生活リハビリ道場の玄関には道場のアーティスト、職員のIさん中心に利用者のみなさんとつくった迫力の巳(へび)が鎮座(幅1.2メートルあります)。僕は裏方で、年末に木を切ってこのへびの重量を支える土台を作成しました。今年はへびさんのように細く長く、粘り強く、人知れず、努力をするそんな一年になりますように、神社でお願いしました(他力本願かい!)。みなさんがんばりましょう!よい一年にしましょうね。
生活リハビリ道場の新聞「道場だより」19号が完成しました。A3フルカラーの豪華版です。
利用者さんや家族さんに読んでもらえるように、昨日から配布を開始しました。
できるだけ季節に一回は出したいと思ってますが、なかなかそうはいきません。
この新聞、「今季、どれだけ頑張ってこれたか?」「どれだけ利用者さんが元気になってもらえたか?」というデイサービス職員、僕らの「通信簿」でもあると思っています。
職員のみんなで挑んできた取り組み、お出かけの写真、文化祭、利用者さんへのインタビュー・・・など、入りきらんぐらいのネタに編集するのが大変でした。でも「これだけみんなでやってきたんやな~」とあらためて、一緒に働く道場職員のみんなのバイタリティに感動しました。
職員の皆さん、これからもいろんなことに挑戦していきましょう!利用者のみなさん、こんな我々とこれからも素敵なエピソードを重ねていってください。今後もよろしくお願いいたします!
※高校時代、ローマの休日を観て以来、オードリーヘップバーンと恋に落ちる、グレゴリーペックのような新聞記者になることが僕の夢でした。いまこの新聞のために、記事を書き、編集して夢の一部がかなったと思っています。あと足りんのはヘップバーンだけか・・・。(嫁さん読みませんように)
その後で、「死にたないわな~ぁ。どうしたらまだ“生きたい”って思えるだらぁねぇ?」と何かその方の生きがいになるものはないかとヒントを聴きだそうと努力するようにしています。
当デイでも、ちょっとしたことでも『生きていたい!』って思ってもらえるように楽しみや目標にしてもらえたりできるキッカケになるように援助しようと言ってます。
しっかり、きちんと見なければ。
11月1日 認知症ケアネットワーク研修会が和田行男氏を講師に迎え、岩滝知遊館にて開催されました。
写真は番組ホームページより
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0625/index.html
和田氏は6月にNHKプロフェッショナルに出た話題の介護士。どんな話が聞けるか楽しみでした。前日には近所に宿泊され、主催の保健所の方々、地元でグループホームを運営しているUさん達のはからいで宴会が催されたため、会いに行き、一緒にビールを飲み、楽しい時間を過ごさせていただきました。和田さん57歳だけどパワーがあった。ケアの話より私生活のだらしない話、女の話ばっかりでした!(笑)和田さんは大逆転の痴呆ケアの著者でもあります。サインはその時にいただきました。
そして翌日いよいよ本番、和田行男さん 熱く語ってくれました。
最初の一声はこうでした。
「あなたがた、今、自分で歩いて、飯食って、便所でケツふいて、暮らしてるけどこれを人にまかせたい、という人いますか?」
誰もいませんでした。
認知症の方はこういったことを他人にまかせて生きているわけです。「つらいやろなー」「不便やろなー」
この普通の感覚を大切に、認知症のお年寄りのケアを考えてほしいという話でした。そのつらさを受け止めることができているか?そして手を差し伸べることができているか?そういう問いかけから始まりました。
以下は私なりに理解した和田さんの話の要約です。
「認知症は病気です」というふうに世の中では言っているけど、アレほんまか?
いろんな疾患が原因となり、認知症の「状態」にあるだけなんだ。それをどうして専門職は本人に寄り添いもせず、不安から出た行動に名前を付けて喜んどるじゃ!物盗られ妄想、粗暴行為、帰宅欲求、異食、ろう便・・・問題行動にこんな名前つけて・・・
もし財布がなくなって、心当たりの場所を探しても出てこない場合、誰かのせいにしない人いますか?
仕事が終わって、さぁ家帰ろう、という人に「帰宅欲求がでてる」っていうか?
あなた、夜中にパンツを脱がしにくる奴がおったらどうしますか?ある女性が答えました「蹴り飛ばします」それを暴力行為といってカルテに書かれたらどう思います?
単に記憶が障害されてしまい、置いた場所を忘れて人を疑う、ここが家ではないから帰ろうとする、パンツを脱がしてくる人を蹴っ飛ばした、など、得体のしれない不安に対処して人間として普通の反応を出せば、それは問題行動と記載される。身体を拘束される、閉じ込められる、すべて本人に問題があるという前提で、これらの出来事を切り取っていないだろうか?
認知症の勉強会とかしたら、まず、アルツハイマー型、レビー小体型、とか病名を覚えて、中核症状、周辺症状とか分類して・・・ってやりますけど、「そんな勉強はなんぼやってもいいケアはできませんよ」と和田さんから言われた気がする。もちろん認知症ケアを医療が主導する以上、最新医学の知識、飲んでる薬の知識も大切ではある。でももっと根本的なこと「その人のつらさを理解して、受け止めて、生活を支える」という我々のモチベーションが駆動してないなら、どんだけ物を知っていても、使えねぇぞ、と。
「勉強会するならハートに火をつけてから!」そういって、和田さんは熱~いローソクをポンと置いていかれたような気がします。伝える側の目で見て「僕ならこうは言わないな」なんて生意気にも思ってしまい、考えが一致しない面もありましたが、そんなことは置いといて、オマエのハートは燃えているか?という命題をつきつけてくれたと思います。和田さんありがとうございました。サインしていただいた「大逆転の痴呆ケア」、完読しようと思います。
大逆転の痴呆ケア | |
クリエーター情報なし | |
中央法規出版あ |
シルバー川柳の今年の受賞作が発表されたので、今日はリハビリ体操の時間に利用者のみなさんと川柳を味わいました。
川柳ってすごいですね。逆境を笑い飛ばして、状況を楽しだり、しみじみとしたり・・・
五・七・五のたった17文字で、これだけ世界をカラフルに表現できるんだと感動しました。
そして詠む人の老いと向き合う、いさぎよさがまたいい。いつかはこの境地に辿りつきたいな。
とくにみなさんのウケがよかったのをシルバー川柳より新旧織り交ぜて紹介します。
デザートは 昔ケーキで 今クスリ
「食後薬の多いこと自慢したりねー」なんて話していただきました。
目には蚊を 耳には蝉を飼っている
「わたしの耳は聞こえるはずのないものが聞こえるんやで」とNさん。
フネさんはいくつでワカメ産んだのか
(ほんまにいくつの時の子なんでしょうね、ワカメ?)
