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眼鏡橋と太鼓橋を訪ねて(えびの市)

2006年01月25日 | Weblog
 山の案内 歩き日記

写真:左上(太鼓橋)/右下(眼鏡橋)/冬枯れの田園

 享保用水路の太鼓橋の写真がないかと依頼があり撮影に訪れた。ついでに周辺を歩きながら冬枯れの田園風景も撮影した。

■享保用水路

 享保用水路は享保年間に造られた歴史のある用水路である。太鼓橋は10×10×50cmの石を積み上げた、享保用水路の水路橋である。

 その昔、飯野平野は、広大な土地がありながら、水の便が悪く水田利用が出来ない状態であった。そこで、享保17年(1732)にフランス山の上流約200mに井堰をつくり、飯野平野に水を引くこととした。

 用水路は、長さ6,800m、幅2.1mで山を削りながら作られており、途中には隧道5ヶ所あり、当時は測量器具もなかったため、夜に提灯を利用して高低を測りながら大変な苦労の末に完成した用水路である。

■太鼓橋(国の登録有形文化財)

 めがね橋の上流300mにある県内最古の石造りのアーチ橋。正式名称は「享保水路太鼓橋」といい、享保の時代に飯野平野の水田に水を引くために造られた。全長58m、幅員8.8m、橋の中央には1m幅の細い水路が走っている。台形を2段に重ねた石橋の構造である。

■眼鏡橋(国登録有形文化財)

 眼鏡橋は川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局が木材搬出用に架橋したものである。石造3連アーチ式で、正式名称は「月の木川橋」といい、昭和3年(1928年)に完成した。

 木材でやぐらを組み、それに50cm角の石を積み重ね、アーチの中央に親石として五角の石が組み込まれている。鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われる。軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。

 





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