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幕末史跡めぐり・其之十七~土佐編③Part.1

2009年02月12日 | 幕末~明治史跡めぐり
2月12日(木)1/2
今日はまず市内の史跡をハントしてから西部に向かうことにしました。
6:00起床し、今日は夜行バスで「高知」を発つんで荷物を持って7:00出発しました。

まず『龍馬生家』付近でハントし忘れていた『日根野道場跡』を探しに行ったんだけど、もう何も無いんだね…
『龍馬像』は『龍馬の生まれたまち記念館』近くのホテルにあったモノです。

7:30「はりまや橋」を過ぎ…
『岡田以蔵墓』『板垣退助墓』をハントしに「薊野」に行ったんだけど、どっちも発見出来ませんでした。
8:10「8:44」発の「JR土讃線」に乗るため、捜索を止めて「高知駅」に向かいました。
そして「高知駅」に着いてから駐輪場に自転車を置き、荷物をコインロッカーに預けました。

8:44「高知駅」を出発しましたが、直通じゃなかったんで、また「後免駅」から「土佐くろしお鉄道」に乗換えました。

ご覧のように全ての駅キャラがプリントされてるんですよ。
そして、9:12「のいち駅」で降りました。
「のいち」のキャラは「のいちんどんまん」です。

9:25『龍馬歴史館』に着きました。

『龍馬歴史館』は『龍馬』の人生を「180体の蝋人形」を使い、26シーンで紹介しています。

それだけに?入場料¥1,050です。

1.建依別に男ありき
“幕末の英雄”『坂本龍馬』は「土佐」が生んだ「奇跡」である。

2.長宗我部時代から山内時代へ
「関ヶ原の戦い」の後、「山内一豊」が「土佐」へ入国します。

3.遠祖、百姓から・商人・新規郷士へ
「才谷屋」は城下屈指の豪商でした。

4.龍馬誕生
天保6年(1835年)11月15日『龍馬』誕生
母「幸」はお産の前に「龍が真紅の炎を吐きながら胎内に躍りこんだ夢を見た」といいます。
誕生時、『龍馬』は顔中一面に「ほくろ」があり、背中には「馬のたてがみ」に似た毛が密生していました。

5.夜明け前の偉人誕生
『龍馬』3歳の時『板垣退助(一番右)』『吉村寅太郎(右から2番目)』が誕生。
『龍馬』4歳の時『後藤象二郎(左から2番目)』『中岡慎太郎(一番左)』が誕生。
中央は『ジョン万次郎(1828-1898)』です。

6.野市の志士達

7.姉・乙女
『龍馬』12歳の時、母「幸」が死去。
「乙女」は母親代わりとなって厳しく『龍馬』を教育することを決心しました。
「乙女」は『龍馬』より3歳年上で身長175Cmで体重100Kg以上あったといわれています。

8.寺子屋の落ちこぼれ、龍馬
『龍馬』は12歳の時「小高坂の楠山庄助塾」へ強制的に入塾させられました。
『龍馬』はこの環境になじめず、半年後には退塾しています。

9.京橋桶町
嘉永6年(1853年)3月17日「江戸遊学」のため「溝渕広之丞」と「土佐」を離れた『龍馬』は『千葉道場』に入門しました。
『龍馬』は入門後の「初稽古試合」で少年とおぼしき剣士に一本も取れずに終わり、面を脱いだ相手を見て驚きました。
それは、道場主「千葉定吉」の娘「佐那」でした。
「佐那」は生涯独身を通しましたが、甲府市にある「さなこ」の墓碑には「坂本龍馬室」と刻まれています。

「真田広之」も『龍馬』役やってたんだね。(相当古そうだけど…)

10.河田小龍を訪ね時局開眼
『ジョン万次郎』の取調べをした『河田小龍』は『万次郎』によって世界の広さを知り、後に『龍馬』はこの『小龍』によって世界に目を展くことになります。

11.土佐勤王党・血盟
1860年3月3日『武市半平太』は『土佐勤王党』を旗揚げしました。
『龍馬』は9番目に名を連ねています。

12.姉・栄の自刃
文久2年(1862年)3月24日『龍馬』は同志「沢村惣之丞」とともに「脱藩」しました。
既に事計を察知していた兄「権平」が家中の者に「龍馬に刀を渡してはいかん」と根回しをしていました。
ところが次姉「栄」が、密かに『龍馬』に家伝の宝刀「備前忠弘」を用立てました。
「栄」はこの責任を取って、『龍馬』が「脱藩」した夜に「自刃」して果てました。

13.吉田東洋暗殺
『龍馬』が「脱藩」して15日の夜、「吉田東洋暗殺事件」が起こりました。
刺客は『那須信吾』『安岡嘉助』『大石団蔵』でした。

14.勝海舟と運命の出会い
『龍馬』が『勝海舟』を斬る覚悟で勝邸に出かけ、『勝』の先見と洞察力に触れたのは『龍馬』28歳の時でした。

15.岡田以蔵宣振
『岡田以蔵』は少年時代「武市半平太道場」で修行していました。
身分の低さから「剣の道」に己の人生を託し「人斬り」として「土佐藩」の多数の要人を暗殺しました。

16.土佐勤王党党首・武市瑞山
『土佐勤王党』を結成し、『吉田東洋』を暗殺させて「土佐藩」の主導権を握り、「京都」では『岡田以蔵』を使って「天誅・暗殺の黒幕」として君臨した『瑞山』でしたが、藩主『山内容堂』の命により捕縛・入牢の末、慶応元年(1865年)5月11日「切腹」させられました。

17.日本商社の原型「亀山社中」
慶応元年5月「薩摩藩」の援助のもとに『龍馬』とその仲間達が創設したのが、「日本で初めての株式会社」とも言われる『亀山社中』です。

18.薩長同盟成立
慶応2年(1866年)1月22日『龍馬』は「薩摩」の『西郷隆盛』と、「長州」の『桂小五郎』を仲介し『薩長同盟』を成立させました。

19.寺田屋の変
慶応2年1月22日の夜『龍馬』は「京都」の「寺田屋」で伏見奉行の配下に襲撃されました。
風呂に入っていた「お龍」が異変に気付き、『龍馬』と、同席の長州藩士「三吉慎蔵」に急を知らせました。
『龍馬』は裸の「お龍」に自分の羽織を投げ与えて「ピストル」で応戦し、「左の指」と「右手」に受傷したものの逃れることが出来ました。
『龍馬』は姉「乙女」への手紙で「龍馬の命、お龍あってのもの」と書いていたそうです。

20.お龍と結婚
「お龍」のおかげで「寺田屋の難」をまぬがれた『龍馬』は、「伏見の薩摩藩邸」で「お龍」の懸命の看病を受けます。
2人は元治元年(1864年)『中岡慎太郎』の仲人で結婚しました。

21.日本最初の新婚旅行
慶応2年2月29日『龍馬』は「薩摩藩」の『西郷隆盛』『小松帯刀』らに勧められ、「お龍」とともに「日本で最初の新婚旅行」と言われる旅に出ます。
29日に「京都」を出て、「大阪」から薩摩藩船「三邦丸」に乗り、3月10日「鹿児島」に着きました。
そして「日当山」「塩浸」「霧島」などの温泉で遊びました。
この「新婚旅行」で『龍馬』は、生涯で最良の日々を過ごしています。

この「龍馬劇場」ですが、続きは“Part.2”にて。



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1 コメント

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竜馬伝 (小さな製作所)
2010-03-21 21:02:08
竜馬伝始まりましたね。
このブログの記事参考になりました。
竜馬伝毎回楽しみに見てます。
このブログも応援してます!

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