先日、新たに三成の書状が見つかったそうです。
三成の古文書に「島左近に命じた」 滋賀で発見 |
戦国武将、石田三成の重臣だった島左近(1540~1600)の名前が記された三成の古文書が見つかったと9日、滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館が発表した。優秀な武将として知られる左近だが、三成が出した文書で左近に触れているものが確認されたのは初めて。同県高月町唐川の旧家に伝わっていたものが、同博物館に寄贈された。
古文書は、三成が佐和山城主時代(1591~1599年)に地元の豪族、今井清右衛門にあてた年貢徴収の指示書。「年貢の率は島(表記は嶋)左近、山田上野、四岡帯刀に命じたので、その指示で行え。3人は不正がないように誓詞まで出している」といった内容が記されている。年号は不明だが、日付は8月23日。縦14・2センチ、横43・7センチの和紙に家臣が清書したものに、三成本人が花押(かおう)を入れている。
左近は、4万石の大名になったばかりの三成が、半分の2万石で召し抱えたというエピソードで有名。三成は豊臣政権の五奉行のひとりだったことなどから、他の大名らにあてた手紙などは数多く残っているが、左近の名前が記されたものは見つかっていなかった。
今井清右衛門の子孫にあたる守山市勝部の元県職員、今井紘一氏(68)が、「研究に役立つなら」と同博物館に寄贈した。同博物館は5月23日からの新収館蔵品展で公開する。
産経関西より ttp://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya041003.htm |
いつまで記事が残っているかは分かりませんが、YOMIURI On-Line(ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080409-OYT1T00655.htm)で書状の写真も見られます。
文書の内容はさっぱり読めないけど、左近の名前だけは分かるよ!本当に嶋左近って書いてある!すげー!
「ああ・・・国文科か歴史科に入ってれば文書が自分で読めたんだろうに・・・」と少しじれったくなりますがw、5月23日から公開されるんですね。夏休みにまた滋賀に行くことになると思うので、その時に見てこられたらいいなぁ。
・・・余談ですが、読売の記事を読んでこのニュースを知り写真を見た時、「これって三成の字じゃないよなぁ?」と感じたんですがその通りでしたw
三成の文字ってもっと汚・・・無駄に勢いのある威圧的な文字ですよね。三成直筆の文字を初めて見た時は、「・・・性格が字に出るって本当なんだなぁ」と思ったもんですw