+ ナチュラル&スピリチュアル +

日常の中で見つけた”小さな宝物”のような風景や自然の写真とともに、スピリチュアルなことに関しても載せていきます。

トキリマメ

2006-01-31 12:09:11 | 1.風景の宝石箱

 池の次は里山に行きました。

 この里山はマンション建設の計画があったのですが、反対運動が成功して、市が買い取り、公園として残す方向で話が進んでいます。

 ところが「桜は綺麗だから大事だけど、その他の草木は雑草と同じだし、昆虫などがいると君が悪くて邪魔だ。」という意見が多く、また、反対運動を起こした団体も、そのような趣旨で動いているのです。

 こういう話については、もうふれたくないくらい、うんざりしています。
 この前の池の記事で書いたことと、同じことです。
 もう言う必要はないでしょう。

 「緑の保全」の名の元に、豊かな緑を単純な緑に変えてしまう。・・・ナンセンスだし、とても淋しい限りです。

 写真は、この森に生育しているトキリマメという植物です。
 赤く染まったサヤから、濃いアズキ色をした小さな豆が、テカテカ光ながら、目玉のようにとび出ている草姿は、なんとも綺麗でかわいらしいです。

 しかし、このような野草も彼らにしてみれば、つまらないただの雑草。
 このトキリマメをはじめ、様々な野草が生育しているこの里山の土手の部分も、これらの植物たちの保護法方が検討されることもなく、コンクリートの壁になってしまう計画になっています。


かつての観察場所

2006-01-25 14:17:55 | 1.風景の宝石箱

 ここはかつて、私が自然や生きものの観察場所としていた池です(ただし、完全に手放したつもりはありませんが…)。
 一昨年までは、池の一角にガマという湿生植物(水生植物(挺水植物))の茂みがあって、冬の間も枯れた状態のその茂みに、バンという水鳥が隠れて冬を越していたものです。

 ところが人が投げ入れたハスが、数年間の間に池の前面にまで増え広がり、とうとうガマの茂みを消滅させてしまったのです。
 ハスの茂みは茎と茎との感覚が開き過ぎていることなどがあり、バンの冬越しや営巣には不向きなため、この池からはとうとうバンが姿を消してしまいました。
 バンが住んでいる池には、隠れ家となるガマのような水生植物の茂みがあり、エサとなる昆虫や小魚なども豊富です。
 すなわちバンが生息しているということは、そこが良好な自然環境であることを示しているのです。

 ですが人々は、バンという水鳥が池から姿を消してしまったことなど気にも留めず、ハスが増え広がって、そのきれいな花を観賞できることを喜んでいます。
 再びバンの住む環境をこの池に取り戻そうなどということは考えようともしません。
 人々にとっては色々な水鳥や昆虫や小魚が住む良好な自然よりも、また、そのような豊かな自然が町に残っていて、その自然を共存しようとするよりも、ただきれいな花が見れた方が重要なのです。

 近頃は、自然環境や緑の保全において、おかしな方法がまかり通っています。
 「桜は大事だが、他の木や草や生きものたちは邪魔だからいらない。」
 「ハスがあれば他の植物や自然の生きものたちはいらない。」
 このような意見で、緑の管理が行われているのです。
 
 昨年から今年にかけてイヤな、そしておかしな事件がいくつもありました。
 それは自分の利己的なことだけしか考えずに起こったことのように思えます。
 これらの事件は氷山の一角に過ぎず、このような事件を生み出した社会全体の風潮そのものに問題があると言えると思います。
 今は個人主義の世の中となっていますが、それを利己心の追求が許される世の中なのだと履き違えているのではないでしょうか?
 結局、行政も個人主義を理由に、多くの場合それを良しとしているのです。
 悪いことを「悪い。」、良いことは「良い。」と言える人はなかなかいなくなってしまいましたし、そのようなことを言っても返って反感を買ってしまう世の中になってしまいました。
 これは最近の若者ばかりが悪いのではなく、大人にもそういう人が多くなっているということです。


 緑の保全においても、人々の心は利己心で満ち溢れています。
 その池やその地域の生きものや自然環境のことなど考えもしません。ただ、自分の好きな1種類か2種類の植物が生えていれば良く、自然や自然の中に住んでいる生きもののことなど、どうでも良いのです。
 これが、利己心でなく一体何でしょう?
 自然の生きもののことなど考えずに利己心の実現ばかりを追及する人々が多く集まって合意形成などと言っても、良いものなどできないと思います。それは利己心に根ざしているからです。

 このような人々が多く集まるようになってしまったため、私はこの池で、自然観察会を行ったりする活動ができなくなってしまいました。
 新しい、活動場所で昨年活動を始めたばかりです。
 この池に映る青い空と白い雲を見て、「この世界は人間の勝手に生きものたちを滅ぼして良いものではないはずだ。なかなかうまく行かないけど、良いはずのこと、正しいはずのことを伝えるためにガンバろう!」と決心する私なのでした。