はくだけで やせるパンツが はけないの
(はくことさえできればやせるのに、おしい!)
アーンして 昔ラブラブ 今介護
「若いアベックがアーンとかしてんの、いかめーねー(うらやましいねー)」「アンタトコもしてたんと違うか!」
墓仏壇 どちらにいるのです アナタ
(仏壇よ、だからお墓参りにいかなくてもいいの!)
共白髪と約束したのに亭主ハゲ
(僕も抜け毛が多いんです。約束破りそうだ!)
赤ん坊 タマゴで産めたら あと一人
「赤ん坊 だんなが変われば あと一人!」 といった88歳のばぁちゃんがいました(笑)
一通り笑った後にしんみりしたのを一句
離れ住む 子に 病むときも 無事と書き
やっぱり子供に心配かけまいとする親心、手紙に元気ですの文字、わたしもグッときました。みなさんも「そうだ、しんどくても隠すときもあるな」「でも子供は様子がおかしいとわかってくれるもんや」なんてしみじみと話していただきました。
こんなに笑ったり、ジンとさせられたり、今日は川柳のパワーに元気をもらいました。
名人の皆さん、ありがとうございました。
このブログで排泄ケアについて質問を投げかけたところ、素晴らしい回答が寄せられたので紹介します。実際施設の排泄誘導に疑問を持って質問されたMさんも「さすがプロの視点!参考になった」と喜んでました。Mさんだけでなく、施設のケアをよくしたいけどうまくいかない、と困っているみなさんのヒントになると思いますので読んでみてください。回答してくれたかたに許可をいただき、フェイスブックからの転載をここにさせていただきます。
Mさんからの質問(要約)
今一番気になることは、入浴のお誘いをする際、必ずトイレに行くことを柔らかな言葉であれ強制します。便座に座って、出ない方も多く、座らされるが排泄できない利用者は、少し生活面での認識があやふやで尿失禁の過去もあるかたです。しかし、重度ではありません。尿意がなく排泄を強制することが医学的に弊害がないかと調べてみましたがはっきりしたことは見つけられませんでした。以前に、老研で頻繁な排尿が膀胱炎の原因である細菌を増やしていると聞きかじったことがあります。
果たして、トイレ強制が様々なケースがあれ、合っているのか、
私が思う自然な尿意に任せるのか…。何か科学的根拠があるかなぁと考えています。
アドバイスをいただけたら嬉しいです〜
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新潟県 Tさんの回答
「尿意がなく排泄を強制すること」って言う言葉を使われると痛いところがありますが、オムツはずしをするために、一時的に行うことはありますね。本来であれば利用者の排泄パターンに合わせられれば一番良いのですが、尿意や便意がない方の場合は、過去のデータとそれに基づく予測でトライ&エラーを繰り返しながら排泄パターンの把握、もしくは意図的にトイレで排泄できるパターンを作るってことをしてます。
Mさんの「医学的な弊害」と少し違うかも知れませんが、入浴を嫌がる方に入浴させることも一歩間違えれば利用者の精神崩壊を招きかねない。健常者であろうと、認知症があろうと、障害があろうと、人は誰でも嫌がることを続けられたら精神崩壊や無気力など、何らかの精神的な障害が起こるだろうと思われます。
中々これって言える答えのない世界でジレンマもありますが、Mさんのように違和感を感じれることって、介護の世界ではもの凄く重要な才能だと思います。その感覚を持てる人だけが、そこをゴールとせず、さらに先へと進むことができますから。
丁度、今、自分が直面している問題でもあったため、とりとめのない長文になってしまいました。失礼しました。
宇治市 Mさんの回答
普段から、まずは「自分なら」と考えるようにしているので。。。
自分なら、「ただでさえトイレの時に下半身見られてウンチ見られて恥ずかしい、職員さんに申し訳ないのに、お風呂の前には、出もしないのに下半身見られる。お風呂もイヤになりそうだ」と考えそうです。
緊張感が高まって交感神経優位になって、、、イロイロ影響ありそうですね(^_^;)
いろんなパターンがありそうですが。
あとそもそも、入浴前にトイレに座ってもらって出なくて浴室に行くまでの時間の合計と、入浴中に便が出てしまって掃除する時間の合計は、どちらが長いんでしょうね?
普段便秘の人が、安心して力が抜けて、お湯で出ちゃったことを万歳して喜べるようになれたらいいですね(^^)
まずは、仲間作りですかね(^_^;)
新潟県Tさんの追加回答
仲間作りは施設ケアで一番重要なポイントですし、私も一番苦労するところですヾ(;´▽`A``。一人で頑張っても限界がありますし、それくらい大変なことだから他職種共同のチームケアが必要なんだなーと常々思います。
誰でも本来ならば介護なんてされたくはないんですよね。認知症があるから帰宅欲求がある、入浴拒否があるわけではなく、人として当たり前のことをしているだけなのに、職員からは問題視されてしまう。その辺をスタッフに理解してもらうことから始めようと思ってます。
お湯の中で出ちゃったら・・・便秘で苦しんでいたのなら、私はとりあえず喜びます。そしてそこから次のゴールを目指して頑張ります。
すいません。またただ言いたいことだけになってしまいました。
宇治市Mさんの追加回答
休憩中の休ミケーションと、仕事後の飲ミニケーションで、バカな話と仕事の話ができて、団結できれば光が見えてくるはずです!
