【掲載日:平成21年8月26日】
何処にか 船泊てすらむ 安礼の崎
漕ぎ廻み行きし 棚無し小舟
【安礼の崎 音羽川河口】
ひと月半に及んだ 三河行幸から 戻り
心知れた 従賀人の 別れ宴が 持たれていた
留守居の 誉謝女王 長皇子も 同座
和やかな 一時が 過ぎていた
長奥麿が 座を仕切る
〔それがしの歌 一番と思うにより 真っ先の披露といたす〕
引馬野に にほふ榛原 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに
《引馬野の 榛の林で 木に触り 衣に色を 染めて土産に》
―長忌寸奥麿―〔巻一・五七〕
〔どうじゃ なかなかのものであろう さあ 次じゃ 舎人娘子殿〕
大夫が 得物矢手挿み 立ち向かひ 射る円方は 見るに清潔けし
《的方の 海は良えなあ 好え男 弓構えた様に 清々しいて》
―舎人娘子―〔巻一・六一〕
〔これは これは 伊勢の 的方 思い出すのう さあ 誉謝女王殿〕
ながらふる 妻吹く風の 寒き夜に わが背の君は 独りか寝らむ
《長い旅 衣の端に 風吹いて 寒い夜あんた 一人寝やろか》
―誉謝女王―〔巻一・五九〕
〔おお そなたは 婚を結んで 間無しであったのう 衣の褄にことよせ 早く帰れとの 妻の吹く 溜息風か〕
〔それでは ご妻女を 行幸に出された 長皇子殿 心境は 如何かな〕
暮に逢ひて 朝面無み 隠にか 日長き妹が 蘆せりけむ
《長旅を 続けたお前 名張来て ここで泊まりの 宿を取ったか》
―長皇子―〔巻一・六〇〕
〔新妻の 夜明けの恥じらい これは まいった 長皇子殿も 新婚で あられたか あついあつい〕
〔ところで 黒人殿も 婚儀も近いとか 相手は誰じゃ 婚儀は何時じゃ〕
〔来春 早いうちに 相手は 鶴女と申す〕
〔ああ 越の国から来たという
いつぞやの猪名野・敏馬の睦まじさ 名高いぞ
それにしても 長く待たせたものじゃ
無理もない
黒人殿 出世が いま一つであったからのう〕
口さがない 奥麿 黒人は 苦笑いする
〔それにしても めでたい それで 黒人殿の歌は どうした〕
何処にか 船泊てすらむ 安礼の崎 漕ぎ廻み行きし 棚無し小舟
《あの小舟 どこで泊まりを するんやろ さっき安礼崎 行ったあの舟》
―高市黒人―〔巻一・五八〕
〔これは 聞きしに勝る 暗い歌 まあ はじけるように笑う 鶴女と いい取り合わせじゃ〕
ほろ酔いで 我が家に戻る 黒人
思いもかけぬ 知らせが 待っていた
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