富士山の見える場所

2006-01-24 15:44:26 | 1.風景の宝石箱


 続いて、富士山の見える場所に移動。
 実は富士山の撮影が一番の目的だったのです。雪が降ると大気中のチリを地上に落としてくれて空気が澄み、富士山がきれいに見えるからです。
 先ほどの都市農家の話も、これから後に続く話も、その行き帰りの過程で出会った風景です。
 富士山の見えるこの場所は昨年の秋に見つけ、撮影する機会をうかがっていました。

 私の住む町は東京近郊です。しかしこの町でも富士山や、その手前にそびえる山脈が見えるのです。それがなかなか見えないのは、町の空気が汚かったり、高いビルが建っているからだけです。

 これらの山には高いビルは建っていないし、コンクリートやアスファルトで覆われてもいません。このような風景を見て、私たちは何を感じることができるでしょうか…?
 私たちは遠くの富士山や山脈を見て、大気や大地のつながりを感じることができます。そして、高いビルが建てたり地面をコンクリートなどで覆ってしまったりしているのは、都市やその周辺だけだけなのだということを感じることができるでしょう。

 都市に住んでいると、大気や大地の周囲とのつながりと広がりとが認識しにくくなってしまいますが、このことを認識することは大切なことだと思います。
 なぜなら、都市は都市だけで成り立つことができないからです。都市は便利ですが、食料や水など私たちが生命を支えるのに必要なものを生産する機能は持ちません。都市の周りから、農作物や水などが供給されるから成り立つことができるのです。
 付け加えると、都市で発生した排気ガスなどを浄化してくれるのは、やはり都市の周りの緑です。

 だから、遠くにある山などの、緑や大地が広く残っている景色が見える場所があること。これはとても大切なことに思えるのです。



気を取り直して…

2006-01-24 14:57:48 | 1.風景の宝石箱

 私の住む地域では珍しい雪景色を撮影しようと思って、一番最初に足を運んだ所で、悲しい現状を目の当たりにしてしまいました。

 ・・・気を取り直して、次の地点へ。富士山が見える場所です。
 その途中で日の出を見ることができました。
 先ほど手に取ったカラスウリの実の色と重なる橙色…。

 拾ったカラスウリの実(種子)と朝日が昇る風景とで、希望を取り戻す私なのでした。



都市の緑の行方…

2006-01-23 15:08:14 | 1.風景の宝石箱

 農地の緑や土壌を潰して進められている住宅の建設現場で、カラスウリが落ちているのを見つけました。
 最近の宅地造成はコンクリートやアスファルトで、ことどとく地面を覆ってしまいます。こんな所では植物の種子が落ちても、芽を出すことができません。このような環境でも生きていける外来種か、人が人工的に植えて世話をする植物だけしか、緑を形成するものがなくなってしまいます。

 私は子供のころ、周りの大人たちから、こう聞いていました。「地面をコンクリートなどで埋めてしまうのは良くない。」って・・・。
 「どうして?」と聞くと「土の中にはセミとか、アリとか、色々な生きものが住んでいるから…。地面がないと、草や木も生えることができなくなってしまうでしょう?」と答えてくれていた記憶があります。
 昔はとにかく、”命あるもの”を大事にしていたように思います。
 それが今では、人が少しでも便利な生活をするためになら、命あるものは当たり前にその生存権を略奪されてしまうのです。
 人が少しでも便利な生活をするためにその存在を許されないなんて、なんて悲しいことでしょう…。

 人が作った時代の風潮によって、”命あるもの”が、大切なものから取るに足らないものに変わってしまうなんて…”命”の価値って、人間の勝手でそんなに変わってしまうものなんでしょうか…?
 この星、地球は人間だけの星ではないはずです。色々な生きものが住んでいるから、私たち人間もこの地球で生きていくことができるのではないでしょうか…?
 時代の流れによって、「大切なもの」そのものが大切ではなくなってしまったわけではなく、私たち人間自身が変わって、その「大切さ」がわからなくなってしまったのだと思います。

 そんな私たちが環境問題に取り組もうとしても、おかしな環境保全しかできないのではないかと思います。
 自然環境に対して謙虚に向き合いながら、まずは私たち自身が変わっていく必要があるのではないでしょうか…?

 ちょっと暗い話になってしまって、申し訳ありません。
 ・・・・・自然の緑が生えていた地面がコンクリートになってしまっても、残されたカラスウリの実を見つめて希望を見出す、私、まっくんでした。



都市農家の行方…

2006-01-23 14:08:21 | 1.風景の宝石箱


 この「風景の宝石箱」のコーナーには、ありふれた日常の中で見つけた、小さな宝物のような自然や風景の写真をお届けするつもりで設けました。
 しかし、その風景から私が感じることは、楽しいことばかりではありません。その風景を見て、その変わり様に悲しくなることもあります。
 ですが、この悲しい思いをすることが「悲しんでばかりいられない。頑張らなくては!」と思い起こすきっかけにもなっています。
 今後もこのようなことはあるかと思いますが、今回は悲しい話をすることをお許し下さい。

