The Scientistに「A 10-Step Plan for Better Postdoc Training」なるWhite Paperが掲載されております。
日本でも「ポスドク一万人計画」なる後先考えない訳の分からん博士取得者の量産計画によって、むやみやたらに博士取得者が増えたのですが、そのポスドクの行き先がないというかなり矛盾した状態が現在も続いております。だいたい「ポスドク一万人計画」の頃には少子化が目前に迫っていて、大学の定員枠も狭まることが確実だったのに、ポスドクだけ増やしていったいどうするつもりだったのか、当時から疑問でした。で、案の定、アカデミックポストがポスドク増員に比例して増えることはなく、むしろ減らされる傾向にあって、研究畑から離れざるを得ない博士取得者が増えていく状況が改善されるとも思えず・・・。会社がそういう人材を引き受けてくれるだろうなんて甘いことを考えるのはきっと、霞ヶ関辺りの博士取得者がどういう人材かもよく分からないくせにエリート面して日本の向かう方向性も考えずに動かしてしまっているエライ方々なんでしょう。実際、会社というのは、そんなどこでどんな教育を受けてえらそうに博士号なんて取っちまった融通の利かない輩なんぞよりも、自前で教育して会社のためになる人材として会社から博士号を取らせたような役に立つ人材の方がよいのです。いってみれば、日本の大企業でさえも高度な科学教育を受けてきた人材を上手く活用するほど成熟してはいないということでしょう。
結局、若手は能力・意欲が高ければ高いほど、将来の見えない日本国内でポスドクなんぞするよりも、欧米に渡って実力をつけてあわよくば予算を取れるようになってあちらに生活基盤を築こうと考えるのは当然で、結果的に優秀な人材に限って海外頭脳流出を促進するという、愚かな施策としかいいようのない状態です。で、アカデミックポストに採用されるのは、その大学などで培養された昔ながらの助手・講師と這い上がってきた、実力云々は全く関係のない選ばれ方をした方々か、海外のほんの一握りの成功した優秀な人材か・・・。ここに「ポスドク一万人計画」との大いなる矛盾を感じないでしょうか?
そんな愚痴をこぼしても今の日本の科学者育成・独自科学創成に対する腰の入れ方が変わるわけもないのでどうでもよいのですが、この「A 10-Step Plan for Better Postdoc Training」は米加におけるポスドクの育成に関する提言となっています。
あちらでもポスドクの扱いは問題になっているらしく、ポスドク期間中に十分なトレーニングを受けないまま、脱落していく人が多い現状を鑑みて、どのようにポスドクをトレーニングすべきかについて述べています。
特筆すべきは、研究者として重要な研究能力、予算獲得、プレゼンテーション、交渉技術、実験室管理、技術指導などのトレーニングはもちろんのこと、全てのポスドクがアカデミックポストに就けるわけではないことを前提にして、非研究領域の就職に向けたトレーニングにも言及している点です。特許や科学ジャーナリストなど日本でもその重要性が認識され始めている業種に向けてのトレーニングを含むことでその国の科学界全体のボトムアップに繋がることを意識しているのでしょう。日本でも大学や大学院に科学ジャーナリストを養成するコースを設けようという動きもあるようですが、ポスドクという実際の現場を経験してきた人材を活用することを真剣に考えるべきでしょう。もう一つはポスドクのための組織について言及している点です。あちらには「National Postdoctoral Association」なるものがあるらしく、そこへの加入を奨励すべきとしているようです。
日本でも、いち早くポスドクの研究・非研究実務トレーニングのあり方やポスドクのための公式な組織を検討して、科学界、ひいては産業界にまで及ぶ科学技術社会全体のボトムアップを計るべきではないでしょうか?
# なんてたまにはマジメなことも書いてみる・・・
日本でも「ポスドク一万人計画」なる後先考えない訳の分からん博士取得者の量産計画によって、むやみやたらに博士取得者が増えたのですが、そのポスドクの行き先がないというかなり矛盾した状態が現在も続いております。だいたい「ポスドク一万人計画」の頃には少子化が目前に迫っていて、大学の定員枠も狭まることが確実だったのに、ポスドクだけ増やしていったいどうするつもりだったのか、当時から疑問でした。で、案の定、アカデミックポストがポスドク増員に比例して増えることはなく、むしろ減らされる傾向にあって、研究畑から離れざるを得ない博士取得者が増えていく状況が改善されるとも思えず・・・。会社がそういう人材を引き受けてくれるだろうなんて甘いことを考えるのはきっと、霞ヶ関辺りの
結局、若手は能力・意欲が高ければ高いほど、将来の見えない日本国内でポスドクなんぞするよりも、欧米に渡って実力をつけてあわよくば予算を取れるようになってあちらに生活基盤を築こうと考えるのは当然で、結果的に優秀な人材に限って海外頭脳流出を促進するという、愚かな施策としかいいようのない状態です。で、アカデミックポストに採用されるのは、その大学などで培養された昔ながらの助手・講師と這い上がってきた、実力云々は全く関係のない選ばれ方をした方々か、海外のほんの一握りの成功した優秀な人材か・・・。ここに「ポスドク一万人計画」との大いなる矛盾を感じないでしょうか?
