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救急の心

MESHヘリ 阿部ドクターのつづる、つれづれコラム

救急救命研修所に行ってきました。

2008-08-28 09:32:54 | Weblog
前回は救急のスタッフの看護師の筒井君が投稿してくれました。いろいろな人が参加しますので楽しみにして下さいね。

さて、先週は、北九州の救急救命研修所へ講師として行ってきました。
救急隊員が救命士としての研修を行う施設なのですが、日本には東京と北九州に2箇所あります。半年間研修所に住みこんで、合宿のようなかたちで研修を行い、最後の1週間で総合シミュレーションという形で実技試験を行うのです。
今回は、薬剤実習ということで、既に救命士となっている人たちが、5週間の薬剤投与の研修を終え、最後の実技試験でした。
その様子を写真に載せました。
試験の際は、一緒に学ぶ隊員が患者、医師、家族、関係者などの役割を演じ、約20分間の実技を行ないます。
本番さながらの緊張した時間です。彼らの真剣さが伝わってくるので、評価する自分も気が抜けません。

しかし、彼らは、研修を終え地元に帰った後、すぐに薬剤投与ができるのでしょうか。病院実習を行い、実際に心肺停止の患者さんに対する薬剤(エピネフリン)投与を経験して初めて、現場での投与を許されるのです。
地域によっては、心肺停止の患者の症例数に差があり、病院実習中に心肺停止の患者さんに遭遇するのは大変です。
実に、長い道のりです。どうして、こういうことに時間がかかるのでしょうかね。

地域によっては、患者の救命のためにも、救命士が除細動と同様に早期に薬剤が投与できるように、いろいろな対処策を考えているようです。

「早期に治療を開始する」
命に危機が及んでいる時の救命にはもっとも大切なことです。

救急の心 ナースバージョン(レスキュー看護師を目指せ!)

2008-08-25 20:32:52 | Weblog
「最強の看護師になれ」、先輩ナースからこう言われ、早や7年が過ぎようとしている。

 最強の看護師ってなんだろう?自分のなかで、自問自答しながら過ごしてきたこの7年間、先輩の言った意味が理解できずに時が経っていった。

 私が救急を目指したのは5年前、ちょうど沖縄に来たときにとある病院の救急に勤務したのがきっかけだった。しかし、ただ業務をこなす日々が続き、一般的な心肺蘇生でさえもままならない現状を目の当たりにし、こんなことでは駄目だ!と奮起することになった。救急の基本である「心肺蘇生法から見直しをしよう」そう思い、心肺蘇生法のコース立ち上げに奮闘した。そうしていくうち、自分自身もいろいろな医療のコースを受講し、ついにヘリコプター救急への道を歩み始めたのである。

 憧れていたフライトナース、少しでも早く患者さんの元へ行き、絶対に命を救うんだ!そう思い、さらに内地まで行って勉強をした。しかし現状はそんなに甘くはなかった。病院から出て、過酷な環境下でナースは一人だけ。その中で、救える命を救うためには、救急看護として学ぶべき事のほかに、まだまだたくさんの課題があった。その一つとして、「救助」を消防と共に行わなくてはならない現状があった。自分の安全を確保しながら、患者さんのフィジカルアセスメントを行い、さらに救出、搬送も行わなくてはならない。

 私は次に、この「救助」という課題に取り組むことにした。レスキュー看護師を目指しているのである。

 ヘリも運航して1年が過ぎた、そして新しい目標が決まった、看護師になり、7年が過ぎようとしている。いつだっただろうか、最近になり、先輩が言ったあの言葉を思い出した。「最強の看護師になれ」。今になって思う、「最強の看護師なれ」とは、「最強の看護師であれ」ではなく、最強になるために常に努力しろ、という意味だったのだろうか、と。

ヘリがバラバラだー

2008-08-02 11:27:57 | Weblog
われらが愛する機体、MESHヘリ(9963)は今、年に1回の点検整備に行っています。
車の車検のようなものですが、より一層安全に運行するため、車以上の手間ひまを要し、約1ヶ月間もかけて入念に行われます。
写真は、現在、名古屋の格納庫で、点検整備中のわれらが愛機9963です。
結構バラバラな状態になっているので、びっくりしました。
再度組み立てなおす作業も大変と思いますが、1年間の安全運行を願って汗だくだくで働いてくださる整備士の方に感謝です。

9月に再会できるのが楽しみです。

外傷学とは? Traumatologyとは?