 さて、地元では珍しい雪景色の写真を撮ろうと、家を出てまず最初に足を運んだのは、自宅のすぐそばにある生産農家です。
 この農家は無農薬野菜を生産していることでファンが多いのですが、都市農家の現状は厳しく、悲しささえ感じます。



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 …というのは相続税の支払いができず、農地の一部を国税庁に土地を没収された上に売却され、住宅が建設されたりしているのです。

 写真は農地のど真ん中が宅地化され、「分譲中」の旗が上がっている様子です。
 この農家のご主人は、いつも言っていました。
 「日本の食料自給率が40%にも下がって、日本は大丈夫なのだろうか?」
 「自分は戦争を経験しているが、大事なのは水や食料が得られ、避難場所にもなる農地は、とても大切なものだ。」
 「農地は一度潰してしまうと、再び畑に戻すまでに5年もかかる。」

 全国では、このように土地を取り上げられてしまう農家が数多くあり、中にはそれで思い悩み、自殺してしまう例も少なくありません。

 経済大国と言われる日本。・・・しかし、国債赤字でひどく借金を抱えていますし、自然がどんどん壊されていっています。地球規模でも環境問題が深刻になり、食糧危機やエネルギーの枯渇化も進んでいるのに、自国の食料自給率を低下させ、自然環境を壊していってどうするのでしょう。

 国ばかりを責めても何にもなりません。私たちがそういう現状を知り、未来の日本、未来の地球のために意識を持って、身近な自然や農地を守ろうとしていけるか、ということが大事なのだと思います。






やっと良い写真が撮れました

2006-01-23 13:33:48 | 1.風景の宝石箱
 今年になってから、なかなかいい写真が撮れずにいたのですが、やっと撮れました。

 こちらでは、21日の土曜日に雪が降りました。
 翌日は晴天だったので、近所を2時間ほどかけて散歩しながら、地元では珍しい雪景色の写真を撮りました。

 写真を撮りながら雪景色を見て、色々なことを感じました。
 この、私が感じたことを記しながら、この時撮影した写真を今日から何日間かかけて紹介していきます。
 悲しい話も出てきますが、大切なことを書いたつもりですので、最後まで聞いて(読んで)いただけたら嬉しいです。


南太平洋共同館

2006-01-19 16:09:27 | 4.ナチュラル&スピチュアルⅡ

 はじめに訪れたのは南太平洋共同館。

 地球のこのエリアは、特に地球温暖化の影響が大きく現れているところなのです。





モノカルチャー的発想の緑の保全(その2)

2006-01-19 14:44:48 | 3.ナチュラル&スピチュアルⅠ
 前回、近年見られる自然環境の保全がモノカルチャー的になっている面というお話をしました。
 もちろん、近年における自然保護系の活動や事業の全てがそうであるというわけではありません。ちゃんとした自然保護(自然環境保全)が行われている一方で、そのような事例などがあるという情報を聞き入れず、自己流で行ってしまっている事例もかなりある。ということです。


 これは一体どういうことかというと、
    どうもこういうことらしいのです。…


 ●行政が予算不足なため、ボランティアを活用しようとしている。

    何かの業務を委託したい場合、その道のプロに依頼するのが良いと
   考えるのが普通でしょう。なぜなら、その道のプロだと、調査や研究、
   ノウハウを持っているから、目的に沿った良い仕事をしてくれるから
   です。
    しかし予算不足の行政は、市民ボランティアを活用することを考え
   始めました。


 ●ボランティアは結局、素人

    ボランティアというのは結局は素人です。まれにそういう人もいらっ
   しゃいますが、一般に経験やノウハウを持っているわけではありません。
    おまけに、仕事で行う(収入があるわけではない)ので、調査や研
   究など、普通はしたがりません。
    それで結局、「桜だけあれば良い。他の植物や昆虫や野鳥は邪魔な
   だけ…」となってしまっているのです。



 こんなことをボランティアの方々に言えないじゃないですか?言ったら当
然、気分を害して怒るでしょう。
 行政に言っても、「予算がない」「ボランティアの方々に頼んでいるのだ
から、その立場では言えない」「今は、みんなでやることに意義があるとい
う社会の動向になっている」・・・そんな答えしか帰って来ません。


 では、自然は一体どうなってしまうのでしょう。
 これでは、自然は守られていきません。

 こうした中では、誰も自然のことなんて考えていないのです。
 みんな好き勝手にやりたいだけじゃないのでしょうか?

 行政も、こうした現状に早く気付き、改善してほしいものです。



ゲート前

2006-01-18 14:34:01 | 4.ナチュラル&スピチュアルⅡ

 リニアモーターカーの中から撮った、会場のゲート前の写真です。

 開園約1時間前に到着したのですが、もう、この混み様。
 実は、夏休み中は混むから夏休み明けになったら行こうということにしていたのですが、みんなそれを狙っていたようです。

 この日は開催してから一番入場者数の多い日で、 13万人の入場があったそうです。翌日、ニュースで聞きました。