http://boowycinemas.com/
『BOØWY 1224 FILM THE MOVIE 2013』と題し、
BOØWYのドキュメンタリー映画が、
7日間限定で、全国上映されることが決まった。
とは言っても、既に発売されているDVD 『1224』と同じ映像、
つまり、DVD発売当時、
渋谷公会堂で1224DVD発売記念先行上映として行われた、
『1224 Film』コンサートが、
BOØWY 30周年の今、蘇るといった企画だということだ。
特設ページを見ると、
今回の前売りチケットの一部には、
本日、1月28日(月)12:00よりこちらで発売する、
初回限定チケット特典として、
「1224 LIVE CD 音源」が付くことになっている。
CDにチケットが付くのではなく、
あくまで、チケットにCDが付くという名目らしい。
※CD付きチケット販売ページのプリントスクリーンはこちら
個人的に思うことは、あの『1224』という作品は、
映像があってこその価値なのではないだろうかということ。
気迫勝る一音一音はもちろんだが、
各メンバーの表情や間(ま)、楽屋でのやり取り、、仕草。
渋谷公会堂の中で見届けたファンと、外で見守るファン。
スタッフに詰め寄るファンと、泣き叫ぶファンと、、
割れた入口ドアのガラス・・・。
そして、その時を告げる氷室京介と、、メンバーとのアイコンタクト。
そんな未来にある悲観を知らない事達を、映像越しに確かめる、
全てを知る、今の俺達。
映像という記録媒体の残酷さと、
それを刻んだ、全ての事達。
クリスマスの色を飾った渋谷の街にさえも哀愁を感じた、
そんな人間ドラマを踏まえてでの『1224』であるのだから、
あえてその音だけを引き出しても・・・と、
思うところだ。
今回は、そんな『BOØWY 1224 FILM THE MOVIE 2013』上映を記念して、
2001年12月14日『1224 Film』上映時に、会場で発売されたパンフレットの中から、
『1224 Film』のプロデューサー氏だった方の当時のインタビューの "一部" を掲載する。
『1224』が、世の中に出たタイミング、その意味、、
そして、作品として世に出せることが出来た、偶然、、いや、
それはカメラマンの必然だったのか、
そこにあった運命という物語の全てを感じることだろう。
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通常であれば、"DR. FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR"
のライヴCDやライヴ・ヴィデオが出されていてもおかしくはなかったでしょう。
ただ、その後に『LAST GIGS』が控えていましたし、
僕のなかでライヴ映像のラスト作品としては、
ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』みたいなものが作れればいいなという思いがあったんです。
あの作品には本人たちの語りも入ってるんですが、BOØWYの場合も、渋谷公会堂の映像と、
何かしらの語りと、そして東京ドームの映像と、
それらを1本の作品にした形をプランニングしていたわけです。
ところが、東京ドームの映像を作品化するには数か月かかるんですね。
でも、東京ドームが終わって、すぐにソロ活動をするメンバーもいるため、
その後にBOØWY名義の作品が出てしまっては、BOØWYというものに対する4人の決意が、
時間軸がズレたまま世に出てしまうということになる。
そういうわけで、このフィルムが世に出るチャンスがなく、
結果的に14年の長きに渡り倉庫の片隅にずっと眠ってしまったというわけなんです。
ただ、この渋谷公会堂の映像がこういう形で残っていたということは驚きでした。
前途のように、東京ドームとのセットで考えていたので、
当時も渋谷公会堂のステージの最初から最後まで、
全部を収めてくれという指示は出してなかったんです。
当然、曲もダブるだろうから、ある重要なポイントだけを確実に押さえてくれればいいと。
ところが、当時、映像のディレクションをしていた永石が、結果的に全部回していた。
しかも、5台の16ミリフィルムで撮っているんですが、
4台がフィルム・チェンジで、たった1台のカメラしか回ってないところでも、
奇跡的にこぼれ落ちてる映像がないんですよ。
このフィルムを現像したのは、今年の夏前なんですが、
あの当時の映像が目の前に現れてきたときは、良かったなと思いましたね。
僕のために良かったという思いじゃなく、
とにかく誰かのために良かった。そう思ったんです。
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BOØWYとはなんだったのだろうか。
それぞれのメンバーは、今、BOØWYに何を思うのか。
俺達は、今のBOØWYに何を感じながら、
何が変わったのかと戸惑うのだろうか。
なぜ変わってしまったのだろうかと蔑むのだろう…。
そう、
全ての答えに繋がるのは、
「それぞれの今。」
変わってゆく者と、変わらない者。
変えてしまった者と、変えぬ者。
変えたくない者と、変えたくない、モノ。
いつまでも変わらぬモノとして在り続けると思っていた、
色褪せてしまったモノ。
でも俺達は、それを抱き寄せる人がいる限り、
その人の拘りを認めてゆくだろう。
そう、
一切が変わろうとしても、
そこに変わらぬ、
その人がいる限り。
「BOØWYは俺の全てだった。」
氷室京介が語った、
その言葉は、
これからも、色褪せずに、
輝きつづけることだろう。
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