令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(37)舎人はまとふ

2009年07月01日 | 歴史編
【掲載日:平成21年7月31日】

埴安はにやすの 池のつつみの 隠沼こもりぬの 行方ゆくへを知らに 舎人とねりはまとふ

【埴安池の址 香具山中腹より】


壬申の乱  
高市皇子たけちのみこの 勇ましくも 雄々しい姿 それを思うたび  
皇子みこられた 香具山の宮をおおう悲しみ 
戸惑う舎人の嘆き 
人麻呂は 続けて詠う〈前半は「不破山越えて」〉 
・・・わご大君 皇子みこ御門みかど神宮かむみやよそひまつりて
使はしし 御門みかどの人も 白拷しろたへの 麻衣あさごろも

《(亡くなりはった)皇子おうじ御殿みやを 飾ってまつり  白装束しろしょうぞくの つかえの人は》
埴安はにやすの 御門の原に あかねさす 日のことごと 鹿ししじもの いしつつ
ぬばたまの ゆふへになれば 大殿を ふりけ見つつ うづらなす いひもとほり

日中ひなか一日 腹這はらばい伏して 夕べ来たなら いずり回る》
さもらへど さもらねば 春鳥はるとりの さまよひぬれば なげきも いまだ過ぎぬに
おもひも いまだきねば

《心うつろに 狼狽うろたえばかり 嘆きは消えず 思いも尽きず》
ことさへく 百済くだらの原ゆ 神葬かみはふはふりいませて 麻裳あさもよし 城上きのへの宮を 
常宮とこみやと 高くしまつりて 神ながら しづまりましぬ

《野辺の送りに 百済原くだらを通り 城上きのえ常宮とこみや 高々作り 御霊みたま鎮めと おまつり申す》
しかれども わご大君の 万代よるづよと 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや  あめの如 ふり放け見つつ 玉襷たまだすき かけてしのはむ かしこくありとも
まつりしつつも 万世よろずよまでと おもうて作った 香具山宮を
 いついつまでも 心に懸けて 皇子みこを偲んで 振り仰ぎ見ん》
                      ―柿本人麻呂―(巻二・一九九後半)

ひさかたの あめ知らしぬる 君ゆゑに 日月ひつきも知らに 恋ひ渡るかも
高市皇子たけちみこ 天昇られた おもうても 何日っても 諦めきれん》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二〇〇)
埴安はにやすの 池のつつみの 隠沼こもりぬの 行方ゆくへを知らに 舎人とねりはまとふ
《埴安の 池の淀んだ 水みたい お付きの舎人 行きどころない》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二〇一)
哭沢なきさわの 神社もり神酒みわすゑ 祷祈いのれども わご大君は 高日知らしぬ
《哭沢の 神さんの前 酒えて 祈ったけども 甲斐かいないこっちゃ》
                         ―桧隈女王ひのくまのおほきみ―(巻二・二〇二)

持統十年(696)七月のことであった 
人麻呂の 嘆きも 尽きない 



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