静岡市・教覚寺さまの風景

2009年10月18日 23時59分59秒 | Weblog
教覚寺さま2日目は少年会に始まり満日中のお勤め、法話、お齋(とき)というスケジュール。午前九時前から三々五々子ども達がお父さんやお母さんに付き添われて来寺。子ども達は前の席で付き添いの父母や祖父母さんは少し離れた後ろで一緒にお参り。子ども達に10分間の法話をと依頼されたのだが、子ども達や付き添いの皆さんが、一生懸命耳を傾けてくださるので、思わず5分も超過してお話しをし、後のプログラム進行に少し影響を及ぼしてしまった。

満日中は昨日も大勢のご参詣であったが、それにも増しての参詣者数で250人近くの方々がお聴聞下さる。こうした都市部では珍しく(?)昨日から引き続いての参詣者が多くあり、日頃の寺院教化活動の充実ぶりを伺う。

教化団体の数は少年会(小学生中心)・十代の会(少年会OB)・光輪会(ジュニア仏青)・みのり会(若婦人)・婦人会・壮年会・覚寿の会(婦人部・壮年部のOB)・讃歌隊(ご住職は音楽家)・お朝事会・門信徒会など10に及んでおり、それらの各団体は毎月例会を持たれており、複数の団体に所属されている方は月に何度もお寺においでになるとのこと。

このような充実した活動の成果であろうか、法話をはじめる前にはお称名の声が大きく聞こえ、また昨日門前で写真を撮っているとき、壮年の方々が法要運営のためであろう、早めに自転車や自家用車でおいでになっているところを見かけたが、なにかしら皆さん方スキップ状態でおいでになっている風で、心底お寺が好きで仕方ない様子であった。

これは、堅実に物事を思考され行動に移される南荘ご住職と、そのご住職の無理難題を朗らかに受け止め共に歩んでらっしゃる坊守さん。つい先だってご結婚されたご長男夫妻、仏教青年会連盟で広報部委員として現在の機関誌「まこと」リニューアルの礎を築いてくれたお嬢さん(?・・嫁いでらっしゃるから、この表現は如何かと:小生が指導講師時代にご一緒した)、それに明るく豪快な前坊守さん。これらの寺庭の方々の熱が、ご門徒方に伝染してしまっているようで楽しい。

こちらの寺歴は古く、親鸞聖人が関東を後にし京都にお帰りになる途中、安倍川が増水していたため、聖人ご一行が渡れるようお手伝いをなさったことがご縁となり浄土真宗に帰依され自宅を転じて一寺を建立し念仏の道場とされた「光信房」を開基(西暦1234年)とし、現在775年の歴史を数える。

その光信房が後に京都に上がり聖人の身元でしばらく過ごし、帰郷するとき聖人が「御形見」として『唯信抄文意』を書き与えられ、これが現在寺宝として保管されている。ご住職にお願いして拝見させて貰ったのだが、レプリカではなく聖人の直筆のものを目の当たりにしながら、聖人を偲ばせて貰えた有り難い報恩講であった。

             『唯信抄文意』親鸞聖人真跡本


「法縁廟」」(平成11年開設)
無縁墓ではなくご門徒方の共同墓地

境内前の通りに設置された消火栓への広告・・・街中ならでは  

詳しくは教覚寺さまホームページへ←くりっく

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