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And This Is Not Elf Land

The Great Gatsby Ⅱ

Fitzgeraldの文章は読む度に新しい発見があると言われる。印象に残るフレーズが少なくないこの作品の中にあって、特に私が惹かれるのはchapter 6の終わり。

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語り手のNickもまた、東部の洗練された空気に憧れて、西部の田舎には二度と戻らないつもりで、New Yorkに出てきた青年だった。Nickの実家は田舎の旧家であり、彼は十分な教育を受け、同時に伝統的な道徳感も身につけていた。

週末ごとに派手なパーティーを催す「謎の」隣人、Gatsby。彼の屋敷には、週末ごとにflapperと呼ばれる若者たちが一時の幻影に酔いしれるためにやって来て、騒ぎを繰り広げる。彼がNickのまたいとこに当たるDaisyが忘れられず、彼女がやって来るのを待っているのだと知る。

Nickは父親の影響で他人を自分の尺度で判断しないという傾向を身につけている青年であったが、それでもなお、Gatsbyの謎の多い実像や、その生活スタイルや物腰から見え隠れする俗物性に少なからず違和感を覚えていたのだった。

GatsbyはNickの助けを借りて、Daisyに再会することができる。しかし、別離から既に5年の歳月が経ち、Daisyには夫も娘もいた。「彼女にあまり多くを求めない方がいいのではないか。」と言うNickにGatsbyは「すべてを昔のままに取り戻してみせる。」と断言する。

そして…

《原文》
He talked a lot about the past and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy.

ここがなんかよく分からないのだ…

《野崎訳》
彼はいろいろと過去を語った。それを聞いてぼくは-何かを取りもどそうとしているのだ、デイズィを愛するようになった何か-おそらくは自分に対するある観念をでも-取りもどそうとしているのではないかと思った。

うーん、分かるような分からないような…ま、これはあくまでもNickの思いなのですが…しかし、村上訳はさらに私を混乱させてくれました…

《村上訳》
ギャツビーは過去について能弁に語った。この男は何かを回復したがっているのだと、僕にもだんだんわかってきた。おそらくそれは彼という人間のイデアのようなものだ。デイジーと恋に落ちることで、その理念は失われてしまった。

んん~!?そう来ますか…

結局” …something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy”の部分なんですよね…。go into loving Daisyは私的直訳としては、ここは「おそらく、デイジーを愛するということと同化してしまった自己認識のようなもの」、字が小さいのは自信のない証拠なんでありまして…だから、どちらかと言えば野崎氏の解釈に近いです。

ここはあくまでもNickの考えなのです。彼としては、この段階では、確かにGatsbyが何故これほどまでにDaisyと愛し合った日々にこだわるのか理解できていないのです。もちろんGatsbyの人間像もおぼろげにしか見えていないのではありますが…

この後、Gatsbyの口から、Daisyが彼にとっての何らかの化身(the incarnation)となっていったさまを語るのを聴き、Nickの心の深いところで、言葉にできないある種の感情が押し寄せるのです。このあたりも私にとっては「粘着」したい部分なんでありまして、ここはまた次回に。

to be continued
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