日本育ちのJapanese-Filipinoフィリピン大学大学院留学blog

フィリピン大学大学院留学までの手続き、Japanese-Filipinoフィリピン滞在資格、留学準備から滞在記まで

今後のミッションとは

2014-05-30 10:53:49 | 将来のこと
まだまだ遠い話ですが、UPのあとはどうして生きていこうか考えています。
最近は講演会などに呼ばれてちょこっと収入があるのでそれでもいいのですが単発的なので、非常勤講師から専任講師、準教授、教授になれたらいいなと思ってます。Ph.Dの学位もほしいですが、状況によって考えます。
MAの学生である限り学会や論文の発表は増えるのですが、フィリピン国内だけでなく、日本で来年は発表できるといいですねー。どうやら講師になるには学会での発表と論文3つが必須経験のようなので、今のうち研究計画書を英語にしておこうと思います。
いつか母校に帰ってフィリピン研究ゼミをつくり、タガログ語を言語枠に追加したいと思います。UPと交換留学できればもっといいですね。
いろんな学者、研究者、教授がいますが、とくに発展途上国を専門分野にする方に多いのですが、日本から見た途上国からの見方しかできないかたが結構います。途上国から見た日本ではないのです。双方ではなく一方通行なのです。途上国にいるからかわいそうではありません。ご飯がなくて学校に行けないから貧しいのでしょうか。それでも必死に生きて学校に行く子どももいます。ものがあふれていて食事も学校もなにもかも不自由なく生きれる日本なのに、なにを悲観的に思って自殺するのでしょう。きっと心が貧しいのです。日本にも見えないだけで必要最低限の生活をしながら学校に通っている子どもはたくさんいます。
わたしは自分の人生があまりにも辛すぎて、主観的に見たら死にそうです。だから客観的に学問として見ていかないとあまりに辛すぎて受け止められません。自分は今生きていてしあわせだと思わないと生きていけません。学問は自己満足です。そこに社会的意義が付随すると学問が成立します。社会問題として受け止め学問として成立するまでには時間がかかりますが、だれがか声をあげ、文章化し、言葉にし、発信していかなければなかったこととして、世界のどこかへ消えていってしまいます。わたしは研究対象者であって研究者でもあります。教育さえあればお金がなくてご飯がなかった時代があっても、その後生きていけると証明したくてここまで来ました。
いまだに団塊世代からすれば、なんで就職して結婚しないんだ、と思うでしょう。実際親戚のおじさんに言われました。ではなんで男性だけが名字も変えず、家事をせず、仕事を続け、好きなことをし、家でゴロゴロするのでしょうか。日本の伝統文化のままでは女性は逃げていきます。このままでは日本は崩壊します。女性はどんどんひとりで生きていけるようになります。多文化を受け止め、変化していくことへ柔軟な社会にならないといけません。ある程度の伝統文化保持と新しい文化への柔軟な対応が今の日本には足りません。
次世代はすぐ来ます。世代交代はあっという間です。今後チャンスがあればどの国へもどの地域へも行ってみたいと思います。
なんだか学校のレポートみたいになってしまいましたが、お腹がすいたのでおわります。笑