そんな愚痴をこぼしても今の日本の科学者育成・独自科学創成に対する腰の入れ方が変わるわけもないのでどうでもよいのですが、この「A 10-Step Plan for Better Postdoc Training」は米加におけるポスドクの育成に関する提言となっています。
あちらでもポスドクの扱いは問題になっているらしく、ポスドク期間中に十分なトレーニングを受けないまま、脱落していく人が多い現状を鑑みて、どのようにポスドクをトレーニングすべきかについて述べています。
特筆すべきは、研究者として重要な研究能力、予算獲得、プレゼンテーション、交渉技術、実験室管理、技術指導などのトレーニングはもちろんのこと、全てのポスドクがアカデミックポストに就けるわけではないことを前提にして、非研究領域の就職に向けたトレーニングにも言及している点です。特許や科学ジャーナリストなど日本でもその重要性が認識され始めている業種に向けてのトレーニングを含むことでその国の科学界全体のボトムアップに繋がることを意識しているのでしょう。日本でも大学や大学院に科学ジャーナリストを養成するコースを設けようという動きもあるようですが、ポスドクという実際の現場を経験してきた人材を活用することを真剣に考えるべきでしょう。もう一つはポスドクのための組織について言及している点です。あちらには「National Postdoctoral Association」なるものがあるらしく、そこへの加入を奨励すべきとしているようです。
日本でも、いち早くポスドクの研究・非研究実務トレーニングのあり方やポスドクのための公式な組織を検討して、科学界、ひいては産業界にまで及ぶ科学技術社会全体のボトムアップを計るべきではないでしょうか?
# なんてたまにはマジメなことも書いてみる・・・
けど、それ以上に思うのは、将来研究者として身を引かざるを得なくなったときに役に立ち、また科学に貢献できる業種につくためのトレーニングの重要性ですね。研究者だけで科学が成り立っているわけではないので、知的財産や科学ジャーナリストとしての講習会なんかがあってもいいのかなと。特に知的財産に関する講習会は研究者として生きていく上でも重要になってくるでしょうから、是非!って感じですね。
教育、という方法は、どこの業界でもどこの職階でも比較的割安だ、と認識しています。
個人的にはそういう「投資と回収」的な考え方はしたくないですね。むしろ「師匠と弟子」的な考え方の方が私には合っている気がします。
第一、ポスドクは一研究室に留まる可能性の方が低いですよね?そうすると「投資と回収」的な考え方では、せっかく優秀な研究者に育てたところで出て行ってしまうのだから・・・、などという近視眼的な考え方になりませんか?
同感です。ラボのボスも当然指導すべきでしょうけれども、むしろ考えるべきは事業所全体としての取り組みでしょう。
> どんな選択があるんでしょう?
そう!そこなんです。Aさんの時代(私も同じく)では続けて他のところでポスドクをやるというのもなかなか難しい頃でしたし、それ以外には「職を変える」という究極の選択になりましたので、選択肢が増えることは非常に重要だと思います。
# けど、厳しい状況だった分、今よりハングリーだった気もします
特に科学技術関連の底上げに繋がるような関連した職業につくためのルートというものがあって然るべきだと思ってます。ラボのボスもそういう職業の重要性を認識して、むしろPIには向かないと思われるポスドクにはそういう進路があることを率先して指導できるくらいになってもいいと思ってます。
日本には、専従のキュレーター/抱えて博物館でやるような研究を、大学とか研究所で抱え込む、というおかしなところがあるように見えます。選択肢が少ないのはそれも影響してる、という考え方はどうですか。
>近視眼的な考え方
基本的に、金積み上げて優秀な奴を雇う/安くそれなりの奴を雇う、の何れかになるはずです。で、ポスドクにせよテクニシャンにせよ、どちらかというと後者になるはずです。
前者でも後者でも一定のコストはかかりますが、じゃあパフォーマンスは、ということで以下のような話を聞いたことがあります(西沢潤一の著書から、書名失念)。
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「大学におけるR&Dの効率(output, or C/P) @ドイツ」
人も入れ替わるし教育に時間とられるにも関わらず、それが理由で結構いい。
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結局、安く運営できたって、成果がなけりゃC/P比は悪いので、凄い人を高く雇うか、雇う以上教育するか、の2択のはずです。
# 凄い人が安く雇われるなんて、"スレイブナカムラ"呼ばわりされますよ、その人。
> 選択肢が少ないのはそれも影響してる、という考え方はどうですか。
仰っている意味が分かりかねますが、そういう「おかしなところ」がなかったら、どんな選択肢が増えているんでしょう?
>> 近視眼的な考え方
> 結局、安く運営できたって、成果がなけりゃC/P比は悪いので、凄い人を高く雇うか、雇う以上教育するか、の2択のはずです。
そういう、1ラボの経営のような小さな視点ではなく、日本の科学界全体の底上げには、ポスドク人材の有効活用が大事なんじゃないかということなんですが、いまいちばく様の主張されている点が見えかねています。一つのラボ経営の視点からでは、ポスドクの研究者及びそれ以外の将来の進路に備えたトレーニングという観点は考えにくいのではないでしょうか?