MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

ゆとり教育崩壊

2004年12月18日 19時26分58秒 | 雑感
日本(東京)は随分と暖かいという話を耳にしますがいかがでしょうか?
こちらヒューストンは意外に寒いです。もっとあったかいのかと思ってたらそうでもないんですねー。とはいえ、日中陽が照れば東京の10月上旬ぐらいの陽気にはなるので、そう考えるとやっぱりあったかいのかな、、?
でも、一冬コートなしで過ごすのもさすがに無理そうだし、、、まあ、暑いのが苦手な僕としては少々寒いぐらいのほうがいいんですけどね、、、。

ところで日本では昨今、若者の学力の低下が深刻な問題なのだとか。京都大学の学生ですら分数の計算が出来ないというではないですか!いやー、、京大生もバカになったもんですね。これは一大事ですぞ!!一刻も早く何とか手を打たなければそのうちに日本全国民が分数計算はおろか足し算すら出来なくなりますぞ!!全く文科省は何をやっているんでしょうか。こうなったら、早く昔どおりの詰め込み教育にもどして、国民一丸になって再びかつての受験戦争の時代にもどろうではありませんか!!!

といった風な、例によって国民の不安を煽り立てるだけの報道が幅を利かせ、そしてこれも例によって、日本中、猫も杓子もみんなおんなじ論調で「ゆとり教育の危機」を叫んでいます。
うーん、、、、。
京大生が分数計算が出来ない?????
1/2+1/4を2/6と解答する奴がいるだって???
なるほどー。それはきっと僕のような人ですね。
僕は京大出じゃないけど、きっと僕でもそんなアホな問題出されたらわざと同じように解答するでしょうね。
んでもって、「えらいこっちゃー!日本は終わりだー!!!」と騒ぐ偉い人たちを尻目にさっさと映画でも見に行っちゃうでしょうね。
だって常識で考えれば分数計算できない人が京大に受かるわけないでしょう、、。
もし、正答できなかったとしたらそれは、僕みたいな天の邪鬼がわざと間違えたか、そうでなければやはり僕みたいに計算力のない学生が100問の計算を時間内に全部フィニッシュできなかったか、あるいは単純な計算ミスかのいずれかでしょう?
そんなもんです。だから鬼の首でもとったかのように騒ぎたてるのはちょっと待ったほうがいいのではないでしょうか。

ちなみに、最新の世界各国の算数の統一学力テストでは相変わらず日本は一位だそうじゃないですか。
それにひきかえアメリカは、、、一体何位なんでしょう。きっと先進国のなかではかなり下位のほうでしょうなー。
だってこっちの小学生、中学生なんてみんなのびのびやってますよー。すくなくとも小学生で“つるかめ算”解いてる奴など誰もいないし、、、。
(そのかわり、大学入ったら気の毒になるぐらい勉強するわけですけどね)

このように、遥か海の向こうからこの騒ぎを眺めているとなんだか妙にアホらしく思えてくるのは何故なんでしょうか。
やっぱり、僕が天の邪鬼だから??

古きよき(?)時代に回帰したい気持ちもわからなくはありませんし、もちろん学力が高いのも悪いことであろうはずはありません。アメリカを手放しに礼賛する気も僕にはありません。
しかし、今の日本のかかえる教育問題は台形の面積の求め方を何年生で教えるのか、などというどうでもいい(といったら怒られるかもしれませんが、、)話とはちょっと違うのではないでしょうか?
確かに文部省のゆとり教育は今のところ上手くいっていないのかもしれません。しかし、ゆとり教育導入時の理念自体を否定し、もと通り台形の面積を小学校で教えればそれで解決する問題では決してないと思います。

むしろ、この報道の陰に潜む“反ゆとり教育”を謳う一大勢力の存在に気づいていることのほうが大切なのではないでしょうか。
一部ではすでに語られているようですが、そもそも若者の学力が落ちているという一連の報道は、反ゆとり教育を掲げて文科省の権威失墜を狙う経産省の手による意図的なネガティブ・キャンペーンであったという話があります(例の京大生をテストした経済学部の教授の研究費も経産省が出していたそうな)(ビデオニュース参照)。経産省には現在の産学共同の流れに乗ってなんとか文科省のテリトリーに食い込みたい思惑があり、そのためにいろいろ手を尽くして文科省叩きを展開しているのだとか。
真偽のほどは分かりませんが、なるほどそういうことでもないと、この一連の報道の不自然さは説明がつかないかもしれません。
ですからこのような役人どものくだらない鍔迫り合いに、現在のマスコミを含む日本国民みんなが完全に翻弄されているのを見ていると何とも片腹痛い思いがしてしまうのです。

繰り返しますが、僕は今のゆとり教育が上手くいっているなどというつもりはありません。
しかし、無自覚にこの報道を鵜呑みにするまえに、この報道の裏に何があるのかを少しは考えてみたほうがいいのではないか、と言いたいのです。
それこそこれからは、台形の面積の求めかたを復活させることなんかより、メディアリテラシー教育に時間を割いたほうがいいのではないでしょうか。
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