Japanese-Filipino としての滞在資格

2014-05-27 13:08:04 | フィリピン滞在資格
次は母親か父親がフィリピン人で、結婚後に生まれた子が日本国籍を持っていて、日本からフィリピンに滞在することを条件に書きたいと思います。
滞在資格はいくつかあります。1フィリピン側に出生届を出す 2バリクバヤンビザ(Balikbayan Visa)をもらう 3フィリピン人として認証してもらう(recognize as Filipino citizen)、4ノンクオータ移民ビザ(non quota immigrants visa) をとる、これらが代表的でしょうか。
1はフィリピンでも日本でもできます。出生してから早めに手続きをおこなうことをおすすめします。出生によって子どもは自動的に二重国籍になります。日本は未成年にのみ二重国籍を認めていますが、大人になったら国籍を選ぶ義務があります。しかし努力義務なので片方を放棄するわけではありません。日本の法律は日本国内のみ効果があります。フィリピンでは生涯二重国籍を認めている国なので、成人後も国籍は保持されます。ただ、手続きをしないと記録に残りません。日本で生まれた子どもは日本でのみ出生届を出している場合が多いと思います。フィリピン側に出すには大使館に行きます。ただ、地方から東京に出てきて、生まれたばかりの赤ちゃん連れて手続きするのは大変です。また、出生届を知っていても日本国内に居住するから必要ない、フィリピン国籍はいらないと考える親もいます。出生届があれば、パスポートもとれます。一度国籍離脱しても再取得が可能です。
2はフィリピン国籍の親と一緒にフィリピンに帰る必要があります。出生届や戸籍の英訳、わたしの場合は洗礼証明書でオッケーでした。空港のimmigrationでフィリピン人の実子であることを証明できれば、その場で1年間有効なビザがもらえます。1回限りです。空港以外でも移民局でも親同伴で証明書があればもらえるようです。
3はフィリピンのメイン移民局でしか今はできません。親がフィリピン人であることを証明することができれば、フィリピン人として扱いますという証明書がもらえます。実質二重国籍ですね。フィリピン側日本側どちらも大量の書類が必要になります。書類の準備で半年以上かかると思ってください。フィリピン人の親戚を代理提出人として委託することも可能です。また書類は増えますが。提出してからはフィリピン人親同伴の面接が2回あります。英語かタガログ語ですが、面接官は慣れてるのでニコニコして日本語ちょこっと話したりします。面接後書類記入と指紋を採って写真と一緒に提出して終わりです。2ヶ月後に受け取れます。
4はフィリピンの移民局でもフィリピン大使館でもできます。21歳までに申請する必要があります。実質永住ビザです。これから弟が申請予定なので調べたのですが、3同様書類が大量で、面接も場合によってはあるようです。日本でもできるので日本で学校などに行っている場合はこちらがいいと思います。日本が祝日でもフィリピン大使館は休みではないときもあります。平日しか開いてないので、そうすると学校休む必要ないですね。
詳しくは在日フィリピン大使館領事館で確認してください。21歳で成人なので、それまでに手続きしておくといいとおもいます。
フィリピンで出生して日本に行きたい場合、再婚によるフィリピン人の連れ子の場合はまた違います。在フィリピン日本大使館で確認してください。また、3ヶ月以上フィリピンにいる予定であれば、早めに日本大使館へ在留届を出しましょう。メールが一番楽でおすすめです。

日本人としてのフィリピン滞在資格(VISA)

2014-05-27 11:10:17 | フィリピン滞在資格
こんにちは。日本人としてフィリピンに滞在する資格、ビザについて書きたいと思います。
18歳のときからひとりでフィリピンに帰ってくるようになりました。それ以前はずっと母親同伴でしか帰りませんでした。
わたしは日本パスポートしか持っていませんので、日本人としての滞在でした。
それに日本で学校に通っていたので、夏休みの短期間だけの滞在でした。
フィリピンに着くとすぐパスポートにハンコを押してもらいますよね。そこに乗った飛行機の便名とビザの期限が書いてあります。
これが最初にもらえる観光ビザになります。
ちょくちょく日本人の滞在期間は変更します。現在は30日になりました。以前は21日だったと思います。
日本人としてフィリピン入国するには、日本へ帰るチケットかフィリピン以外の国に行くチケットを持っていないといけません。
滞在期間を延長したい場合は移民局へ行って観光ビザの延長をします。大学をはじめとした学校で勉強する場合は、学生ビザをとります。
仕事の場合は商用ビザになります。
フィリピンに来る前にもビザをもらうことは可能です。東京か大阪の在日フィリピン大使館に行って手続きができます。手続き自体は可能ですが、フィリピン同様時間がかかるし複雑なのであまりお勧めしません。現地で観光ビザから切り替えるほうが比較的楽だと聞きます。
前回大学院の試験で来た際は31日目に帰国するチケットだったので、泣く泣く移民局で3000ペソ払って延長しました。通常料金は半額ですが、普通に申請するとその日のうちに受け取れないので、追加料金払って申請した日の午後3時以降に受け取りました。パスポート以外に身分証明書を持っていなかったので、念のためそうしました。数ヶ月分まとめて延長も可能です。最悪ビザが切れても罰金さえ払えばまた延長してもらえるとマニラで働いていた友達が言っていました。
学生ビザや商用ビザはまた手続きが違います。他にもたくさんビザの種類はあります。詳しくは移民局のHPで確認してください。
Department of justice Bureau of Immigration manila
移民局はここが1番メインになります。他にも支局はいっぱいありますが、メインの移民局でしかできない手続きもあります。観光ビザはどこでも延長できたと思います。いつでも移民局は混んでいます。確認してから行った方がいいですね。
フィリピンでは外国人として滞在するとお金がかかる国です。長期滞在や結婚をするとわかりますが、フィリピン人からではなく、外国人からどうお金を落とそうか考えている国なのです。