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いかがでしたか?現場で深く考えて、行動し、ケアをカタチにされているお二人の言葉に感銘を受けました。
Tさんの施設は排泄のパターンをつかむために誘導をされています。その場合、「尿意がなく排泄を強制する」ととられかねないけど、あくまで一時的で、職員がその方の生活に寄り添ってなされているものです。「出る出ない」関係なく、ルーチンに入浴前にトイレに座らせるのとは質が違う、排泄ケアの質について教えていただきました。
Mさんからは、入浴で体がリラックスして便が出たっていいじゃないですか?という違う角度からボールを投げてもらいました。たしかに排泄ケアの原点はその人の便が出て、やったぁ、いいのが出たね、と喜び合えるってことですもんね。そかそか、忘れていました。そしてお二人が口をそろえて言われるのは「仲間づくり」ですね。そしてこればっかりは時間がいる。感じていることを話し合いながら、いくつもケースを積み重ねて出来上がってくるものだと思います。がんばりましょう!
Tさん、Mさんありがとうございました。いっぱい考えるヒントをいただきました!(^-^)/
現場で困っている人でこれを読んで、力が湧いてきた人もいるんじゃないでしょうか?実践してみて、結果がでたらまた教えてください。お待ちしてまーす!
介護現場で頑張っているMさんから、質問のメールが来ました。この質問、お年寄りの生活に寄り添う視点で綴られており、とても考えさせられたので、内容を紹介します。私も質問に返信しておりますが、もし現場でこういった問題に取り組んでおられる方がおられたらアドバイスをぜひお願いしたいです。Mさんにも了承いただき、ここにメールの往復を公開します。
Mさんからのメール
研修会はありがとうございました。とてもよい刺激になりました。
今日はご相談したいことがあります。現在の職場は、介護色が強く、生活リハビリの観点、その方らしさからはかけ離れ、首をかしげたくなることが山のようです。
利用者様の意欲を引き出す取り組みは皆無…自由に動く習慣がなく介護職員に誘われるまで声もあげられない、迷惑をかけない!!という高齢者の方々のお姿に………これでいいのだろうか……
今一番気になることは、入浴のお誘いをする際、必ずトイレに行くことを柔らかな言葉であれ強制します。便座に座って、出ない方も多く、座らされるが排泄できない利用者は、少し生活面での認識があやふやで尿失禁の過去もあるかたです。しかし、重度ではありません。尿意がなく排泄を強制することが医学的に弊害がないかと調べてみましたがはっきりしたことは見つけられませんでした。以前に、老研で頻繁な排尿が膀胱炎の原因である細菌を増やしていると聞きかじったことがあります。
果たして、トイレ強制が様々なケースがあれ、合っているのか、私が思う自然な尿意に任せるのか…。何か科学的根拠があるかなぁと考えています。アドバイスをいただけたら嬉しいです〜
松本からの返信
質問ありがとうございます。職場での「これでいいのだろうか・・・」Mさんのようにお年寄りの生活に寄り添って考える人ほどそんなことが増えていくと思います。うまく答えられるかわかりませんが僕の考えを書きますね。
排泄ケアはとても大事ですから、個別的に、その方の生活リズムに合わせて誘導がなされるべきです。メールに書かれている状況は、「入浴のついでに誘導する」ですね。これも一つの機会ではありますが、その人のリズムとかい離してしまっています。誘導する→出ない→不自然な誘導が積み重なっていく という悪循環が生じています。
その人のしたいとき、あるいは出やすい時を介護職員さんが把握することがまず優先されるべきです。三好春樹氏の話にこんなコントがあります。
職員「え、〇〇さん、トイレわかるの?」
老人「あぁ、わかるよ」
職員「なんで今まで黙ってたの」
老人「だれも聞かなかった」
このコントは本人の排泄リズムではなく、職員のタイミングでなんの疑問もなくトイレ誘導がなされている現場の誤りを指摘しています。
排泄は、とてもデリケートなものなので、「信頼の関係」「安心の環境」の二つがセットで行われるべきだと思います。
便意が発芽し、自然が呼んでいる。「ちょいと、今行きたいなー」言える信頼の関係づくり、「〇〇さんはこの時間なんだよね」と職員が知ってくれている安心の環境づくりが目標となります。この関係づくりと環境づくり、一番むずかしいんですけど、ここを僕はどの施設も目指すべきだと考えています。
Mさんの勉強されたこと、疑問に思っていることを職場のミーティングや勉強会でなにげなく議題にしてみてはどうでしょうか?何人かは「そうそう、それおかしいと思ってた!」となるかも。職場のケアを一気に変えるのは難しいですが、こういった人を増やしていくことがやがて流れを変えていきます。
「このおむつ、ほんとはしなくていいんだけど」と思いながらはめているおむつと何の疑問もなくはめられているおむつでは同じおむつでも、実は違う。職員がはめなくていいと思っている前者のおむつならば職員の増員やシフトの見直し等でなくしていくことができるかもしれません。そういう風に職員の感じ方を変えていくことも、とても大事な仕事だと思います。もちろん毎日小さな変化を宿しながら続く、お年寄りの日常を介護するのが第一義の我々の仕事ですが、並行していい施設へと変えていくためのひとづくり、環境づくりの仕事もやっていくんだと思うと毎日の気合が変わってきますね。
Mさんからの返信
早速のお返事ありがとうございます!!疑問に思っていたことのヒントと、視点が間違っていなかった安心をいただけました。排泄やすべてにおいて、高齢者を管理してしまう風潮と、易きに流されがちな雰囲気を絶ち切りたいと感じます。一度、みんなに松本さんの研修参加をしてほしいと思ってるところなのです!!ありがとうございました。
・・・・・・
Mさんと僕の間で以上のようなメールのやりとりがありました。
こういった職員さんの素晴らしい気持ちに生活リハビリの力が答えられたらと切に願います。でも根本的な人員配置など制度上の改革も必要ですね。「よいとわかっていても人員が足りない」、これも本当のことだと思います。介護現場は世間から軽く見られているんです。「これぐらいの人員で、これくらいの給料でいいだろう」と。いや、介護は世間で思われている以上に専門性も責任も重大な仕事です。それを世の中に発信し、世間が間違っていることを気づかせてやりましょう!そんな気合も必要でしょう。世の中を変えていくんです!僕らもいつかは介護される身。未来の自分がどのようにケアされるのか?こんな施設環境でいいでしょうか?誰もが思うはず「いや、よくない」と。
追記
Mさんのメールには尿意がないのにトイレに何度も連れていくことを疑問視して、こう書かれています。
尿意がなく排泄を強制することが医学的に弊害がないかと調べてみましたが、はっきりしたことは見つけられませんでした。
