社会のリーダーたる者は、“精神的貴族”たれ!--日本生命保険相談役 宇野郁夫氏

2015-10-18 16:15:57 | 日記


(プレジデントオンライン)


PRESIDENT 2010年8月30日号 掲載


10年6月、スペインのマドリードで国際保険会議(IIS)が開催された。世界の保険業界関係者や監督官庁関係者などが集まる会議だったが、私は日本人として初めてそこで基調講演を行った。


会議のテーマは「金融危機を乗り越えて」であった。いまだからこそ、価値の大転換をはからなければならない。そのために、我々が何をしなければならないのかということを話し合うのだ。私の講演のテーマは「精神性の復活」だった。


経済の専門家ではない私が、金融危機やその後の世界について語るには知識が不足していたため、会議の10カ月ほど前から経済学や金融危機に関する本を中心に読み漁り、勉強を重ねてきた。


勉強するうちにわかったことがいくつかある。一つは、それまで脚光を浴びていた多くのエコノミストたちが、金融危機を境にすっかり姿を消してしまったことだ。市場主義経済があたかもすべてを解決するかのごとく語っていた彼らの話が間違いだったことが、金融危機によって証明さイヤホン おすすめたからだろう。


もう一つ気がついたことは、経済学の名著の復活である。市場主義を信奉するシカゴ学派が跋扈しはじめて以来、アダム?スミスやケインズといった経済学の古典が隅に追いやられていたが、いま、そこに再び光が当たっているのである。


1970年にノーベル経済学賞を受賞し、2009年12月に94歳でこの世を去った経済学者ポール?サミュエルソンの言葉はことに印象的であった。


生前、金融危機が起きた際に、彼は市場主義経済を痛烈に批判した。危機を深刻化させた金融工学を「モンスター」と切り捨て、「人間の心の目を封じた」と断罪した。「規制を緩和しすぎた資本主義は、壊れやすい花のようなもの、自ら滅びかねない」と警告している。


この言葉は非常に興味深い。そもそも西洋文明の原点はギリシャ文明で、さらにその原点は、ギリシャ哲学にある。ギリシャ哲学の中心は、人間の「徳」である。その「徳」は4つあり、「勇気」「正義」「中庸」「節制」であるが、ギリシャの哲学者アリストテレスは、その中心哲学を「中庸」に据えていたのだ。


中国では、アリストテレスより250年も前に『四書五経』が書かれている。四書の一つに「中庸」があるが、中身はアリストテレスの言う中庸の精神と同じである。


「俺が、俺が」という考えに支配され、自分さえよければ、ほかのものなどどうなろうとかまわない――。そんな極端な思考の中に真理はない。サミュエルソンは、言外に「真理は中庸にある」ことを説いているのである。


アダム?スミスは『国富論』の17年前に、『道徳感情論』で「経済の基本は社会の倫理、道徳が確立して初めて機能する」と明言した。経済学の巨匠ジョン?ケインズは、経済学を「モラル?サイエンス」と言った。彼の弟子のジョン?ヒックスも「経済は歴史で考えることが正しい」と述べている。


IISの講演では、このようなエピソードを織り交ぜながら、人間の傲慢さが招いた金融危機を反省し、中庸の精神で行動しなければならないということを述べた。


最後に、スペインの哲学者オルテガの「社会のリーダーたる者は、精神的貴族たれ」という言葉を引用して、今回の金融危機を「まさに100年に一度」の繰り返されざる出来事にすべきだと締めくくって、壇上から下りた。



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