インターネットの掲示板等を見て、常々思うのは、
何故そこまでして個人を叩くのかという過剰反応だ。
その多くに見受けられるキーワードとしてあるのが、
「ヤンキー」や、いわゆる「DQN」と言われる人達に対してのこと。
ここで勘違いして欲しくないのは、
どこからどうみても、そのような成りをしたモノを見て、
ヤンキーだ、DQNだとレッテルを貼るのならまだ分かる。
もちろん、その先に何を言おうが無法地帯ネットでのルール。ここで語るべき話でもない。
俺が気になるのは、明らかに普通な感じなのに、
そんなモノ達に対しそう言いきってしまう人達のこと。
例えば、白のエスティマのホイールが社外のそれに「※交換してあるだけ」で、
※車検対応、ローダウン無し
一部の人達には特殊(DQN)だと見えるらしい。
一体、その人達の過去に何があったのか。
ヤンキーに対しどんなトラウマがあるのかは分からないが、
昨日発売した雑誌『MUSIC MAGAZINE 3月号』でも、
やたら「ヤンキー」を連呼して、己の主張を誇示したいだけの、
結論アリ気の文章を書いているライターがいた。
そう、お馴染み、
「マスターベーション・ヤカラ・ライター氏」のことだ。(以下、輩氏)
僅か1ページと少しの文章の中で、
16回も「ヤンキー」という言葉を使い続けた輩氏は、
流れとして、その言葉が出てきたと言うよりも、
本文とは別な場所にある主張をしたい、、
何かそんな個人的な恨み節のような私怨(しえん)をも感じてしまうといった風にも見えた。
文章を書くプロならば、
あまり同じ言葉を連呼すると、形としてもカッコ悪いのはもちろんのこと、
サブリミナル効果よろしく、
その文章に別な意図が隠されているのではないかという誤解を与える為、
仮に、どうしても頻繁に使わなければならないような構成の場合は、
「それ」とか「そんなスタイル」とか、色々な言い方、表現方法に変えるのがセオリーだろう。
しかし、なんのお構いも無しに、
たった1ページとちょっとの間で、その言葉を16回も言い続けた、輩氏。
やはり、先にも言ったように、
個人的な恨み節、或いは、
ヤンキーに対してのトラウマ等があるのだと考えるのが自然という結論に導かれてしまう。
しかし、そういう個人的な恨み節を、
何故、書店で売っている本でやってしまうのだろう。
さらに輩氏は、そんな本だけでは飽き足らず、
自身のツイッターでもその言葉を連呼し、拘ってしまっているのだった。
全て、輩氏自身の導きたい結論アリ気でのロジックという、
いや、、ロジックという体を成していない、、
そんな屁理屈以外の何物でもないマスターベーション・ショーを、
全世界に向けて露出しているのだ。
ファンからのリクエストで選曲されたと言われている、
3月21日に発売のCD『BOØWY THE BEST “STORY”』というCDにさえも、
「ヤンキーサイドの曲ばかりで、
リスナーがボウイに何を求めているのか分かるね」と呟き、
マスターベーション・ショーのクライマックスでもある "自己完結" という、
そんな "絶頂" をも見せてしまっているのだから驚きではないだろうか。
しかもこの輩氏。
業界の人間にも関わらず、
そのリクエストに、なんの疑いも持たず、
そこに並んだ曲目は、
リスナーのリクエストだけで構成されていると信じてやまない、
そんな純粋さを持ち合わせた "本物" でもあるのだ。
輩氏に何があったのかは分からない。
しかし、公けの場所で、
それを言ったその時は気持ち良くなれたとしても、
いずれ自分の評価として、そのジャッジが下された時、
それもまた、新たなトラウマとして、
輩氏の中に生きづくことを知っているのだろうか。
トラウマというものは自分が作り上げているモノだということに、
純粋な輩氏は、いつ気が付くのだろう。
そう、
トラウマが呼び起こした新たなトラウマ。
そんな無限ループの中から脱出するのは自分次第なのである。
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