明らかな医学的な弊害となると証明はむずかしいでしょう。でも「トイレはまだいい」と言ってるのにトイレにむりやり座らせようとする人と素敵な人間関係が結べるでしょうか? そう考えるとこれは「職員―利用者」の関係障害を生むということは言えると思います。関係障害が葛藤型の認知症状へとつながっていくのは、研修会で紹介したとおりです。お年よりの持っている「できる自分」のセルフイメージが侵害され「わしをバカにしておるのかー!」という気持ちが芽生えるアレです。だから排泄機能に限定すれば医学的な弊害は見つけにくいかもしれませんが、葛藤型認知症の発生を考慮に入れれば、この誘導法はリスクおおあり、といえると思います。
※今回のブログを読んでくださった排泄ケアにお詳しい方、素敵なアドバイスがありましたら、よろしくお願いします。
メールの場合は以下まで
matumomo★helen.ocn.ne.jp(★を@に変えて送信してください)
宮津市、西原医院で勉強会を開き、講師を務めました。今回のテーマは「安楽死 Yes or No?」 でした。終末期のリハビリテーションを考える際にどうしても死についてしっかり考えないといけないな、と思ってました。
僕らの関わるお年寄りの延命治療はこれからどのように考えていけばいいだろうか?身体じゅうにチューブやセンサーが取り付けられた重症患者は『スパゲティ症候群』と呼ばれます。輸液ルート、導尿バルン、気道チューブ、動脈ライン、サチュレーションモニタetc・・・、こんな状態になってまで自分は生きたいだろうか?いや、あらゆる生に意味はある、僕らになにかを教えてくれている。いろんな死生観がそこにあらわれます。
参加したみなさんと安楽死をテーマにした映画を観て考える時間をとりました。
安楽死をテーマにした「海を飛ぶ夢」(スペイン 2004年)です。
あらすじはざっとしか書きませんが、こんなかんじです。
ラモンは25歳の夏、海へのダイブに失敗して頭を強打し、首から下が不随の寝たきりの身となってしまう。家族は献身的にラモンの世話をしていたが、ラモンは50歳を越え、自らの選択で人生に終止符を打ちたいと安楽死を希望した。彼の死を合法化するために女性弁護士フリアが現れる。そうして尊厳死を求める闘いがはじまる。「生きることは権利であって義務ではない」というラモンのメッセージがニュースで取り上げられ、事態は大きくなり、世論が二分される…。ラモンは、多くの支援者を得て尊厳死を選ぶことに・・・。
1998年帰らぬ人となったラモン・サンペドロの実話を映画化。
重要なシーンをいくつか観た後、みなさんの意見を聞きました。なんと延命治療の拒否を明言し、家族に伝えているという人が4人もおられました。まだ若い方なので、想像のかなたのような自分の最期についてしっかりと考えておられることにびっくりしました。ある方は「私は『お母さんは延命治療はいらないよ』と子供に伝えています。自分のために子供の生活が看病に追われてしまうのはかわいそうだから。10年寝たきりでいるより、延命せずに逝きたい。そして残りの10年で子供たちの悲しみは和らぐでしょう・・・」と話されました。
死について考えることは、とても重いけど、誰もが避けて通れないこと。みんなが死について全く同じ考えになる必要はないと思います。しかし死生観がゆるやかに地域を束ね、安らかな死、その前にある満足な生について考えることから地域づくりは始まるのかな、とも思います。
参加いただいた方、また臨床の貴重な経験を教えていただいた西原先生ありがとうございました。これからもよい地域づくりのためにいろんな知恵を出し合っていきましょう!
興味のある方はこの映画、ぜひ観てみてくださいね。
海を飛ぶ夢 [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
ポニーキャニオン |
台本がないし、話題は揺れて、「あ、これ言おう」と思っても、過ぎてしまったり、あとでこういえばよかった、と後悔もしました。対談とはあなどるなかれ、「瞬発力がいる話芸の一種」なんだということに、今さらながら気づかされた次第です。
それでも読み返してみると百戦錬磨の三好さんにのっかって、私も言いたいことをちらほらとは言わせてもらえていました。もちろん編集部さんにも助けられてます。それではブリコラージュ6月号 私の対談初体験、ぜひ読んでみてください(とても長いのでお時間のあるときにどうぞ)
三好春樹×松本健史 月刊『ブリコラージュ』6月号 ~リハビリ専門職、介護に学ぶ~生活行為に勝る訓練なし!
PTの知識と介護の技術でコワイモノナシ?
三好春樹 松本さんの言葉のつくり方を見ていると、文学部的なセンスを感じるところがあります。でも、関西大学法学部なんですよね。ふつうだったら公務員になるのではないかと思ってしまいます。PT(理学療法士)も硬い道ですが、介護なんていう融通が利くおもしろい世界に入ってきたのが当たりだったのではと思っていますが、どうでしょうか。
松本健史 もともとリハビリと介護がここまで重なり合っていることがわかっていませんでした。2000年に介護保険がスタートしてから、介護ってPTの仕事とこんなに近くて、リハビリの医療や看護の知識がこんなに通用して、使えるものなのだなと体感してから今の仕事ができるようになったと思います。
三好 私の場合は、PTになる前に介護をしていましたから介護現場で働くのは必然性がありますが、松本さんは最初からPTで病院に勤めています。そこから介護現場へ行くのは相当勇気があるというか、ふつうじゃないですよね(笑)。しかも、介護職の青山幸弘(RX組)さんから介護技術を学んだりしているでしょう。介護職から技術を学ぶことをPTやOT(作業療法士)は、あまりしないと思うのですが。
松本 専門職といわれている人が、本当に生活のことをわかっているのかな。と思うことがあったからでしょうね。介護の技術を学び、専門職が言うことより、“足をひいて前かがみでお尻を支えて介助しましょう”というような、生活の中での動作介助のほうが威力のあることを肌で感じました。
三好 PT、OTは筋肉の硬さや、関節、骨の構造などをよく知っているのですが、実際に風呂に入れてみることはできないですよね。身体機能の専門家なのだけれど、それは訓練室の中で見ている身体機能のことです。実際お風呂に入ってしまうと青山さんのような介助は真似ができません。あれは現場から生まれている方法で、解剖学から生まれたものではないのです。
松本 高口光子さんの本を読んでいても、PTがやっている介護が一番へたくそだったという証拠写真が出ていたりします(笑)。しっかりと現場で生活動作を見ている人には負けるな、という思いがありますが、それを見直し、生活動作を大切にすることで、PTやOTの役割も光り出すと思います。
三好 PTやOTは、解剖学や運動学の知識があるという強みがあるので、それと介護の技術が合流したら怖いものなしになりますよね。
松本 環境を整えたうえで、その人の動きを引き出すテクニックも求められますよね。最初は、こんなお風呂で入れるのだろうかというところに、しっかりと理にかなった生活浴槽などにすると、今まで見られなかったその人の動きが見られるようになります。環境にしっかり視点をもつことも大切ですね。
「ジュウゼロ介護」を食い止めろ!!
