「眼を心を奪われている」ようにみえたのでしょう
彼ら彼女らは言うかもしれない
「日々戦って大切な繋がりを守り愛や希望を共鳴する誇りある仕事」だと
その甘い声色ハイテンションでの交流と美辞麗句並ぶ荒野座歌劇を演じることによる一定の効果は確かにあるのでしょう
荒野座歌劇には独特の魅力もあり、彼ら彼女らの優しい言葉に救われた者も少なくないはずなのである
しかし厳しい見方をすれば「利害関係上での見返りを予測した善人アピール」であり、
「とにかく共感したい」という欲求の表れであり、
「音楽=五感に強い刺激を与え快楽を得ている」のであり、
簡単に壊れてしまう不確かなものであって「感性」というものを履き違えている
会員であるアメリカ人女性も、
現役専従の貴方達も、
良識ある言動一つで明日には「こんな人は知りません」と宣告されない保証はなかったのです
専従の頃から「この虚ろいやすく危うい感性はふとした事ですぐに態度を変えるだろう」と薄々感じていました
自分は「大衆の感性」に相入れない面が多々あり、両親からの絶縁宣言を経てよりシリアスに「人間社会」というものについて考えていたのであって、そのような営業的発声での超絶オルグをできません
曲がりなりにも学んでいる不条理浄化への態度を「キモコワウザ」で片付け、共同体の必要性がより強い障害者などに嫌悪感を抱き、
世渡り上手く立ち回るであろう対人能力の高い者達が軽々しく「仲間」を口にする
本当に「不快と恐怖」を感じなければいけないのは何処にあるのだろうか
有識者が口々にサヨクの害悪を指摘しているのをみると、
「知る者には数百の犠牲もだせないが、無知の所業は何億もの犠牲をだす」という箴言を想いだします
ポルポトや現在も続いている東亜の子供達、
果ては弱者救済ならば当然の帰結であるはずの動物福祉への無頓着
在日にもいるであろう社会的弱者のスティグマも考える余地があると思われますが、
安易な在日擁護→在日勢力が強まる→戦争リスクが強まる
三橋派が学習会で用意していた人物は鼻血捏造で有名な村長でした
こういった重要な全体像を考慮しようとしない一つの決定的事実が日本ボランティア会にあると思います
「君と僕の未来~原発はいらない~」にしろ、
「間違ってるぜこんなこと~沖縄基地はいらない~」にしろ、
「美辞麗句並ぶ荒野座歌劇」にしろ、
「実態の伴わない幻想に酔っている、安易な方向へ流され踊らされている」のではないでしょうか
何故に僕達のような存在が現れてしまったのか、多少なり考えてもらえれば幸いであります
それまで家族のように接していた人達から「金や面子の為」に集団で白眼視されるなんて状況が通常の社会生活であるのだろうか?
専従達の多くは「トラブル脱会時の対応」をそれほど知らなかったのかもしれません
我々の方から執拗に追及していたという認識であるならそれは誤りです
元会員の方達と同様に「貴方達の方から負の感情で」徹底的に抑えつけてきたのであって、
「保身の為に短気を起こしている」のとは決定的に質が違うものであって、
幾度も不条理が重なった上で「固く閉ざされた底辺民主主義の扉」を蹴破ろうとしたのである
幹部達が進路を塞ぎながら専従達が次々と素通りし、銀河JOYの明かりが消えた瞬間にはまるで「心の灯火が消え大切なもの全てが無くなっていく」かのようでした
そして警察に胸ぐらを捕まれ、
まさに「権力の乱用」という人生初の体験までしてしまったのです
次に提案と代替案、
良識=つまり知性と力の使い所として、大衆の可能性として、個人が微力ながら影響を与えられる不条理として、
彼ら彼女らにかつての仲間や人民へ想いを伝える手段がここにもあることしるしておきます
緑の戦士達には優れた面もあり、
社会的弱者には居場所の必要性があり、貴方達の心一つで変わっていけるはずであろうことを
募金詐欺ばかりが目立ち、
こういった物事に対する無頓着さにもっと深い愚さをみます(提案代替案も無く)
言うなれば「幼児が知恵ではなく知識という玩具を振り回すに等しいような」
それはブルジョア害毒の結果もあったのかもしれません(流行を追い求める都会の刷れた感性とでもいうような)
それでも一筋の光もみえます
みんなに感謝を伝えひとまず終えたいと思います
最後に人生彩る芸術を奏でよう
アイムフリィートゥセイワットエバーアイ(’-’*)♪
バッドドントルックバックインアンガー( ´∀`)σ)∀`)
アイハッドユーセイ(*μ_μ)♪
さよならと書いた~手紙テーブルの上に置いた~よ
その黒い感情をどうにかして払拭しようとしていたのだと思います
それは自分の弱さもあり、愚かさもあり、彼ら彼女らは愛すべき人物でもあったことも先ずは伝えておきます
彼ら彼女らにとっては、数多くの出来事の中から道端に転がる石ころぐらいの存在で忘却の彼方だったかもしれませんが、自分にとっては幼少期から抱いていたものへの人生を通した必死の抵抗でした
「何かヒューマンとして向かわなければならない大きな何か」に神々も照覧あれ!と走り続けるように、これから不条理世界に向かい実際を見極め理想を追及しようとするのであるならば、この体験を通して今後の戒めとして糧としてここにしるします
まだ大切な何かを失ってはいないのなら
末端専従は被害者でもあり「日々の労働と信仰を否定される者の生理的拒絶」への寛容さも必要であります
またぞろ銀河JOYで誠実さの欠片もなく笑っているだけなら風化しないよう批判もやぶさかではありませんが、個人攻撃は行き過ぎた感はあります
