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And This Is Not Elf Land

The Iceman Cometh

ユージン・オニール、The Icemam Cometh 「氷人来たる」。手元にある翻訳本は、なんと私が生まれる前に出版されたもの。今は、演劇関係の本の多くは入手困難。


オニールの作品はDesire Under the Elms「楡の木陰の欲望」やMourning Becomes Electra「喪服の似合うエレクトラ」は日本でも上演されることがあるようですが、この「氷人来たる」はどうなんでしょう?(いすれにしても、地方に住んでいる者にはあんまり縁のない話なんですがね)

これは1939年に発表され、1946年にNYのMartin Beck Theatreで上演され、好評を博しました。(こういう話を聞くと、やっぱり{戦勝国}だなぁ…と思いますね。日本では戦後の混乱に喘いでいた時代なのに)この作品をまともに上演すれば4時間はかかる。当時は途中に1時間30分のintermission (夕食時間)をはさんだそうです。…ま、私とすれば、お客はどうでもいいんですが(?)、この膨大な台本を全て頭に入れた役者って…。まさか、ダブルキャストでもなかったでしょうし。

最近では99年、NYでKevin Spacey主演で上演されましたが、縮小したバージョンだったそうです。何度か映画やTVドラマになっていますが、やはり短くなっていたようです。私はどれも未見で、とにかく「氷人来たる」については、原作本しか読んでいません。(戯曲というのは、原作本だけでは魅力の全てはわからないんでしょうが)

それでも、今、あらためて読んでみると、これがベースになっていると言われるアーサー・ミラーの「セールスマンの死」ばかりではなく、今の私たちが「アメリカ発」のものとして(あるいは、特にそう意識していなくても)日常的に受容している映画やドラマ、小説などの根っこにあるエッセンスが凝縮された作品としても面白く読めますね。


1910年代のNY(グリニッジ・ビレッジあたりだろうと言われる)。ホープの経営するサルーンに住む初老の男たちは、サルーンのバーで朝から酒をあおっている。

ラリーはphilosopher(哲学者)を捩ってfoolsopher(馬鹿学者)と呼ばれている。長い間、反政府活動に関わってきたが、それにも限界を感じ、今は酒に浸りながら長く静かな眠りを夢見ている。ヒューゴーは筋金入りのアナキーストであった。黒人のジョーは黒人賭博場で荒稼ぎしていたことがある。…他にも、ボーア戦争の勇者、元英国陸軍の兵士、不正で免職処分になった元警官、元詐欺師、街角に立つ女たちの手引きをするバーテンダー。彼らは、明日の夢に思いをはせながらも、朝から酒に逃げるしかない。そこのオーナーのホープも妻が亡くなって以来、一歩も外へ出たことがなかったのだった。

そんな彼らのところに年に1回、ホープの誕生日祝いにやってくるのがヒッキーというセールスマンであった。彼は東部で金物を売り歩いていた。羽振りのいい彼は、男たちに酒を振舞い、軽妙なジョークを飛ばした。。彼の妻は、彼が家を空けているときにiceman(氷売り)と浮気をしていると冗談をよく言っていた。男たちは、あれこれicemanの噂をした。

ところが、今回のヒッキーは酒を止めたと言う。そして「下らない夢から自分を解放し、ありのままの自分と向き合えば、心の安らぎが得られることが分かったのだ!」と、セールスマン独特の説得口調で語って聞かせる。しかし、その時点で既に彼は友人達に大変な秘密を隠していたのだが、少なくとも、何人かの男たちはヒッキーの「心の安らぎ」の演説に影響されて、改善の一歩を踏み出してみようと試みるのだった。

しかし、現実として、それはたやすいことでなく、朝サロンを出た男たちは、夕方にはまた戻ってきてしまう。

オニールは、人間はとうてい現状には満足せず、明日への夢を見るものであり、しかし同時に、人間には夢の実現を妨げようとする何かを内包しているところに根源的な悲劇があると考えていた。

結局、夢と現実との微妙な距離のとり方ができるかどうかによって、最悪の悲劇を避けることができるかどうかが係っているのだろう。しかし、それぞれの人間の本質は、基本的には変わらないのだ。どんなに夢を追っていても。たとえ、最悪の悲劇を避けることができたとしても、結局は、以前と変わらず、酒に溺れて明日への夢を見るだけ。しかし、ヒッキーと、活動家を母に持った青年パリットは、それさえできずに、最悪の結果を引き寄せて終わる。




icemanは「氷売り」という意味。milkman、muffin manなどのように、モノの名前+manで、そのものを売る人の意味になります。

有名なマザーグースのnursery rhyme(子どもの歌)にthe muffin manというのがあります。みんながmuffinとともに夢を届けてくれるmuffin manの噂をし、かれがやって来るのを待つ思いを歌った歌です。人々の噂にはのぼるが、実際には見たことがない。それでも、いつかは近くにやって来ると心待ちにする。

この作品の中でのicemanもそういう存在だったと考えられます。しかし、icemanが持ってくるのは「夢」ではなかった…

icemanを単に「氷売り」にせずに、さらに得体の知れない「氷人」にしたのは正解だったと、私は思います。


《追記》来年6-7月、新国立劇場で市村正親主演でThe Iceman Cometh(邦題:氷屋来たる)が上演されるそうです。詳しくはこちら

《ついでに》この作品の台詞の中にも「Sing Sing(NY州立)刑務所」が出てきます。
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