三好 松本さんがつくった「ジュウゼロ介護」という言葉がありますよね。その名の通り、自立か全介助かという2通りしかない介護が多いです。どうしてそうなってしまうのだろうかと不思議なところがありますが、ジュウゼロ介護のほうが楽だということですかね。
松本 そうでしょうね。僕が介護施設に行って感じることは、職員がお年寄りを待てないということ。今の時代は、携帯があるので待てない人が多いというのもありますね。お年寄りは「せーのッ」と声をかけてから、1、2、3…と数秒おいたあとに動きが出ます。それを待つことができずに介助者が先に力を入れてしまうことが多いです。そうすると一方的な介護になってしまう。まさに「ジュウゼロ介護」です。職員は、「声かけをしています」と言うのですが……。お年寄りの動きをしっかり理解することは、その人に興味をもっているかということとも関係しているのではないかと思っています。
三好 声かけをして相手に伝わっているかどうかではなく、声かけをしている自分が好きみたいなところがあるから、声かけすることだけが目的になってしまっていますね。相手が動いてから支えてあげるのが一番いいのだけれど、相手が力を入れる前に介助者が力を入れてしまうので、全面介助になる。早いほうがいいと思ってやってしまうのでしょうが、待ってあげたほうが本人も納得するし、効率もいいと思います。要するに、どこまでできて、どのような介助をすればいいのかは一人ひとり違うし、お年寄りによっても、そのときの状況によっても違うので、それを考えるのが大変なのでしょうね。ジュウゼロだったら思考力もいらないし、全部こっちがやればいいわけですよね。特浴もそうです。いくら力があろうがなかろうが、全部同じやり方です。楽なんですよね。一般浴は、50人いたら50人、入れ方などを考えてそれぞれ変えなくてはいけません。でも、これは難しいことではありません。私たちは50人ぐらいの人の顔や名前、性格などが頭に入るじゃないですか。どういうふうにお風呂に入れて、どのような介助をすればよいかを把握する能力はみんなあると思いますよ。
松本 ユニットケアなどでは人数も少ないはずなのに、広がっていかないのはどうしてなのでしょうか。
三好 ユニットケアや個室ケアだからいいケアができるかといえばそうではなくて、むしろ小さい空間にいることで管理的になるし、職員もお年寄りもお互いに逃げ場がないから、人間関係が煮詰まる傾向があります。ユニットうつという言葉があるくらいです。あのおばあさんと顔をあわせないといけないのが嫌で職場に来なくなるとか……。その点、広いところはいいですね。嫌なやつと顔を合わせなくて済むから(笑)。ユニットは、よさはあるのだけれど、もっと自由に入れ替わり立ち代わりするほうがいいような気がします。なじみの関係は選べないとしょうがないじゃないですか。いい相性を選べるという意味でも広いほうがよいと思いますね。ユニットは息が詰まる気がしますね。
こぼれ話1
同日、松本さんが講演されたときに、「お笑いに学ぶ認知症ケア」として、お笑い芸人のナイツとハライチの漫才を会場で流しました。ナイツはツッコミの典型、ハライチはノッカリの典型です。対談ででた「リトルナース」にみられるように、訂正し続けるツッコミが増え続けるなか、認知症の人にツッコムのではなく、その人の世界にノッカルことが大切だということを表現するためにもち出された松本さんのアイディアです。お年寄りに振り回されることというのは、ノッカルことでもあります。対談中、松本さんが「ハライチはどうでしたか?」と三好さんに尋ねると……「うちは地デジになって以来、テレビは買い換えないことになっていて、テレビがないんですよ。お笑いは好きだったから、よく見ていたのだけれど、最近のお笑いは知らないです。ナイツは知っているけど。ハライチは見たことがなかったですね。おおそうか、っていう世界ですよね」。皆さんもぜひ、ハライチのノッカリを見てください。振り回されるとはどういうことなのか、そしてノッカルとはどういうことなのか、参考になるかもしれません。
「お笑いに学ぶ認知症ケア~ツッコミ編」は、ブリコラージュ2011年6月号に掲載されています。●バックナンバーのお問い合わせはBBCへ0120-861-863
松本 小規模だからいいとか、絶対言えませんね。偏屈な職員には変わった職員が合うということですよね。
三好 お年寄りもいろいろいますから、職員もいろいろでいいと思います。みんなに明るくて思いやりがあって…とか、そんなやついないよね(笑)。特定の人と気が合って、特定の人とは合いませんっていうのが人間で、そういう個性が出せることが、介護現場のおもしろさだと思います。暗い人は暗い人の気持ちがわかります。介護職に、明るくて人づき合いがよくて、大きな声で返事して……のような人間像を求められても困ります。自分の個性を生かしてくれる職場を見つけることが一番いいと思います。個性をつぶさなきゃやっていけない介護というのは、お年寄りの個性も大事にしていないのではという気がします。
現場ノ「モヤモヤ」ニ名前ヲ付ケロ!!
