声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

さんま御殿 ふかわりょうの発言

2009-02-04 11:24:15 | 読んで欲しい度☆☆☆
昨日何気なくさんま御殿を観ていたら、ふかわりょうの発言が気になった。
『ついムキになってしまうこと』というトークテーマにおいて、『人間の概念について』と言った後『普通の人はどこからどこまでが自分であると線引きしている。でもボクはそうではなくて、全てが自分なんだよって思ってます。そうすると戦争とかなくなると…』という内容の事を言っていた。
結局ふかわの芸風として、この話は流されてしまったが、私は引っ掛かってしまった。
彼の言葉を咀嚼すると『見える物、触れる物、感じる物、全てを自分であるとする事で喜びも痛みも自分の物になる。他人だと認識しているものも含めて自分なのだ。』ということになる。


哲学的であり、心理学的かつ宗教的だ。
まず『全てが自分』であるという考えはその通りだと思う。
『見える物、感じる物、触れる物』を感じるのは自分以外の誰でもない。
それらを認識するのは自分だ。

その上で、人間は何かに触れる事によってしか自分を認識できない。
何か存在するものに触れることによって、同時に自分の存在を確認する。

他者を認識するのは自分であるが、自分の存在を確認するためには他者が存在しなければならない。

そしてそれらを受け入れる姿勢こそ宗教的である。
自分も他者も超越して痛みも喜びも全てを受け入れる。


万人がこの考えに従う事が出来たら、ふかわりょうが言うように、妬みや憎しみや争いはなくなるだろう。