2008-07-26 01:14:41 | Weblog
 今日は、少し専門的な話になってしまった。

 日本の医学教育では、ここ最近、外傷(交通事故や転落事故などの傷害)に興味を持つ人々が増えてきた。
 以前は、日本の医学の分野では、交通事故などの外傷患者に対する標準的な教育は行われていなかった。救急の分野で、癌の手術だけではだめだ、救急の外傷患者を救いたい、という人々(主に外科医)が先駆者となって、日本での外傷学は発展してきた。しかし、当時の日本では体系的な教育がなく、皆経験を重ねることで、主に救命救急センターという職場で教育を受けてきた。
 僕は、医師となって最初の4年間は救急部に所属し、様々な外傷患者を診てきた。しかし、患者を救うためには外科医としての修行が必要だと考え、その後、外科の道にすすんだ。外科医として7年間、胸部外科(肺癌、乳がん、縦隔腫瘍など)、腹部外科(消化管、肝胆膵など)の腫瘍学を中心に、緊急手術もこなし修行した。その中で、交通事故の少女を救えなかったことが原因で、外傷外科を自分のすすむ道と決め、外傷学とは何かを求めるようになった。
 日本の外傷に関する教科書を読み、外国のテキストを読んだりしながら、いつしか外国で外傷の勉強をしたいという気持ちが強くなった。当時、日本には医師を対象とした外傷のコースがなかったため、香港に行き外傷コース(ATLS:Advanced Trauma Life Support)を受講した。
 その後、オーストラリアに渡った。オーストラリアは、米国と違い、銃や刃物などによる鋭的損傷(外傷)よりも、転落、交通事故などの鈍的損傷が多く、その外傷形態が日本に近かったのが、オーストラリアを選んだ理由だ。
 その施設は、オーストラリアの南東の地域の中心となる外傷センターで教育病院だった。そこには、外傷外科医になるために外科医が外傷センター(Trauma Office)にローテーションでやってきていた。しかし、日本と違っていたのは、その施設にいるすべての外科医が、外傷治療のトレーニングを受けており、緊急の外傷の手術に習熟していたことだ。

 ある日、交通事故の患者が搬送されてきた。
 その患者は、比較的血圧が安定していたため、救急外来を担当した医師は、初療で検査をオーダーし、患者をストレッチャーで移動させていた。比較的、のんびり時間をかけていた。私が、腹部を触診した際、腹膜刺激症状(腹膜炎のときの所見)を疑わせる所見があり、Directorのマイケルにそのことを告げた。すぐにCTをオーダーし、腸間膜損傷を疑い開腹することが決定された。マイケルは私に執刀するように言った。
 手術に入る前、一緒に手洗い(手の消毒のこと)をしている時、マイケルは言った。
「Yoshi、これがTraumatologyだよ。」と。
「あー、そうなんだ。これがTraumatologyなんだ。なにも、難しいことではないんだ。」本や教科書を読んでいただけでは、わからなかったことが、この一言で、目の前の霧がスーッと晴れたような気持ちだった。
 私の留学は、この一言で達成した、と思った。オーストラリアを去るとき、
「君はファミリーだよ」と言ってくれたこともうれしかった。

 外傷学は、外科医だけのものではない。外傷患者が運ばれてきた時に、何が最も緊急性があるのか、何を先に検査をしなければならないのか。その優先順位を選択し、マネジメントし、患者が助かる最善の方法(治療法)を選択し、実行する学問である。