松本 これまで僕は、介護現場で遭遇するさまざまなモヤモヤに名前を付けてきました。先ほどの「ジュウゼロ介護」もそうですが、リハビリが済んでいない! と言って、訓練にいそしむ人を「リハビリスンドラン症候群」と名づけてみたり。もちろん、リハビリを否定するつもりはありませんが、専門職がその人をリハビリに追い込んでいるとしたら考え直さなければならないでしょう。そんなリハビリスンドラン症候群の人は、「居場所と役割づくり」のケアをしたらどうだろうと、みんなで話し合っています。なので、いろいろと現場でのモヤモヤに遭遇したら、名前をつけてみると解決策が見えてくるかもしれません。名前をつけることまではしなくても、みんなで話し合うことはいいことだと思います。
三好 名前をつけるっていいですね。松本さんはやっぱり文学的ですよね(笑)。居場所と役割づくりの条件があります。①かつてやっていたことかそれに近いこと、②今でもできること、③まわりの人に認められることの3つです。
まず、昔やっていたことはすぐに思いつきますが、逆効果になるケースもあります。元踊りの先生のお年寄りがいました。軽いマヒだったので企画のときに踊ってもらいました。とてもうまくて、さすがだなぁと思ったのですが、本人がものすごく落ち込んだのです。昔のようにうまく踊れないからです。そして、二度と踊らなくなってしまいました。趣味で踊っていたぐらいの人だと喜んでやってくれるのだけれど、プロ級だった人には気をつけないといけません。私も何度も失敗をしました。この役割がいいだろうと与えたら、耐え切れなくてその日の朝に熱を出されたこともあります。昔やっていたことも大切ですが、今の自分がプライドをもてるかということが大事です。そこは支えないといけませんね。
3つめの認めるというところでは、わざとらしいぐらい大げさにほめるケースワーカーがいました。「ありがとうね。あなたがいてくれて助かったわ。今日は本当によかった」と、しらじらしいぐらい口に出します。単純だなぁと思うことはあったけれど、それで喜ぶのです。特養ホームに入っているお年寄りは、認められたりほめられたりすることがほとんどありません。病院から
特養ホームに暗い顔をして入ってきた人が、レクリエーションで活躍し、みんなが拍手をして、その人は泣いて喜びました。障害をもってから、「リハビリがんばれ」とは言われるけど、あなたのままでいいんだよという認められ方をされたことがなかったそうです。その日から表情が変わりました。
私も、批判めいたことを2人続けて言われると相当落ち込みます。厚かましい私でも(笑)。で
も、2人続けてほめられるとすごく元気になります。私のように自立して人前で話すのが平気なタイプでもそうですから、障害をもったお年寄りは、職員2人続けて嫌な顔をされただけで相当落ち込むでしょう。少なくともそういう人の前では少し疲れていても嫌な顔をしないことがわれわれの倫理観ですよね。
松本 うちの施設にだけ電話してくるおじいさんがいるのですが、その人の中で、社会やつながりは、われわれです。そこでわれわれが切ってしまうと、その人は社会から切れてしまうのだということをよく話します。三好さんから学んだのは、関係の力が一番、人を元気にするということ。それをすっとばして、テクニックに走るひとをよくみかけます。もったいない!
振リマワシ、振リマワサレロ!!
三好 病気が大変なときは専門家の言うことを聞くことは必要なのだけれど、それが一生続くのでは、その人の人生が生きいきしているとはとても思えません。老人が生きいきして主体になるのは、こちらが振り回されると松本さんは言っていますが、まさしくそのとおりです。振り回されてかなわないこともたくさんありますが、こっちも振り回せばよいんですよ(笑)。お互いに振り回し、振り回される関係になって、ときには喧嘩をするというのもいいんじゃないかと思います。
松本 元音楽の先生だった人に歌のレッスンをお願いしたとき、歌詞を大きく書いて貼ったほうがみんなで歌いやすいからという要望が出て、字がうまい人がいたので歌詞を大きく書いてくださいとお願いしました。その人には最初は拒否されて「わしも腕は落ちとるし、在宅酸素で持続力もない」というところから始まりました。でも、こちらからお願いして、書きやすい環境も設定しました。これはこっちが振り回しているんでしょうね。「ぜひお願いします、あなたしかいません」と言って、それから毎週書いてもらうようになったという経緯があります。振り回し、振り回される関係も大事なのでしょうね。
三好 介護者・要介護者関係という環境は基本的にあるけれども、それを超えた関係ですよね。振り回し、振り回されることが一部分になることは、人間が豊かになる気がします。振り回されることで思い出すのは、北海道浦河町のべてるの家です。
精神障害者の当事者運動で、GM大会(幻覚・妄想大会)という、一番すごい幻覚や妄想を発表した人が表彰される大会があります。べてるの家は、完全に精神障害者に周りが振り回されています。精神障害が、夕方になると大きな声を出して周りから迷惑がられている。どうしてかというと、かつての職場の上司の顔が50倍ぐらいの大きさになって文句を言う幻覚を見て大きな声を出すのです。そうすると、周りの人がみんなで、その人の家に言って「もう出てこないでください」と幻覚の相手に頼むのです。完全に幻覚につきあって、その世界に入ってしまうのです。これまでの精神医療では、患者の幻覚・妄想につきあうな、あれは異常だから。と言っていたのですが、べてるは完全に幻覚・妄想の世界に入り込みます。精神障害者の人は、わけのわからないことを言うことで何かを訴えているのでしょう。周りがその世界にいっしょに入ることで、統合失調症の人が落ち着くらしいのです。認知症の人も同じで、むしろ統合失調症に比べたら訴えることもわかりやすいと思うんですよね。
どんなことでも振り回される覚悟でやると、相手が信頼してくれます。認知症治療病棟では、専門家がいて、認知症の人は薬を飲まされます。お年寄りは目がトロンとして元気がありません。病棟から出てきて素人がやっているような小さなグループホームに来たとたん、人間らしくなるケースがいっぱいあります。一番の違いは、治療病棟では認知症ではいけないのだと言われる。その点、素人だと、おもしろいこと言う人、何を言いたいのかわからないけれど、何か訴えようとしている人という受け止め方をしてくれるでしょう。その受け止め方の違い一つでお年寄りが落ち着きます。グループホームに入ってきて、その日の夜からぐっすり眠ることもあります。何が違うって、雰囲気が違うとしか言いようがないですよね。
