7年前から抱えていた耳の不調から、ライヴ活動を無期限休止とした氷室京介。
『KYOSUKE HIMURO×WOWOW 25th Anniversary Special Part3
-Document of FINAL DESTINATION-』
11/7まで「WOWOWメンバーズオンデマンド」で配信中 ※BSでの再放送は1月を予定
http://mod.wowow.co.jp/detail?pg=005956&ep=001
先日放送された、「氷室京介×WOWOWスペシャルpart3」では、
インタビューでその詳細に触れ、更に、
2014年3月11日仙台チャリティー・ライヴでのリハーサルの映像の時には、
その苦悩をも晒したと言える現場での生のやり取りが流れて、
全50本のツアーをスタートする、その初日前のチャリティー・ライヴから、
耳の状態はかなり悪かったんだなと観て取れた衝撃のシーンを突きつけられた。
百聞は一見にしかず、とは言うけれど、
こうして映像でそのステージでのやり取りを見せられたのでは、
どんなにプラス思考の氷室ファンであっても、
"ヘコマナイ" と言ったら嘘になるだろう。
そんな現実の後に語った専門知識を要するややマニアックなインタビュー。
「リハーサルで例えば、自分がバッキングで入ってるボーカルに対して、
12mm sec前で歌おうと思ったらそれが出来たんですよ。
今は…それが、出来ないので…。
レコーディングなんかだとそれこそ、5mm secのずれなく、
ピッタリと歌えるもんなんですよ、
タイミングの取れるボーカリストは(微笑)。
それが出来なくなってきてるんで。
そうすると人にいくらリクエストを出しても、
今度、自分がちょっと情況が変わったらもう出来ない…わけで。」
音楽の専門用語も出てくるインタビューで、
素人氏にはちょっと高度にも感じる一コマだったが、
それでもなんとなく言っていることは分かるのではないだろうか。
その辺の詳細に関しては、或いは音楽ライター田家秀樹氏が、
ラジオ等で丁寧に解説してくれるかも知れないだろう。
しかし最も注目したいのは、、そう、
『ピッタリと歌えるもんなんですよ、タイミングの取れるボーカリストは。』
と語った後の、氷室の、その、微笑みである。
嬉しそうに自己分析をする氷室というか、
或いは、"嫌みの無い自慢話" とでも言おうか、
氷室京介のキャリアを積んだ、
まさにボーカリストとしての自信、、貫禄が垣間見えた、
誇らしげな二十五年目の微笑みがあったのだ。
「ボーカル=歌が上手い」。
それももちろん重要だけれど、
氷室が見ているのはその先の領域なのだろう。
それはそういったテクニカルな部分だけではなく、
他の場面でのインタビューでも語った、、、
或いは、「氷室京介ぴあ」でも語っていた、、、
そして、、、俺も前々から幾度となく綴ってきた、
http://blog.goo.ne.jp/midnight_xxx/e/2e014893c6bfa7bf365c7e2e9cc3d27b
そう、氷室京介のボーカルが醸しだすグルーヴ、、、
それは突き詰めればすなわち、
BOØWYのグルーブ感とは何であったのか、という、
確信にも迫る話にも繋がっているのである。
2013年8月20日に発売した「氷室京介ぴあ」で、氷室は初めてその思いを語った。
『シャッフルの曲はポイントポイントで結構好きで作るんだよね。
もともと俺の歌のビート感って、8ビートを歌っていても、
どちらかというと弾む、スウィングして引っ掛けながら歌う癖があるので、
それ自体がビートに絡んで俺の歌がずれていくところが、
俺の歌のグルーヴだと思っていて。
比較的BOØWYってバンドは全員タイトに点を打っていくバンドなんだけど、
評論家的な見地から生意気に言わせて頂くならば、
そこに俺の歌がスウィングすることであのグルーヴが生まれたんだと思うんですよ。
8ビートで平たく歌う時でも、全部が揃っちゃっていると俺はつまんなく感じちゃうんですよ。
(バンドの)後半になってくると、タイトに演奏するってことは、
みんな長くやっているとできるようになってくるじゃない?
たぶん俺を除く3人のメンバーはいかにタイトに演奏していくかってところに
フォーカスして頑張っていたと思うのね。
でも俺だけがそのタイトなところから逃げよう逃げようと(笑)そのリフをぶっ壊そうとしていた。
俺からするとそれは限りなくバンドの為に犠牲フライを打っているつもりだったんだけど、
今考えると「ヒムロックって何でこんな歌い方しかできないの?」
って評価だったのかも知れないなと(笑)』
それを読んだ俺は、
http://blog.goo.ne.jp/midnight_xxx/e/c4d768c6ffc92a9cbd979c9286605879
拍手一発で頷いて、横にいた相棒に、
「ほらね」と言わんばかりに、
誇らしげに、、そしてイヤラシゲに "嫌みのある自慢話" をしたのは、はや昨年のことだろうか。
まあ、冗談はさておき、
BOØWYのグルーヴ感とは氷室のボーカルだったというのはまさにその通りで、
事実、以前にも語った話だけれど、
それを他の "プロ氏" 達も感じているんだと分かるインタビューは、
サポートメンバー、本田氏と西山氏の両氏によって既に絶対的なモノになっている。
http://blog.goo.ne.jp/midnight_xxx/e/bcdb6798420da2621d74d0b45c52a7ed
それでも人によっては、その楽曲の、
何が見れるのか、何を見てるか、或いは何を見たいのか、、、と、
それぞれの捉え方があるかも知れないだろう。
しかしそれでも、「BOØWYのグルーブ感」とは何か、、
そもそも、グルーヴ感とはどういうことなのかだけを改めて考えてみれば、
その雰囲気という観念が行きつく着地点に、
氷室京介の声があるべきことは、しかるべきことであり、
俺達リスナーもまた、そこに着地して初めてBOØWYを捕らえたとも言えるのだ。
つまりはそう、
そこの領域とはやはり、、
センシティビティが優れた者達だけが到達できた、
アバンギャルドな世界であったと言えるのである。
http://blog.goo.ne.jp/midnight_xxx/e/a84babf1219f23a0c53727f5101b72f0
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