三田の町並みも、もうすっかり秋の装い。赤や橙から黄へと、木々が競い合う色のグラデーションの美しさに、運転中でもつい目が釘付けになってしまう。おーコワッ
秋分の日に生まれた母は、秋枝という名であった。母がいなくなってから、毎年秋分の日に母を思い出し、冬の気配が忍び寄るまでは、なんとなくではあるが、母を感じながら日々を過ごしているようだ。そのせいか私は、春の木漏れ日よりも秋の陽だまりが好きだ。ま、私もそろそろ色づいてきたという事か?熟女??誰も言ってはくれないから、自分でそう思っておこう。まだまだ、散りたくはない…
ブログも前回から既に一週間経ってしまった。
なんという時の速さよ 資料などの整理を終えてホッとしたのもつかの間、どういうわけだか、シンガポールの23歳の留学生シルビアを3日間預かる事になってしまい、今週火曜の朝に彼女と家の前で抱き合い、さよならするまでの4日間は、とんでもなく慌ただしく、だが楽しい日々でもあった。ひたすら下手な英語で、身振り手振りを交えて必死に喋り捲る私と、英語も韓国語も達者で、パソコンを使わせると、スカイプで国にいる家族や多くの友達と中国語で喋り捲る彼女 彼女の倍くらい生きてきた私は、母国語さえ時々ままならぬ輩である。ああ、情けないこっちゃ
しかし、我が家のダイニングでのディナーショウは、彼女にとってかなり衝撃的であったようだ。ディナーはお好み焼き ショウは、私のピアノの弾き語り 曲は彼女が大好きだというカーペンターズの『Yesterday Once More』と、ロバータ・フラックの『優しく歌って』を演奏した。突然『ドッキリカメラ』のように始まったショウに、シルビアは何度も「Oh Oh」と言葉を失くすほど興奮しながら、喜んでくれた。いつか再会する日が来るかどうかは分からないが、きっと彼女にとって、日本での楽しい思い出の一つになってくれただろうと思う
残念なのが、初来日のシルビアは、日本語が全くダメなので、ブログを観てもらえないという事である…。あ、そういえばシンガポールに帰ったら、日本語を勉強するっていってたような?…期待せずに待つことにしよう
秋分の日に生まれた母は、秋枝という名であった。母がいなくなってから、毎年秋分の日に母を思い出し、冬の気配が忍び寄るまでは、なんとなくではあるが、母を感じながら日々を過ごしているようだ。そのせいか私は、春の木漏れ日よりも秋の陽だまりが好きだ。ま、私もそろそろ色づいてきたという事か?熟女??誰も言ってはくれないから、自分でそう思っておこう。まだまだ、散りたくはない…
ブログも前回から既に一週間経ってしまった。
なんという時の速さよ 資料などの整理を終えてホッとしたのもつかの間、どういうわけだか、シンガポールの23歳の留学生シルビアを3日間預かる事になってしまい、今週火曜の朝に彼女と家の前で抱き合い、さよならするまでの4日間は、とんでもなく慌ただしく、だが楽しい日々でもあった。ひたすら下手な英語で、身振り手振りを交えて必死に喋り捲る私と、英語も韓国語も達者で、パソコンを使わせると、スカイプで国にいる家族や多くの友達と中国語で喋り捲る彼女 彼女の倍くらい生きてきた私は、母国語さえ時々ままならぬ輩である。ああ、情けないこっちゃ
しかし、我が家のダイニングでのディナーショウは、彼女にとってかなり衝撃的であったようだ。ディナーはお好み焼き ショウは、私のピアノの弾き語り 曲は彼女が大好きだというカーペンターズの『Yesterday Once More』と、ロバータ・フラックの『優しく歌って』を演奏した。突然『ドッキリカメラ』のように始まったショウに、シルビアは何度も「Oh Oh」と言葉を失くすほど興奮しながら、喜んでくれた。いつか再会する日が来るかどうかは分からないが、きっと彼女にとって、日本での楽しい思い出の一つになってくれただろうと思う
残念なのが、初来日のシルビアは、日本語が全くダメなので、ブログを観てもらえないという事である…。あ、そういえばシンガポールに帰ったら、日本語を勉強するっていってたような?…期待せずに待つことにしよう