青い南風

不良じじいのひとりごと💛

ジジイの独り言

2019年01月26日 | 日記
昨年の寒波と豪雪に比べれば、公共の電波まで使って騒ぐほどの雪の量ではないのであるが
暖冬と言われて、春のような毎日を過ごしていたので久しぶりに見る雪の量には驚きなのである。
屋根から落ちた雪の始末。いつもの行動範囲内に開ける道。
いずれ溶けてしまう雪で有る。放っておけばいいようなことなのだが、それでは、身も蓋もないのである。
生きると言うことは、意味のないと思はれることに、汗を流すことに生きる意味が有るのである。
僅か2時間余りの作業でやれやれと、自己中の心は満たされたのであつた。
この年になると90パーセントは自己満足の世界なのである。


30センチ近い久しぶりの重い雪に、今が盛りの侘助もうつむき加減である。
この花、寒くなると何故か妙に色っぽくなるのである。しかもエロいのである。
彼女を雪の下で見ていると、昔、三浦朱門が生け花をする、曽野綾子に言ったと言う言葉を思い出します。
「君、花なんていうのは女性のーーだよ」


たしかに だから花は魅力ある。


雪かきをして、久しぶりに疲れた身体に、南の国の強いラム酒が
麻酔のように染み込んでいく夜です。、

感謝

2019年01月17日 | 日記
「横綱として期待に沿えなかったのは非常に悔いが残る. 私の土俵人生においては一片の悔いもない」
複雑に交差する心を吐露しながら、男泣きする姿にはジジイも久しぶりに、もらい泣き。
引退を決めた稀勢の里のことである。

天才ではない自分が強くなるにはけいこしかないと15歳で土俵に上がった人である。
彼が残した相反するふたつの言葉はどちらも彼の本音だろう。
男泣きする彼の32年の人生の何と重たいことか。引退の会見に、それでなくてもよる年波には勝てず
感情をセーブ出来ない涙腺のゆるんだジジイの目からは涙がボロボロ、鼻水ズルズルで体の水分の殆どが失われたのでした。
同時に久しぶりに、男泣きする本当の男をみて日本人で良かったと思ったのです。

最近、小生のしょうもないブログにコメントが届くようになりました。
自分勝手な思いのままを唯、書きなぐるだけの意味もないブログなのですが、時には辛口で、時には諭すようにやさしく
そんなコメントに癒されています。まるで、砂漠に降る雨のようにギスギスした心にしみこんでいくのです。
人に支えられているということは有難いことなのです。

私もいつの日か、32歳の稀勢の里の引退の時の言葉のように「人生に一片の悔いもない」と
最後の最後に言えるような人生を歩きたいと思うのです。
生かされた人生に感謝の男泣きをしてみたいと思うのです。


1輪挿しの侘助の薄紅色のつぼみが、みようにエロく感じる、生暖かい夜です。

謹賀新年

2019年01月13日 | 日記
心にも無いこんな挨拶を、毎年、毎年、繰り返している自分が情けない年の始まりでした。

昨年も、自分の信念を誤魔化さずに議員活動を送ったつもりでした。
次の世代を作る人たちが自分たちの考えで、次の世代にどんな国を残すのか、そんなことを、思いながらジジイも
有りもしない、少しばかりの知恵と知識を使いながら、命の大切さや生かされていることの有りがたさを訴えてきたつもりの1年でした。

私の心に大きな傷となって残ったのは、役場の職員を退職した方の、議員を蔑む電話でした。
この電話で25年、地域のため、住民のためと自分なりに働いたつもりのジジイの心は死んだのです。
発端は役場の職員の僅かな給料を引き上げる案に反対したことに有るのです。
地方創世を叫びながら、創世ではなく、あくまでも70数年前の自分たちの権利だけを守ろうとする人達の何と多いことか。
そのことに、彼の電話で気付かされたのです。

彼は、現役の頃には優秀な職員でした。
人や命を大切にする課で率先して部下を育てていました。
それだけに心が折れたのでです。

忙しく毎日を送って、一月も半月が過ぎました。
凍り付いて死んでしまった心や身体に、暖かい血液を送り込むには
昔の人達の生きの教えに頼るしかないのです。
「論語1語」「吉田松陰の一日一言」などラム酒を片手に読み漁るのです。
勿論、一字一句が、酒と年で衰えた心に残るわけではないのですが、熱い生き方はジジイの心に
火をつけてくれるのです。言い訳や、愚痴など言われるほど私の命は長くないので


新しい年も前を向いて歩く。生かされていることに感謝。」


ところで子猫のKやツナや子猫かどうかわからないけど、ウルと言う子もいたけど
みんな暖かい幸せな年を迎えてればいいけど。

やっぱり

2018年12月29日 | 日記
何が、地方創生だ。 何が、労働三権だ。 何が、議会の活性化だ。
2週間前に否決された公務員の給料を引き上げる案が再び上程されて
予想していたとうり、あっさりと可決されました。

職員組合の顔色を伺っているような執行部に新しい町等作れるはずがありません。
国のあり方を非難しながら自分たちの権利だけはしっかりと主張する人達に、新しい町など作れるはずがありません。
そしてなにより、町民より職員の顔色を伺いながら可否を判断する議会に、新しい町など作れるはずがありません。

私に言わせれば、地方のリーダーにならなるべき公務員の方たちが70年も前に作られた人事院の勧告に従って
自分の命を削った働いた対価を決めて貰っているようでは国家権力の呪縛からはいつまでたっても解き放たれないのです。
自分たちは自分たちで子供や孫が幸せに暮らせる地方を作るのではなかったのですか。

みんな、なんだかんだ分かったようなことを言いながら、ぬるま湯につかっているほうが安全で楽チンだと考えているのでしょうか。
こんな地方はあと20年もすれば確実に死ぬね。

知恵も、知識もなく、唯、齢だけを重ねてきただけの
ジジイの戯言。

くそくらえ

2018年12月22日 | 日記
何が、地方創世だ、
こんなことで新しい地方など出来るわけがない、
綺麗ごとを言いながら魂はお国に売り渡しているではないか。

12月の議会に町長や、職員の給料の引き上げの議案が上程されました。
主な理由は人事院勧告に従ってのことでした。1948年に制定された制度に従うこと自体が
時代錯誤も甚だしいことが分かっていないことに失望して、当然反対しました。

ダーウィンは進化論で『強いものが生き残ったのではない」と言っています。
時代は早いスピードで動いています。
70年前の人勧の制度に従つて新しい地方を造ることなど出来るわけがないのです。
何故東京に人口が集中するのか、東京の責任ではなく、地方の責任なのです。

28日に公務員の給料の引き上げの議案が再び上程され、臨時会が開かれます。
この町は、役場の職員の給料を上げる程、町民が豊かな生活を営んでいる町でしょうか。
選ばれたと自負している議員が、どんな判断をするのでしょうか。
議会が否決してから、わずかに、2週間目の上程です。



私は当然、反対です。
生きる価値は人に決めて貰うものではないと思っているからです。
何が、地方創世だ、。これでは 痴呆創世だ、。