 今の日本で、そのトレーニングの場はどこにあるのか。CTや血管造影などの設備が整った外傷センターなどの施設を造り、外傷患者を集めて、そこに外傷を学ぶ医師を集約するのも一つの方法だろう。しかし、設備の整った恵まれた環境で外傷外科医は育つのだろうか。設備のない、整形外科、泌尿器科、呼吸器外科、消化器外科、脳外科、形成外科のいない施設にも外傷患者は運び込まれているのが現状だ。
 
 今、伊江島という離島に時々、診療で行っている。もし、外傷患者が来て、夜中や、搬送に間に合わない時は、自分でやるしかないと覚悟している。
 しかし、大きな病院にいる時は、各科の先生に任すところは任せるというスタンスを取ると思う。その時、外傷患者の全体を見て、何を優先すべきかを常に考え、患者のそばを離れないことが自分の役割だと考える。
 それが、外傷学Traumatologyを目指してきた、自分の果たすべき仕事だと思う。
2008年7月26日

『無差別愛人』

2008-07-24 21:26:27 | Weblog
今日は、一緒に働く脳外科医の伊地知医師の投稿です。
昨年の10月に、鹿児島の脳外科専門の病院から転勤してきました。
転勤してきた当時の気持ちを書いたものです。救急部の中で、薩摩義士の如く、一本気で頑固な情熱家です。ご一読ください。

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『無差別愛人』

北部地区医師会病院 救急部/脳神経外科 伊地知 寿

研修医時代に指導され永年守ってきた教えがある。
医師とは生きている患者さんに接する仕事、
亡くなられた瞬間に家族からはもはや邪魔者、むしろ立ち去るべし。
以後20年近くそれを盲信し、脳神経外科の末端を担ってきた。

さて、久々に熱き人々に出会い、惹かれてこの地へ赴いた。
古くからの夢・救急医療の道に進み半年。
最新鋭の機器を投入して救急医療の最前線を進み
わが身の危険を顧みず現場へ突入する仲間。

無謀な夢を追い続ける中年のバカ者軍団は
それをひとつずつ実現していく緻密さと活力をも持っていた。

土地を愛する心、広く無差別に人を愛し人を宝とする心
救急医として、医療人として、
いやその前に人としての気持ちを常に大切にする仲間。

患者は現場で倒れている、真っ先に患者のもとへ駆けつけるんだ
という救急の心を語ってくれる仲間。
不慮の事故の幼児に、無理だとわかっていても止められずに
蘇生を一心不乱に頑張った仲間。
深夜勤務の疲労と憔悴の中でも、
御遺体に、最後だからねと入浴介助を快くかってでる仲間。
そして、遠方の家族の到着を待たずにひとり急死した御遺体に
『仏も寂しいやろ…』と霊安室で枕を並べた仲間たち。

それは独特の生命感の現れか
いや、彼らのひとへの普遍的な愛情の深さなのだろう
とことん人を尊重し、愛しぬいたとき、
死をもってあっさりと幕を引いてしまえる訳がないのであろう

人間嫌いだったはずの自分が、
生きている間に限定して付き合ってきた僕の患者さんへの気持ちが
少しずつ変わり始めている。
それから、医師として力及ばず亡くなった患者さんの
お見送りの儀式に臨む自分の心も変わったのに気付いた。


うがん、うさぎた

2008-07-17 12:02:23 | Weblog
先日、ユタをかって、うがん(拝み)をうさぎた(いたしました)。
自分は、奄美の出身で、奄美にも同じユタの風習があるので、違和感はありませんでしたが、内地では珍しいことでしょうね。
ユタの風習は、日常の迷っている事を決断する際の助言をもらったり、悪いことが続いているがどうしたら改善するのかを相談をしたり、また、亡くなられた方の霊を供養していただいたり、沖縄や奄美では、ごく普通の日常の出来事になっています。
救急外来では、やはり亡くなられる方もあり、霊の供養と、清めの意味もこめて、厳かに行われました。みんなまじめに手を合わせて一生懸命お祈りしていましたよ。救急室で働くスタッフにとっても、気持ちを切り替えて新鮮な気持ちで再スタートが出来たらと思います。