「リトルナース」ハ要ラナイ
松本 振り回されるということは、その人の想いなどを受け止めていく大切さがあると思います。今の世の中は、ツッコミが多すぎると思うんですよね。介護職でも「血糖・血圧・脱水・睡眠・お金の使い方」など、だんだん詳しくなってきて、正常値ではないことをすばやく指摘して訂正し続けますよね。僕はそんな、医療かぶれした介護職を「リトルナース」と名づけたのですが(笑)、介護職の人たちが看護師と同じようになってしまったらもったいない
と思っています。僕たちの仕事は、その先ですよね。
三好 デイサービスでも水1日○ccとかありますよね。飲みたくないのに飲ませて統計つけて……。あれどうかねぇ? だいたい、水分○ccという言い方がわかんないですよね。湯呑に何杯とかだったらわかるけど。それに、食事をしっかり食べていれば水分に換算されますもんね。
松本 その人の顔色を見ていたら大丈夫というのとは違って、医者からのカルテを見ての申し送りで○ccということになるんだと思うんですけどね。
三好 その人の表情を見ずに数字を見てしまうのは変ですよね。数字で判断するなよ、と思います。熱もそうですよね。○℃あるから風呂には入れないとか……。様子を見て、風呂に入れてみようかと判断してもいいと思います。
松本 血圧を見てお風呂に入る入らないを決めてしまうとか、血糖を見ておやつはなしとか……。そういう訂正のツッコミではなくて、僕たちの仕事はその先ですよ。この人の安全なお風呂の入り方はどうだろうとか、血糖が高いのであれば、おやつおやつとなる前に、ほかに興味のあるものは何かなどを考えるのが仕事で、禁止するのが仕事ではありません。
三好 朝から玄関で待つぐらいドライブを楽しみにしているおばあさんがいました。行く前に看護師さんが血圧を測って、高いから禁止と言います。ちょっと待てよ、と。楽しみでわくわくして血圧が高いのと、ストレスが続いていて血圧が高い
のとは違うだろうって思いますよね。数字だけで判断するのは専門職の陥りやすいところです。
イイ介護現場ハ“インド”ニ似テイル
三好 今年2回インドに行きました。なんで行くんだと言われます。秩序がないように見えるんです。日本は秩序がきちっとしていますね。ガイドから日本はどちら側通行だと聞かれ、右側だと答えると、「偏っている。インドは両側通行だ」と言うのです(笑)。本当にそうで、両側通行だとうまい具合に渋滞しません。インドの中でもきちんと整備されている道路は渋滞しています。秩序がないほうが融通が利いて、いいのではないかという思いがあります。今回も、朝の3時にホテルのトランペットが鳴って、みんな起きました。ホテルで結婚式があり、3時に花嫁花婿が旅行に出る時間だったのです。日本だったらありえません。インドは、家族の一生に一回のお祝いの日に人に迷惑をかけて何が悪いという論理です。家族や親族の楽しみ、生活習慣を、公共の平和よりも優先するのです。そっちのほうがおもしろいなと思います。日本の社会は許容度を失っているのではないでしょうか。ぼけた人が夜中に騒ごうが、わけのわからないことを言おうが、人に迷惑をかけようがそれはいいじゃないかって思うのです。
松本 僕もそう思います。ルールを決めることで交通整理はよくなりますが、介護現場でも世の中でもルールで決まらないことが多いですもんね。白か黒か決めてくださいというような介護職は疲れます。僕たちはグレーゾーンで働いているので、その日のその人によって対応しなければなりませんよね。
三好 ケアプランで何を決めようが、同じおばあさんでもその日、その夜によって違いますからね。そもそも、老いという想定外のことに意図的に計画を立てることが間違えている部分もあります。ケアプランやマニュアルがあって
もよいですが、自然の前では想定外だし、全部通用しないことはおさえておかないといけません。その点、インドに行って、カオス(混沌)の中に身をおくと、秩序的になっている自分が解体されるような感覚があります。
松本 三好さんも秩序的なんですね(笑)
三好 ものすごい秩序的ですよ。A型ですから(笑)。それが解体されるのはすごい快感です。いい介護現場っていうのは、インドに似ている気がします。
※2012年3月20日「なるほど!納得介護セミナーin奈良」で行わ
れた講演に加筆・修正しました
こぼれ話2
対談のときに話は出なかったのですが、松本さんもインド旅行に出て人生観が変わったそう。そんな話になったとき、「やっぱり松本さんはふつうじゃないな~(笑)」と、三好さんがぽつり。騙された経験もあるそうですが、やはりインドには一度足を運ぶべきかもしれません。
※ぜひ、ブリコラージュ6月号を手に取ってみてください。対談で触れた実例が写真でも載っています。
10月21日(土)日本通所ケア研究大会 実技分科会の講師を務めることになりました。明日から使える「生活リハビリ術」を2時間に凝縮してお伝えします。
興味のある方はぜひご参加ください。10月21日 広島であいましょう!
個別リハで使える「生活リハビリ術」(午前の部)10:00~12:00 (午後の部)13:30~15:30 (午前・午後とも同じ内容)
詳しくは大会ホームページにてご確認ください。
今日は月一の全体ミーティング。
会議の後は、道場のみんなで車いすの介助や福祉用具の使い方など『引き出し』の数を増やす勉強会をおこないました。
利用者の中には、身体機能が低下し、体重が重く、トイレへ移るのが困難な方もおられます。
そんなとき移乗福祉用具の『こまわりさん』(写真で使っている青い物体)はなかなかの優れものです。
あんまり普及していませんが、使いようによっては立派な戦力になってくれます。
操作が難しいため、家族さんに「これを使って!」とはなかなか薦められませんが、
施設職員さんなら使える人が多いはずです。
生活リハビリ道場で使い始め、よかったので、近隣の施設さんにもオススメしました。
今、近隣の施設職員さんもこまわりさんを上手に使われています。
利用者が立ち上がり、移乗するのを腹部のパッドと足のターンテーブルで補助し、
移乗の苦労を解消してくれます。
もちろんどんな利用者にも使えるというものではありませんが、移乗でお困りの際は試してみてください。
道場で新人のIさんも必死で練習して、だいぶ上手になりました!
