メナモミの旅

メナモミこと友永秀輝が日々の出来事と旅の話をつづるページです。

我聞塾 宮本常一 忘れられた日本人 対馬

2005年05月20日 | いろいろ
きようも楽しい勉強会。

勉強会の後はたねやの最中をいただいた。

たねや ふくみ天平〈F30〉
たねや ふくみ天平皮を自分であんに包んで食べる。香ばしい皮はおいしい。

メナモミのメモ------------------------------------------------------

梶田富五郎

昭和25年

隠居屋の下の家


開拓の歴史を
つり道具 菓子屋 玖珂出身


長門つのしま 唐津 から 対馬 昔100年まえ
広島の猟師につれられて

博多から米醤油 日和見をして 波がひどい いきの島へついて

めしもらい 船で遊ぶ 勝本で日より町 厳原の町 石を屋根に載せる

とまで寝る 1か月かけていく

へさき のこと みよしーーみずおし

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めしもらい と言う言葉 契約母


借りの親 金おや

日和見

とまの材質

どんだーーーどんごろす

櫓を押す

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郵便局 三等郵便局 半民間 名誉職 局長 駐在が国家を代表する。
信用と資産 局者の提供 特定郵便局 三万
ないものを見る 川戸はよそ者が多い 明治期 郵便局 産婆さんの情報はないが
重要である。

海辺 志摩 隠居屋 かまどをわける。別の所

隠居に三男をつれて末子をつれて めらや椎葉は山へ別居した。

ほれた子 私生児 禁句は小さい超えでいった。
ちいさい家がある。海辺の人は土地をもってない。

浜と丘は集落の違い。隠居屋

西片のものでのうーーー通りががりでも巣ぱっとはいってと宮本先生
すべて筆記 その晩に整理する。宮本先生 渋沢敬三えの報告書
方言の表記を

しゃべらせ方がうまい 合いの手がはいるが省いている。
フィクションと言われる明治人は語りがうまい
語りにはパターンがありそういう訓練ができていた。

みなしごになったおじがひとりーーーめしもらいーーーこじき
大船をもった人が雑用をさせる。

情け島ーーーー破産宣告うけた人ーーー情け島がうれもっていた。
猟師はお父さんがなくなるーーー海の事故
蔵がないーーー暖かい所ーーー畑がくら

じびぎあみーーもやい制度ーーー均等にーーー

一人まい 半人前 前ーーは名前 前かけ 化粧まわし

ものもらい 男はおいだされる 冬

ほいと 托鉢僧 方位党 ほおける ボケる

契約子 いったんようしに出して

寺子ーーー水上勉 


女中奉公ーーー学校制度が義務教育になる前はよくある

教育的システム。丁稚 弟子奉公 治安維持 職業訓練校

大学の先生ーーー書生 奥さんはたいへん

教科書はただしい


日より山 日和見

多島海

屋抱き から湯崎 朝鮮はんとう 富士山レーダー 軍事施設
電子レンジは軍事レーダーから生まれた。
高圧線の下は発ガン率が高い
汐まち 風 日よりまち 
一本棒の穂は鎖国のためにそうさせられた。
木綿の穂 それまでは重たい帆 千石船 司馬良太郎 菜の花
それで 金毘羅さんが栄える ぞうさん こんピーら 風と 火消し 江戸の町火消

金毘羅かぶき

どんだ どんごろす

えぶね 家船

広島の猟師が対馬の事を
こく広大 虚広大 お寺 仏教用語 が漁民の間にも伝わっている

蓮如上人 ただ白骨となれる

まぎり 間切 帆 じぐざぐに行く
手と 足がいっしょにでる。 難波走り
飛脚は200Km
昔は両手をあげて逃げていた。
軍隊の名残

明治10年西南戦争ごろまで殿が見回りをしていた。

あざも しいの藪がしげつていた 船もつけられない 
平戸のもん 番人 しげ てんどうじき てんどうほうし
とうらずの山 つしま しきたりがやかましい
神様のばちがあたっても


なや
納屋しゅう 境 千利休 港に倉庫があった 九十九里 海岸沿いの小屋
いわし網

本村 と納屋村 和歌山から千葉へ移りすんでいる
いわしーーー綿畑の肥料
江戸からの帰りにがない
昔は江戸へ下るといった 江戸へ商品としていかないものが価値がないものをくだらる

ばらすと 肥料 綿 木綿 きんぴ 魚肥の 畑作
練馬大根のたる たるがなかった江戸 酒樽 吉野杉 節抜きがない
枝打ちをするようになる。
枝のついたまま ふちらせばよい みつしょくしなければいい

しげ 天道しげ 聖域 茂る 森 魚つきでだいじ
おてんとうさん 天皇 明治維新を作る 江戸時代は天皇をみんな神としていた。

菊と刀を読みなさい 

朝鮮は天道教

そうし 奏家ーー浅野の姫で 対馬への道

宮島の管弦際 

大阪 和歌山 から 浅野さんが 広島へ漁民をつれてきて きた。

江戸時代 藩の鞍替えが 重要な役割を果たしていた。
もう一度江戸時代の仕組みを考えなおさないといけない。
漁民はそうとう移動している。

よそ者が聖地の場所に入っていた。

桜江の桑茶 博多からきた人 東京の高島屋へ ぱっと行く
世間を知らないが

タブーの地 問題にもつながる

端は神聖な場所 みさき 

地域社会
中世の農民じ侍が対馬には多かった 荘園百省 山口も字侍 丘陵武士 郷士 薩摩 土佐 
西郷隆盛 青年団 武士が多くて難しい。
すおう大島もそう 

しきたりがやかましい よそからきた者きびしい。

岩波文庫 忘れられた日本人 

万巻の書をよみましょう。
忘れられた日本人

岩波書店

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来月の我聞塾は2泊3日の対馬の旅です。

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