「性格の良し・悪し」
「容姿の良し・悪し」
「良い人、悪い人」・・・
って表現って、私にとっては凄い違和感でした。
良い悪いって正誤って思ってた。
ただ、それを判断する人から見た「良い・悪い」
つまりは「その人にとって都合の良し、悪し」なのに、それだけで正誤に変換されてしまうって・・
なんか違う、凄い違和感。そして、表面的な浅い表現のようにも思えたんですね。深く響かないっていう感覚。
人の好みってそれぞれですし、そもそも人って多面的で長所短所表裏一体なので、
何をもって良い悪いって判断しているのか、ず~っと違和感あったんですね。
良し悪しではなく、好みのトコロだよなぁ~って。
で、その好き嫌いも減って、究極総て、都合が悪いことですら「それで良い」ってなるような気がするなぁ・・と。
各コミュニティーにおいても、そのコミュニティーにとっての「都合良い・悪い」がルール化されているものです。
良い悪いの原点、発祥は、ここのような気がします。
ルール化って「コミュニティーが円滑に繁栄するよう」思いやりから出来ているもの、なはず。
それが、いつのまにかジャッジになってしまって裁き合い、足の引っ張り合いが、これまた「良い悪い」って判断されがちで・・・
私には窮屈さハンパなくって、好みぢゃない(笑)。思いやりの心はいずこへ・・・?
まぁ、良い悪いでも、好みじゃないってだけで別にどっちでもイイので、
人からそのように表現された時には「この人にとって都合が良い悪い、なんだなぁ」って今では思えるようになりました。
そして、その人は○○ということが都合が良い/悪い。
私は、△△ということが都合が良い/悪い。
お互いに「そうなんだね~☆」って、
それぞれの都合良い/悪い、があるんだなぁって、違いも共通点も、ただただ知っていく。
これがコミュニケーション、自然で楽で楽しいなぁ♪って、思うのです。
あなたは「良い悪い」について違和感を感じたことって、ありませんでしたか~?