”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

「食」と「住」(1)

2007-05-15 09:58:28 | 斜め34度からの視点

このところ、答えを見い出せないモヤモヤ感が続いている。
木青連フォーラムのパネリストのお一人、
西日本新聞社 佐藤弘さんに投げかけられた質問は実に悩ましい。
以下、佐藤さんが書かれた文章を抜粋します。
この文章中の「農」を「林」に置き換えたとき、
果たして「食」は「?」何なのだろうか…

 

抜粋始め)

 

「食卓の向こう側」に見えるもの
~子孫に美田を残すために~
西日本新聞社編集委員 佐藤 弘

「昔、NHKに『明るい農村』という番組があったでしょ。どうしてなくなったんですか」
農業関係の方から講演に呼ばれるたび、私はこんな問い掛けをする。
さて、あなたはどう答えますか?

■日常の中に潜む危機
 二〇〇三年秋、西日本新聞朝刊一面で、連載企画「食卓の向こう側」がスタートした。
プロローグは、福岡市内に住む夫婦共働きの三人家族の、ごくありふれた日常。
「これのどこがニュースなのか」。スタート前には、そんな声もなくはなかったが、掲載と同時に取材班には読者から共感の手紙やファクス、メールが続々。連載をまとめたブックレット(一冊五百円)は四十万部を突破した。
 連載の中には、賞味期限切れのコンビニ弁当を食べ続けた母豚が流産した話や、横浜港に野積みされた外国産の山菜が各地のふるさと食品に化ける話など、おどろおどろしいものもある。だが、私たちの主張は、単なる食の安全安心や、食の裏側を暴露することではないし、「○○してはいけない」といった攻撃的な話でもない。主題は「人と社会のありよう」。そのものさしを「食」に求めただけのことである。生協運動など、少し勉強した人にとっては、内容的には決して新しいものではない。

■農の置かれている位置
「『農』に吹く風」。二〇〇〇年から三十数回にわたり、私が担当した連載である。
安い輸入農産物の流入、高齢化、後継者難などで日本農業が存亡の危機を迎えるなか、二十一世紀の九州農業はどうあるべきかを考える企画で、「(できるだけ)地産地消で、消費者との交流を重視した環境保全型農業」を実践する人々を描いた。
まだ耳慣れなかったスローフードを取り上げるなど、内容は「食卓の向こう側」とほぼ同じなのだが、業界紙が評価してくれた程度で、一般読者の反応はわずかなもの。連載は三シリーズで終わった。
 その三年後、再び、私に連載企画のチャンスがめぐってきた。
編集局長の注文は、「新聞は都市の方ばかり見ている。だが九州の七割は中山間地。もっと地に足のついた視点で農、食、地域づくりに関する記事を書いてくれ」。私は志半ばで中断した「『農』に吹く風第4部をやりましょう」と持ち掛けると、


「農を書け」と言った局長が、「農、じゃなあ」


 そういえば、いつしかNHKの番組から「明るい農村」もなくなった。
暗い農村ばかりになったからか。違う。それは、農家人口が3%にまで減り、もはや農は国民の共通認識ではなくなったからだ。
「食なら100%が関係者。食だ。食でいけ」。そうして生まれた企画が「食卓の向こう側」だった。
 狙いは当たった。二つの企画は実は同じ内容、同じ意図なのだが、「農」と「食」、そのどちらを前面に出すかで、一般の人々の受け止め方はまったく違う。「農の現場を知らずして食を語ることなかれ」と私は思うのだが、悲しいかな、それが今の農を取り巻く現実。
ならば、「食」から攻めるしかない。その向こう側には必ず農がある。
 
(抜粋終わり)


この文章、「食卓の向こう側」に見えるもの~子孫に美田を残すために~はここまでで約半分。

この後、答への手がかりとなる文章が続きます。単純に「食」を「住」に置き換えてよいものか…見えそうで見えないモヤモヤ感は拭えません。


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