昨日、7月15日は、MESH救急ヘリの出動は2件でした。今日からヘリの運行は一時休止です。ちょうど1年と1ヶ月の活動でした。救急ヘリが飛ばない期間は、現場から要請があれば、ドクターカーで対応していきます。
NPOとしての活動は継続していきます。再開へ向けて、我々の気持ちはもう動いています。いろいろな方の思いを受けて、今まで以上に使命感を持って頑張っていきたいと思っています。
       2008年7月16日

オーマイガー!!

2008-07-14 09:30:09 | Weblog
1年前沖縄に来てから車を手に入れた。那覇空港で使い古され、廃車になっていたのを譲り受けたものだ。ところどころ、錆がきて少し穴の開いているところもあったが、なんとか、整備点検を受けるとしっかり走る。ブルーの横線も案外かわいい、と気に入っていた。
この1年間、何度かエンジンがかからず大変な時もあったが、なんとか切り抜けてきた。最近調子がいいな、この車も捨てたもんじゃない、と思っていた矢先のことだった。
それは、ある日の午後突然にやってきた。

ギアを「R」に入れてバックしたまでは良かった。さて、「D」に入れて前に進もうかなと思ったら、なんと、そのまま後ろに進むではないか。アレレ~。「2」に入れても一緒。「N」に入れても後ろに進む。なんと「P」でも止まらない。何かの間違いではないか。エンジンを1回止めてみよう。もしかしたら、車も勘違いに気付くのでは…。
なんと、今度はエンジンがかからなくなってしまった!ウンともスンとも言わない。
「オーマイガー!!」

近くに、車の販売店があったので、見てもらったけど、電気系統は大丈夫だし、何でだろうね、と首をひねる。あー、原因がわからないんだ。いよいよこの車とも、おさらばする時がやってきたのだと、切なさが脳裏を横切る。

修理工場から電話がかかる。どうも、わが愛車の不調の原因が判明したようだ。
「ギアのシフトレバーが折れていたみたいですよ」
そんなことって起こるの?まーでも、あの車なら仕方ないかなあ。あー、だからギアがRに入りっぱなしだから、エンジンもかからなくなったのか。妙に納得、納得。

幸い、修理代はそんなにかからないようだから、もうしばらくこの車に乗り続けることにした。

次はどんなことが起こるのか、不安でいっぱいだけど、事故だけは起さないように安全運転を心がけよう、と胸に誓う今日この頃である。
                         平成20年7月12日(土)

名護ジャスコでの募金活動

2008-07-07 10:31:17 | Weblog
5、6日は名護市のジャスコで、募金活動を行いました。フリーマーケットも兼ねていたので、みんな家からいろいろなものを持ってきたり、手作りのストラップをいっぱい作って、元気に頑張りました。お疲れ様です。今回も、多くの方のご協力をいただきました。ジャスコの担当の方も、ありがとうございました。隣で、フリーマーケットを出展されていたおばさんも、売り上げの少ない中、募金をしていただきました。

募金総額は2日間で ¥163176(フリマの売上含む)になりました。
皆さん、ありがとうございました。

募金活動は、現在特定の場所でしか行っておりません。MESHサポートのホームページで案内していきたいと思っています。それ以外の不特定の場所では行っていませんので、MESHサポートと偽った活動には、ご注意下さい。

