MID NIGHT-XXX

~眠れない夜のために~

Sensuous

2012-04-16 00:00:00 | Weblog


先日も少し触れたように

氷室はBOφWY時代のアルバム『JUST A HERO』の歌詞に関して、

その時の精神状態が大きく左右しており、

あの頃の詞は今の俺には書けないと言っていた。(1991年 月刊カドカワ4月号参照)


アルバム『JUST A HERO』の歌詞は、文句なしに秀でている。

その意味を解読することさえも、

このアルバムの前では愚劣な行為と言おうか、ナンセンスというか、、

例えば、「聴く音楽」と「感じる音楽」があるとすれば、

まさに、それらの歌詞は、

「理解する歌詞」ではなく「感じる歌詞」という、

そんな高等な場所に存在すると言ったところであっただろう。


その昔、全盛期と言われていた頃の小室哲哉氏のインタビューで、

メロディー&ワードメーカーと言われた自身のアイデアは、

どうやって考えられるのかという問い対し、

「勝手にわいてくる」みたいな話をしているのをテレビで観た記憶がある。

そんな小室氏の、「勝手にわいてくる」という例えと、

氷室のいう、「その時の精神状態」という心理は、

どことなく一致する部分があるのではないかと俺は思う。

たとえば、『ミス・ミステリー・レディ』で、

「セピアの影」と一言呟いただけで、

その後の言葉が、まるで何かに取りつかれたように閃くかのような、

そんな、"研ぎ澄まされた感覚"を憶えていたのではないかという察し。

何かを真似てみようと思い、構えて考えるアイデアは、

例えそれの全てを真似ようとはしなくても、

そのアプローチを意識した時点で見透かされてしまうだろう。

そう、重要なのは、何かに近づけてみせるというアプローチではなく、

一番大外の部分に存在する輪郭、、、すなわち、コンセプトなのである。

アプローチを意識しすぎてしまうそれというモノは、

どことなくギクシャクした感があり、全体の流れ、シルエットが滑らかではない。

理路整然とした一致が見えぬ、

何か継ぎはぎをしたかのような感じといったところだろうか。

あえて強調するけれど、ここで言う理路整然とは、

その時の、特異な精神性の話に繋がるもののことであり、

すなわち、その時の精神状態が、迷い無き一貫したものであるなら、

自ずと、それは理路整然とした形を「結果的に成す」のだと言う話をしているのだ。

いかにコンセプトに、己のセンスという名の精神性を乗せることが出来るか、

重要なのはそこなのである。

自らの世界感、、精神性ありきで閃いた物は、

実に滑らかで、

崇高で、

誰にも似ていなく、

ただその前では平伏すしかない。


あの頃の氷室京介自身が、

その時の自分、精神性、、

或いはメロディー(ミス・ミステリー・レディ)に感化されていなければ、

あそこまでの歌詞は書けなかったかもしれないだろう。

今の氷室京介が感化されている物はなんであるのか。

そこに迷いが無く、そして、なんの貪りも無く、

誇らかにありのままに思いを表現できたのなら、

これからの氷室が綴るワードは、

きっと俺たちの心さえも感化するのではないだろうか。


そう、

突き詰めればすなわち、

貪りという煩悩さえもリアルに白状できたことが "貪りも無し" だとすれば、

まさに、

「めちゃくちゃアグリーな、めちゃくちゃ酷いアルバム」

という『PUNKS』を、貫き通すことが出来るのだから。


まずは、6月、

『ENEMY'S INSIDE』。

その最強のセンスの全貌を待とうではないか。











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