2月18日(土)「生活リハビリ術の達人になろう! in大阪」開催します。
明日から使える介護現場・在宅での「生活リハビリ」についてお伝えします。
高齢者ケアについて悩む職員さん、リハビリ専門職に向けて、本人さんの力を引き出す介助法、現場で役立つテクニック 認知症への生活リハビリアプローチ、働きやすい職場づくり、「もし医療・介護職がドラッカーを読んだら・・・」 などなど テクニックから組織論まで盛りだくさんでお届けしようと思います。
この介助はどこがおかしい?そんなビデオも見ていただきます。
介護職さん セラピスト 学生さん 家族さん 毎回いろんな方に参加いただいています。
介護現場密着の理学療法士が現場で積み重ねてきたアイデア テクニックが満載。
ぜひお誘い合わせの上、ご参加くださいね!定員50名まだまだ席あり!
日時:2月18日(土)13:30~16:00
場所:松下介護学館
大阪市天王寺区上本町7-1-24 松下ビル9F
内容:明日から使える生活リハビリ~ 小冊子「生活リハビリ虎の巻」配布あり
講師:松本健史(理学療法士 介護支援専門員 住環境コーディネーター)
参加費:1000円 問合・申込:NPO法人さわやかプラザ
TEL06-6774-6013
「生活リハビリ術」
介護現場のリハビリはセラピストだけが行えばいいのか?
そんなことはない。第一、人手が足りない。
施設職員や家族さんの毎日の関わりのなかで、
できること、それが実は効果絶大なリハビリになる。
また人間は関係の生き物。どんなに設備や人員が揃ったって、関係が途切れていたら
死んでいるのも同じ。
職員の腕の見せどころ「関係の力」なんです。
あるものなんでもリハビリに変えてしまう、「生活リハビリ術」
そんな手法を紹介しています。ぜひ読んでみてくださいね。
京都府リハビリテーション支援センター主催の研修会で恩師、野尻晋一先生に再会することができました。
すばらしい講演でした。古巣の清雅苑や熊本機能病院の頑張っている報告に、気持ちがまた引き締まりました。
ICFのこと、多職種協働、生活期のリハビリテーションについて、また新しい発見がありました。
多職種で関わることの強みやおもしろさが伝わってきました。
リハ職が食事姿勢を検討し始めたことが、食堂の動線や机の配置の変更につながっていくなど、
いろんな視点が入ることの大切さを感じました。
プログラム2は我が丹後福祉応援団理事長三井が生活リハビリテーションへの取り組みを発表。
私もデイサービス「生活リハビリ道場」の説明で飛び入りさせていただき、恩師の前で緊張しましたが
今やっていることを知っていただこうとお話させていただきました。
清雅苑で教わった「連携はケースでつくれ!」という言葉を今でも大切にしています。
一つのケースを大切にして、頼る、頼られる関係をチームでつくっていく・・・
まったく知らない土地で働き始めた時にどれだけこの言葉が心強かったかを思い出します。
野尻先生、遠路はるばるありがとうございました。
忘年会シーズンです。(熊本はこれが尋常じゃない!3次会で
ラーメンのどんぶりに頭をつけたまま寝ている先輩をみたことがあります笑)
くれぐれもお体にお気をつけて。また会える日を楽しみにしています!
三好春樹さんが丹後に来てくれました。丹後福祉応援団主催 「映画と講義で学ぶ 老人介護の方法と哲学」というタイトル。
映画「ただいま~それぞれの居場所」3つの介護現場のドキュメンタリー。
若い介護職がはじめた施設を取材し、ナマナマしい映像と本音の行き交う会話、
本人さんや家族と深くかかわるシーンの連続。
回帰型の認知症(自分が一番頼りにされた時代に回帰しておられる)のかたに、介護職員さんは息子を演じて接していました。問題行動やトラブルは新しい人間関係の構築のための大事なプロセスなんだから、決してトラブルをなくして滅菌するのが僕らの仕事ではないと感じました。
仕事でいつも悩みが多いけど、「これでいいんだ!」と思えたり、
「もっと踏み込むべきだ!」と背中を押されたりするとてもいい映画でした。
そのあと、理事長三井の報告「丹後福祉応援団10年の歩み」。いろんなことに挑戦してきた歴史を振り返ることができました。
僕も生活リハビリについて少し話をさせていただきました。「治す」ことはできない人でも「暮らす」ことはできる。
それが僕らの専門性なのかなと思う次第です。
拙著「生活リハビリ術」買っていただいた方、ありがとうございました。
この本の中で実はぼくは何もしてません。お年寄りのみなさんの個性とそれに関わる職員のすごいケアを書かせてもらいました。
利用者さんは仮名ですが、職員さんはみんな実名ででてもらってます。
読んでくれた方は、また感想を聞かせてくださいね。
後半は三好春樹の講演会。三好さんのお話はいつ聞いてもいいですね。
同じ内容を聞いたとしても、今の自分の仕事の局面と照らし合わせるとまた新しい発見があります。
今日、聞いた中で認知症老人は長く生きたことは自分のせいではない!と主張しているのではないか?という仮説が印象に残りました。
子供が反抗期で親に反発するのは、「勝手に産んだ」という自分ではいかんともしがたい現実に対する反応なのだ。
お年寄りも自分で寿命はコントロールできるひとはいない、望むと望まざるに関わらず、勝手に長生きしたんだ、だから時には現実が受け入れられずに反抗したりするんだ、という仮説。
ほんとこの仕事はいろんなことをかんがえることができますね。だからやめられないんです。
介護の3K (きつい、きたない、給料が安い、ではなく)感動できて 健康になれて 工夫ができる、そんな仕事でもあるんです!
いろんなことに感謝の1日でした。三好さん、土居さん、山田さん 雲母書房の茂木さんはじめ、遠くから来ていただいたみなさん、そしてセミナーに参加いただいたみなさん、道場のらくろ見学までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました。
しあわせなひとときを過ごすことができ、明日からの仕事へのパワーをいただきました。
みなさん明日からもお仕事がんばりましょう!