己の醜悪な部分も自覚しており、君と僕に痛烈文章を受け止める強さが最大の願いであります
彼ら彼女らは音楽に身を投じ=直に対峙するので刺激が強い=依存性が強い=「楽しいことやめられない!by元専従の子」
そして「金の為に」かつての仲間達を問答無用で白眼視=ブルジョア的害毒を注入されマネーの奴隷ということだと思います
この「問題無用での白眼視」が明らかに許容範囲を超えている所で、なぜ「悪い所もあるけど少しずつ変えていこう」とならないのか不思議でした
売春もその本質は「権力者の用意した道具で大切なものを見失う」という所にあるのではないでしょうか
(その本分はドンシンクフィールかもしれませんが三橋派風に言うならば)
漠然と感じていた不快感は「守銭奴」で「快楽」を貪っているようにみえたからかもしれません
いえ、売春よりもっと深く人々に蔓延る巧妙狡猾なものに「眼を心を奪われている」ようにみえたのでしょう
彼ら彼女らは言うかもしれない
「日々戦って大切な繋がりを守り愛や希望を共鳴する誇りある仕事」だと
その甘い声色ハイテンションでの交流と美辞麗句並ぶ荒野座歌劇を演じることによる一定の効果は確かにあるのでしょう
荒野座歌劇には独特の魅力もあり、彼ら彼女らの優しい言葉に救われた者も少なくないはずなのである
しかし厳しい見方をすれば「利害関係上での見返りを予測した善人アピール」であり、
「とにかく共感したい」という欲求の表れであり、
「音楽=五感に強い刺激を与え快楽を得ている」のであり、
簡単に壊れてしまう不確かなものであって「感性」というものを履き違えている
会員であるアメリカ人女性も、
現役専従の貴方達も、
良識ある言動一つで明日には「こんな人は知りません」と宣告されない保証はなかったのです
専従の頃から「この虚ろいやすく危うい感性はふとした事ですぐに態度を変えるだろう」と薄々感じていました
自分は「大衆の感性」に相入れない面が多々あり、両親からの絶縁宣言を経てよりシリアスに「人間社会」というものについて考えていたのであって、そのような営業的発声での超絶オルグをできません
曲がりなりにも学んでいる不条理浄化への態度を「キモコワウザ」で片付け、共同体の必要性がより強い障害者などに嫌悪感を抱き、
世渡り上手く立ち回るであろう対人能力の高い者達が軽々しく「仲間」を口にする
本当に「不快と恐怖」を感じなければいけないのは何処にあるのだろうか
有識者が口々にサヨクの害悪を指摘しているのをみると、
「知る者には数百の犠牲もだせないが、無知の所業は何億もの犠牲をだす」という箴言を想いだします
ポルポトや現在も続いている東亜の子供達、
果ては弱者救済ならば当然の帰結であるはずの動物福祉への無頓着
在日にもいるであろう社会的弱者のスティグマも考える余地があると思われますが、
安易な在日擁護→在日勢力が強まる→戦争リスクが強まる
三橋派が学習会で用意していた人物は鼻血捏造で有名な村長でした
こういった重要な全体像を考慮しようとしない一つの決定的事実が日本ボランティア会にあると思います
「君と僕の未来~原発はいらない~」にしろ、
「間違ってるぜこんなこと~沖縄基地はいらない~」にしろ、
「美辞麗句並ぶ荒野座歌劇」にしろ、
「実態の伴わない幻想に酔っている、安易な方向へ流され踊らされている」のではないでしょうか
何故に僕達のような存在が現れてしまったのか、多少なり考えてもらえれば幸いであります
それまで家族のように接していた人達から「金や面子の為」に集団で白眼視されるなんて状況が通常の社会生活であるのだろうか?
専従達の多くは「トラブル脱会時の対応」をそれほど知らなかったのかもしれません
我々の方から執拗に追及していたという認識であるならそれは誤りです
元会員の方達と同様に「貴方達の方から負の感情で」徹底的に抑えつけてきたのであって、
「保身の為に短気を起こしている」のとは決定的に質が違うものであって、
幾度も不条理が重なった上で「固く閉ざされた底辺民主主義の扉」を蹴破ろうとしたのである
幹部達が進路を塞ぎながら専従達が次々と素通りし、銀河JOYの明かりが消えた瞬間にはまるで「心の灯火が消え大切なもの全てが無くなっていく」かのようでした
そして警察に胸ぐらを捕まれ、
まさに「権力の乱用」という人生初の体験までしてしまったのです
次に提案と代替案、
良識=つまり知性と力の使い所として、大衆の可能性として、個人が微力ながら影響を与えられる不条理として、
彼ら彼女らにかつての仲間や人民へ想いを伝える手段がここにもあることしるしておきます
緑の戦士達には優れた面もあり、
社会的弱者には居場所の必要性があり、貴方達の心一つで変わっていけるはずであろうことを
募金詐欺ばかりが目立ち、
こういった物事に対する無頓着さにもっと深い愚さをみます(提案代替案も無く)
言うなれば「幼児が知恵ではなく知識という玩具を振り回すに等しいような」
それはブルジョア害毒の結果もあったのかもしれません(流行を追い求める都会の刷れた感性とでもいうような)
それでも一筋の光もみえます
みんなに感謝を伝えひとまず終えたいと思います
最後に人生彩る芸術を奏でよう
アイムフリィートゥセイワットエバーアイ(’-’*)♪
バッドドントルックバックインアンガー( ´∀`)σ)∀`)
アイハッドユーセイ(*μ_μ)♪
さよならと書いた~手紙テーブルの上に置いた~よ