今日は、ヘリ要請がありました。お亡くなりになられたのがとても残念で、胸が重く、そのまま当直業務をしています。

ヘリ業務が終わり、トランシーバーを返そうとCS室(通信センター)に入った時、CS担当の安部さんが、「パラグライダーが落ちたようです。出動できますか?」と言った。
救急隊は現場には到着しておらず、詳細は不明だった。
すぐに出動する。上空から現場を確認すると、パラグライダーが山の斜面に落ちているのが見える。近くで救出にあたっている人がタオルを振っている。救急車が近くを走っている。機長が、今から救出に向かうことを、マイクで救助者に告げる。近くの小学校に着陸後、関係者の車で現場に向かう。事故は山中で起きていた。現場に行ったときは、ちょうど救助されたところで心肺停止状態だった。左胸部から頸部にかけて皮下気腫があり、左胸部の肋骨骨折を認めた。頭部、腹部、骨盤、四肢には明らかな外傷なく、胸部外傷による心肺停止と思われた。経口挿管の後、すぐに左胸部を開き、開胸心臓マッサージを開始する。
ヘリ内で、一時期心臓が動き始め、救急外来に到着後も治療を継続したが、救助などの時間に1時間以上も要しており、蘇生は困難であった。

沖縄北部には、観光客の集まるスポットが多く、特に自然の中でのレジャーでは、事故の際、救助救出に時間と困難を要します。現場に我々がいち早く出動し、救助隊と共に活動することで助かる事案もでてくると思います。
今日の出動で、時間との勝負がいかに大事か、命の重さを痛感した一日でした。
2008年7月6日(日)

ハブ咬傷

2008-06-30 09:48:55 | Weblog
今日の現場出動は国頭の楚洲での「ハブ咬傷」。
川べりでトレッキング中の観光客が、右手背部を「ヒメハブ」に咬まれたとのことだった。

ヒメハブはハブやタイワンハブに比較すると、毒性が弱く、局所の疼痛・腫脹にとどまる場合が多いが、重症化する場合もあり、咬まれたら早期の病院受診がすすめられる。
ヒメハブはハブと違い攻撃性がないため、おとなしくしていると咬まれない事が多いが、存在に気付かず手を伸ばしたりして咬まれる場合がある。
咬まれたときは、2箇所の歯形があることが多く、救急処置は、受傷した側の中枢側(心臓に近い側)をタオルなどでしばり(あまりきつく締めすぎない)、傷口から血を吸い出す。吸い出した血の毒性に対しては心配しなくてもいいといわれている。

既に、前腕部まで腫脹が広がっているとの情報だったので、抗毒素血清(乾燥はぶウマ抗毒素)を持って出動した。
ヘリ要請から11分後には現場近くのランデブーポイントに到着した。
静脈路ライン確保後、輸液と抗毒素血清の点滴を開始し、咬まれた部位を局所麻酔後、メスで切開し、浸出液・血液を搾り出した。
ER到着後、当直の外科の医師が治療を引き継いだが、咬傷部位からの血液の吸引法は、自分が初めて目にするものであった。すばらしい方法なので、是非これを紹介したい。既にご存知の方には申し訳ないが。(写真)

5mlのシリンジ注射器と舌圧子を用意する。
注射器の先端をはさみで切り落とし、内筒を逆向きに差し込む。そこで、思い切り陰圧をかけて引っぱり、舌圧子を適当な長さに切り、つっかい棒の役割にして輪ゴムで固定してできあがり。
ちなみに、あとでその吸引の強さを実験してみたが、見事に皮膚が膨隆して、有効なことが分かる。

沖縄では救急隊は救急車内に吸引器を常備しているが、吸引器がない場合には現場でも有効かもしれない。

これから、山や川など外に出かけるときは、みなさん十分に注意してください、ね。

外科の先生!ありがとうございました。           
                           2008年6月29日(日)

*救急に名医はいらない?!

