maeken1's journal

サッカー好きの青年、maeken1の気まぐれ日記

2017読書 第2Q

2017年07月15日 22時36分59秒 | よむ・きく・みる

今年、第二四半期の読書。3ヶ月で15冊はいいペース..
あるあるから、歴史大作から、女子目線から今回も様々に(^ω^)
(これは個人的な備忘のための読書の記録です。。。)

まずは、「人生はあるあるである」レイザーラモンRG著

あるあるを見つけることは物事をじっと見て肯定的に捉えること。
価値観の異なる他人のなかで生き抜こうとするすべての人の道を
明るく照らしてくれる。信じて歩んだ先には必ず道ができる。
生きる道を見つける「あるある探し」。
「逆境」あるある・・人間を成長させがち。

少し深いを探るにはベタなことも理解していないといけない。
基本を押さえることは重要。その上で何があるあるか理解する
こと。学校の勉強を押さえた上で深くないと信頼を得られない。

「ツッコミ」はあるあるが分ってないとできない。あるあるは
流行もそうだけれど、まずは常識。みんなが思っていることを
みんなが気づくよりも先にスパーンと言わなくてはならない。

努力してる過程こそ、いちばん頑張った瞬間。成功の瞬間は
その結果に過ぎない。努力してる時間は孤独な時間。だから
普段から本当によく観察し、褒めると響く。
「褒め」あるある・・途中の努力を褒められると響きがち。
否定でない言い方を工夫することは自分にとってもプラス。
「これは面白いけど、こんなのもどう?」という言い方を探す
ことは自分の観察眼のスキルアップになる。さらに尊敬され、
結果モテる。「自信」あるある・・褒められて芽生えがち。

相手のことを嫌だと思っていても、自分が嫌な態度に出る
ことはない。自分の周りに集まる人こそ自分自身を表してる。
「周りに集まる人」あるある・・自分の鏡。

独り占めは世界を狭める。
「長続き」あるある・・人に任せがち。

ブッダやイエス・キリストやギリシャの哲学者たちは「人間」
あるあるに全部気づいていた。その時代から人は変ってない
ということ。煩悩がある、それが人間あるあるかもしれない。
それが「人間」あるあるだということを皆が理解すれば、
世の中はもう少し平和になるかもしれない。あかん「人間」
あるあるが出てる!かっこ悪いことになってるぞ、と。

どんな人間にもあるあるがある。ひとつだけでも見つける
ことができれば、それキッカケに打ち解けられ、その場所は
愛すべき居心地よい場所になる。あるあるを見つけることは
自分の周りのすべてを、そして自分自身を愛することだ..


次は歴史もの。。。「関ヶ原」司馬遼太郎著

この夏、岡田准一主演で映画化される期待の作品の原作。
754頁の大作は、何か客観的に関が原が語られている。
司馬遼太郎が関ヶ原という悲劇!?を思いついたところから
書いた作品。

左近曰く、智弁勇だけでは世は動かせない。
三成に、真に大事をなすには、もう一徳必要、と。
人は利害と恐怖で動いている。正義で動いているのではない。

三成の朋友、企画・行動をたすけた三人に徳川幕府の禁忌は
及ばず。大谷吉継、島左近、直江兼続は快男子の典型。
もてはやされた。

家康曰く、ばくちは勝つためにうつ。勝つためには、知恵の
限りを尽くして、いかさまを考える。あらゆる細工を施し、
最後に賽を投げるときには、わが思う目が必ず出る、という
ところまでいってから初めて投げる。それが、わしの博打だ。

徳川家康は「厭離穢土欣求浄土」
現世(穢土)をきらい、死(浄土)をあこがれよ、という
浄土宗の言葉。これを見れば、自然勇躍して死をおそれぬ
気持ちがおこる、という。。。石田三成は「大一大万大吉」
一人は万人のため、万人は一人のため、現世利益に満ちる。

三成曰く、英雄たるものは最後の瞬間まで生を思って、
機会を待つものである、と切腹せず。人々の心の底を、
この目で見て泉下の太閤殿下に報告し奉る。病的正義漢は
馬上の勝利者どもを検断する気魄だけで生きてるようだ。

最後、如水と初芽の会話。。。
魅力がなく終わろうとした豊臣政権を続かせようとした
三成には無理があった。けれど「あの男は成功した」。。
ただ一つ、故太閤へのなによりもの馳走となった一挙。
太閤は救われた。


井伊家の教え」田原総一朗著

今年の大河は井伊直虎。彦根城築城410年で彦根の街も
賑わう。そんな年に彦根出身のジャーナリストが地元を
テーマに書いた書。

井伊といえば、井伊直弼。維新以降の世界ではこれまで
極悪人と断罪人と評価されてきたが、信念を貫き、義を
貫き、己の身を顧みず強い意志で逃げない生き方をした、
と言えるのではないかと。大義ある判断、いわゆる
「社会のため」ということだとか。。。

