高橋まこと氏がBOØWY解散後に加入したバンド『De+LAX』。
そんなバンドでドラムスを務める高橋氏は、
2013年2月8日の日をもって、
同バンドを脱退した。
http://blog.livedoor.jp/atomic_drum/archives/52396725.html
福島復興支援の中で、色々な問題、難題を抱えながら、
個人的に支援をしてきた高橋氏。
そんな支援の方法論として、
時には、アマチュア連中と共に、BOOWYを演奏したり等、
まあ、俺としてはやや首を傾げる話もあったというのが正直なところだけれど、
それでも、そこまでする思いというものは、
俺も含めた他人には分からないとうのも、その通りだろう。
つまり、他人が感じるような美学をも超越した、
更なる思いがあったのだろうというような話だ。
高橋氏にしか分からない思いは、
当然、『De+LAX』メンバーにも、分かるわけがない。
これは、高橋氏に限らず、「他人」というものはそういうことだろう。
自分以外は全て他人なのだから、
本当の思い、繊細な思い、隠した思い等が分からないのは当然なのだ。
それでも、どう映るのかというところや、
或いは、自分に対しての納得であったり、
決して体裁とは違う、美学に繋がっていたり、
或いはプライドであったり等、
そこの価値観により、その先をどう形に現わすのかというところで、
人間というものは衝突が起きてしまうのである。
譲れない物は譲れないという価値観の違いという物が、
バンドの解散や脱退等の理由で挙げられるというのは、
決してお約束のコメントではないという話も、その通りではないだろうか。
松井恒松という男がいる。
そう、言わずとも知れた、元BOØWYのベーシストのこと。
常々思うのは、
松井氏という人は、
自分で超えたくないラインという物を持ち、
そこに価値観を置き、
そしてその美学を貫く人だなという、
そんなBOØWYに対しての熱い思いのような物を持ってる人だなと感じる。
ある時に、氷室は言った。
「今の自分がどうあるのかというところは、過去の説得力にも繋がっている」と。
そのやり方は違うけれど、
氷室京介が、今のBOØWYを守る為にボウイを歌うのだとすれば、
松井恒松は、BOØWY時代の想い出を壊さぬ為にボウイを邪険に扱わない、
何か、そんな互いのBOØWYに対するプライド、、、
いや、自分たちが歩んで来た道に対する示しとでも言おうか、
その大きさは違えど、そこにそんな美学をも感じるのが、
この2人と、BOØWYに対しての共通点だと "俺は" 思うのだ。
一方で・・・、
[つづく]
※続きはあまりにも過激な内容の為、
掲載を見送る場合もあります。御了承ください。
amazon.co.jp