2008-06-28 10:41:43 | Weblog
ある土曜日の午前の救急外来。
70代の男性が左頸部の痛みを訴えて救急外来を受診した。
この日は、ちょうど救急外来が忙しく、看護師も検査や処置であわだたしく動き回り、医師は私一人だった。
診察室は患者と私の二人だけだった。
ゆっくり時間をかけて首の痛みを訴える患者の話を聞いてあげた。
「今日はどうされたのですか?」
「いやあ、なんだか左の首がなんといっていいのか、ちょっと何か変だなあと思いまして」
「痛むのですか?」
「いやあ、痛いという感じじゃないんですけど…」
手足の運動や感覚には異常がないようだ。血圧が160台と少しあがっているなあ。頭痛はないようだ。以前に心臓病の既往があるなあ。
「最近心電図とかとられているのですか?」
「今通っている病院で最近検査をしたばかりで大丈夫といわれました」
「いつのことですか?」
「1ヶ月前ですかねえ」
頭部CT、心電図など念のためにとってみようかな、と考える。
「それでは検査をしてみましょうか?」
患者は少し、首をかしげながら、
「うーん、なんだか先生とお話していると首の変な感じが取れたようです。私は心配性でねえ。実は、もともと元気であまり病気もしたことがないんですよ」
病は気から、ということなのかなあ。検査をすることをためらった。
「お住まいは近くですか?」
「いや、ちょっと離れているんですが、今日は親戚の家に泊まりに来ています」
「明日までにまた何か異常があったらいつでも来てください」
「わかりました。ありがとうございます」
握手をして、その患者は元気に帰っていった。忙しい合間の診療であったが、患者の話に耳を傾け、会話で患者の訴えを解消できたなあ、とさながら名医になった気分であった。

翌日の日曜日、仕事で救急外来に顔をだすと、夜勤の看護師が話しかけてきた。
「先生、昨日の患者さんでOOさんという方覚えていますか?」
「え?ああ、覚えているよ」
「実は、夜中OO救急センターからお電話があったんです。CPA(心肺停止)で搬送になったそうです」
「えー?本当か?連絡はつくの?」
「患者さんのこちらでの状況を聞きたいそうで電話番号を伺っています」
まさか、と高鳴る気持ちを押さえながら、病院に電話をかけた。どうも患者さんは昨夜実家に帰られ、そこで心肺停止になったようだ。搬送された病院ではCTなど精査をしたが頭部、胸部、腹部には異常がなく原因ははっきりしないとの事だった。
その後、しばらくして自宅にお邪魔しお線香を上げさせていただいた。とても暖かい家族だった。亡くなられた方の奥さんが、私に話しかけた。
「あの人はいつも大丈夫だ、大丈夫だと言っていましたが、気の小さい人だったんですよ。みんな家族がいる家の中で、ぱっとあの世に行ってあの人は幸せですよ」と、目に涙をためながら話してくださった。
私は、ただ、心に悔いる気持ちから言葉をかみしめながら話をした。
「私たちは患者を助けるためにこの仕事をしています。外来で見る時もできるだけ患者さんが何に困っているか考え、対応してきたつもりでした。でも、病院に来られたということはやっぱりなんだか異常を患者さんが感じられたから、だと思います。今回のご主人の事は一生忘れません。これからは、患者さんを診るときにいつもこの事を思い出し、二度とこういうことがない様に努力します。」

救急に来た患者さんには、名医は要らない。
100%はないのだ。どんなに経験をつもうと…。
医師になって21年目の名医になった気分の自分は、衝撃に打ちのめされた。患者にとって最良の医療とは何だろう。検査を過剰にすることが正しいとも思えない。本当に必要な検査をしなければならない。だが、救急の現場では症状が伴わず、例外に出くわす時がたまにある。そう頻繁ではないが、確かに出くわすのである。
一つ一つの症例が、何を訴えようとしているのか、これまで以上に考えながら、臨床に取りくむようになった。
そして、名医は要らないのだ、と。

今でも思い出す。診察時に家族が一緒にいなかったこと、診察室に医師と患者の二人だけだったこと。注意すべき問題点はあるけれど、1人の責任ある医師として、人間として、この出来事は決して忘れてはならない。
                           2008年6月27日(金)