パラワンの高校と大学

2014-05-26 20:21:26 | パラワン
こんばんは。今日は一緒に住んでいるいとこが、新学期の手続きに行くというので、ついて行きました。

とてもきれいな学校でした。公立高校ですが、普通科とサイエンス科があります。いとこはサイエンス科の9年生になります。普通科は4クラス、サイエンス科は2クラスだそう。サイエンス科だけ別校舎です。

日本では中学3年生です。教育制度が改革され、高校は4年から6年になりました。フィリピン大学を目指せるレベルまで教えるそうです。科学や数学が普通科より発展してます。数学を1題聞かれて解きましたが、だいたい日本の中学生と同じくらいでした。
日本と違って毎年手続きしないと、新学期始まっても授業受けられないんです。日本は入学のときだけで、留年や退学しない限り学年上がりますよね。授業料はフィリピン人なら無料です。パラワン政府の政策だそうです。外国人だと授業料取られます。そして手続きが複雑だそうです。
学年が上がるだけなので、用紙に記入して成績表と手数料のレシートともに提出して終わりです。
転校した子が一人いただけで、1クラス32人でうち4人が男子。圧倒的に女子が多いですね。そしてみんなして日本のマンガとアニメオタクでした。アニメの話ばっかり友達と話してました。今もわたしがあげたパソコンでアニメ見てます。わたしが小さい頃から日本でいらなくなったものをあげているので、日本のものを好きになるのは普通ですよね。
制服は科によって違って、普通科は白のブラウスと緑のスカートで、サイエンス科はスカートが黄色と黒のチェックです。公立高校普通科は緑が制服なんですかね。母親の時代も緑だった気がします。私立は比較的派手な色が多いですね。いとこは小学校が私立でしたが、白のブラウスにネクタイ、ロイヤルブルーのスカートでした。わたしも制服着たかったです…。カビテで見た私立高校のいくつかは、日本の制服真似てるところもありました。
次は大学です。一緒にいとこのお兄さんも住んでます。おじさんの前妻との子どもです。前妻はアメリカにいて、いとこはユナイテッド航空で数年働いてからパラワンに来ました。だいぶ年上ですが、また大学に行っています。

こちらは首都にあるメインキャンパスです。いとこは近くのキャンパスに通ってますが、いつもバイクでひとりで行くのでわたしはまだ行ったことありません。
コンピュータサイエンスが専攻です。日本語しか対応してなかったパソコンを英語にインストールし直してもらいました。メインキャンパスに移りたいそうで、手続きをしてます。
こちらも公立なのでフィリピン人なら授業料は無料です。外国人だと授業料取られます。
メインキャンパスにはBA Philippine studiesがあるんですよ。4年間のコースですね。最近できたばかりみたいなので、わたしが高校生のときフィリピンで大学進学考えていたときには、ありませんでした。残念…。日本でBA international studies とったのでいいかな、と諦めました。
大学生でも制服のある大学もあります。いとこは制服着ていくので、ありますね。女の子は見たことないのでわかりません。MA studentなので、わたしには制服ありません。
ずっと幼い頃から学校に行くいとこ達を見ていて、うらやましいと思っていたのですが、いつも3ヶ月以内で帰ってしまうので学校は行かせてもらえませんでした。お家の中と近所の親戚だけがわたしの世界で、友達はいとこ達です。たまに出かけるときは思いっきり遊びまわってモールのなかで勝手にかくれんぼを始めるので、見つけるのが大変だったとおばさんが言っていました。
できるなら早くにrecognizeかフィリピンに出生届出して、パラワンで高校大学行きたかったですね。


大学院の試験

2014-05-20 21:14:00 | フィリピン大学大学院
フィリピン大学大学院の試験について書きます。
フィリピン人だと試験料は250ペソ、外国人だと1150ペソくらい取られます。試験料は2回にわけて払うことも可能です。レシートは必要書類とともに大学に提出しました。
院試は学期ごとに3回あります。申し込み日時も試験日も学期によって違うので、あらかじめ聞いておくことをオススメします。だいたい申し込みしてから試験終わるまで1ヶ月かかります。日本から行くなら余裕もったスケジュール組んだほうがいいですね。わたしは申し込みの日がパラワンにいる日程のプロモチケットを持っていたので、キャンセルして日にちずらして買い直しましたし、面接日が帰国日前日でしたから。
すべての書類を提出すると、一次試験の日時を教えてもらえます。申し込みしてから1週間前後で試験日です。
一次試験は知能テスト、英語、数学、エッセイです。
全部英語での試験です。
知能テストは日本の小学校でやるようなものと同じでした。古い型式ではありましたが、難しくはなかったです。
英語はほとんどわかりませんでした。笑
記号で答えるので勘です。数問理解できる問題があったくらいで、ほとんど理解できませんでした…。同じ意味の英語を答える問題がほとんどでした。
数学は英語でしたが、日本の小学校4.5年生レベルです。速さや距離、量を求める文章問題ばかりでちょっと笑ってしまいました。ただ単位がポンドやインチなのでだいたいの数値で計算しました。だいたい問題は正確に理解できましたし、ほとんど正解してると思います。
エッセイは2種類あります。自分の経験や自分史がひとつ、もうひとつはいくつか大学側から出された問題から選んで書きます。Philippine studiesなので、フィリピンと東南アジアの関係や外交、歴史などの問題がほとんどでした。
わたしはフィリピンに幼い頃からいること、フィリピンはもう一つの国であること、フィリピン人児童に日本で日本語を教えていること、日比国際結婚とその子どもの自我形成について興味があることをひとつ目に書きました。ふたつ目は自分の日本で書いている論文に絡めて書きました。日本には家文化や武家文化が未だに根付いていること、日比の文化的比較をして両国の架け橋になりたいです的なことを書きました。2枚ずつ以上書くのが条件でしたが、紙が予想以上に大きかったので、わたしは練習してきた英文に足してもギリギリ2枚以上でした。
エッセイの書き方は英語の授業でやりましたが、フィリピン人の場合小学校からエッセイ書いてるので慣れてるのです。わたしのエッセイは小学生レベルに見えました。笑
一次試験は以上で終わりです。9時から2時までお昼挟んで終わりました。二次試験の日程と名簿を見せられて、オッケーなら帰ることができました。2日間で午前午後の日程でした。
二次試験は2週間後で、わたしは2日目の午前でした。早く着いたので、他に2人後から来ましたが、1番乗りで試験受けました。3人試験官がいて、真ん中が偉い女性、右側が秘書の1番偉い人、左側が若い教授っぽい人でした。英語での試験でしたが、わたしがタガログ語話すと驚いてました。なぜここで勉強したいのか?自我はフィリピン人と日本人のどっちだと思う?2年以上卒業にかかっても戻るか?英語の授業にはついていけるか?
ざっとこんな感じの質問でした。左側の男性は日本の学会で会ってますし、右側の男性はフレンドリーで日本語を知っていて、試験終了後にもしもしとさよならをまちがえてました。笑
しかもわたしの試験受けた施設Asian centerは日本企業、しかもトヨタからの寄付金で建てられた施設です。
日本人だということもあって、かなりフレンドリーな感じで面接は終わりました。15分くらいで終わったので、すぐ帰れました。
結果は次の水曜日にメールするね、と言われましたがメールは来ず。秘書の友達にいつ結果はくるのか連絡してやっと、合格通知をもらいました。ただ入学はまだまだなので、3.4月に連絡またくださいとのことでした。
二次試験の前日に試験日の通知や、合格通知もメールなので、いつもネットのある環境にいるほうがいいですね。
こんな感じにわたしの試験は終わりました( ^ω^ )
まだ入学手続きは終わってないので、次はrecognizeの手続きについて書きます。