井伊直虎は由緒正しい血筋を持つ国人領主だったが、
今川家に翻弄され滅亡の危機に瀕したが、井伊直政を
徳川家康の家臣にさせることで、その危機を回避した。
そして、そののち直政は徳川の重臣として大輪の花を
咲かせる。いわば、井伊家のこの歩みは世界情勢の中の
日本。自国だけでは国を守れない日本がアメリカ・
中国・ロシアの中で、他国とどう組むのか。。。
戦国時代の直虎と同じだとか。

井伊家の当主たちは都度、ぎりぎりの選択を迫られ、
判断し家名を命懸けで守ってきた。冷静な判断は、
抜群の政治センスと外交手腕が井伊家DNA。井伊の
赤鬼という武勇だけでなく、卓越した政治力を兼ね
備えていた。

最後にあった、佐和山と彦根城。目に見えない境界線。
滅ぼされたものと栄えたもの、それを感じられる街、
それが彦根。今もなお、三成も直政も直孝も直弼も
生きている歴史の街。

直虎が力を発揮できたのは井伊谷で多くの領民たち、
家臣たちに慕われていたから。直弼が幕末にあの
決断ができたのも彦根藩の領民たち、家臣たちに
愛され、信頼されていたから。。慕われ、愛される
行動と言葉をリーダーとして持ってた、というのは、
井伊直岳氏で田原総一朗も心の残った一言とか


研修の中で登場した、佐藤一斎。。
小説・佐藤一斎」童門冬二著

どんな人でも、学べる(師)語れる(友)学ばせる
(弟子)人になり得るため、一期一会、人の一生で
一度しか出会えない人、あるいはチャンスは大事。
人生は旅にも似ているし、好奇心と情熱さえあれば、
その人はいつも青春、ということが出来るとか。
時と場合による融通無碍で、1人の人間が師にも
友にも弟子にもなる。この本は佐藤一斎が出会い、
影響を受け、影響を与えた存在を探求する本。。。

陽朱陰王ではなく、清濁あわせ飲む。
己を尽くす。誠を尽くす。天の道。天職を果たす。

一斎の心理は複層構造で、その目は広く、奥が深い。
円のように東西南北いずれの方角から接してきても
全方位で対応する。決めつけずに、本質を見抜く。

八勿の君(渡辺崋山)重職心得箇条(佐藤一斎)
理財論(山田方谷)にて、共通した教えは、常に
心を平静にして情報をきちんと集め、判断し、仮
そめにも情にかられて激昂するようなことをせず、
人を欺こうなどというよこしまな心を持たずに、
心の実すなわち誠意を尽くすこと。つまり、誠を
もって難問に対処せよ、ということ。

佐藤一斎は学問の真理を守り通す。なにを(内容)
という議論をし、だれが(人・言い手・やり手)に
こだわらない。「恒温の思想」。よって、時代や
見る立場によっていろんな受け止め方をされる。。
温度が一定しているため、時代が熱くなれば冷たく
感じ、逆に時代が冷たくなれば温かく感じる。井戸
水のようなもの。

儒教文化における東洋教学の最高峰「白鹿洞書院
掲示問」(朱子)為学・終身・処事・接物いずれも
畏天命・尊徳性でないといけない。朱子の説(大意)
をふまえ、意をはかり求め、善は一つだが、その
表現は人によって異なる。道理の異なったものは
斥けるが発言は一々斥けてはいけない。原理と応用。

身の回りの批判に熱中していると結局は広い範囲に
目を向ける心を失ってしまう。一地域のカエルが
もっと眼を開き、もっと広い世界のカエルになるべし
(島津斉彬グローカリズムと西郷隆盛、川口雪篷)。
そして、敬天愛人。

佐藤一斎 -克己の思想」栗原剛著

佐藤一斎は天を求める(志す)自己を認め続けよう
とした思想家だった。己の何たるかを見極め続け
ようとした思想家だった。志すという営為に自らの
全てをかけた。志という思想にこそ、彼の学のあり
ようがある。

自分の人生に対して絶対的に迫ってくる定めを避け
ずに受け止める。福を求めず、禍に口惜しからず、
その数を怪しむことなく受け止める。そこに居て
動じず、安んずる。そこに安楽を見出す。。。

学とは、まず書を読み、文辞を学ぶ。これが有字の
書を読むこと。続いて自らの行動のあり方を学ぶ。
そして最後に自らの心を学ぶ。まとめて、無字の
書を読むという。文→行→心。。。

志は、たとえいったん立てられたとしても、油断
すればいつでも揺らぎかねない。見失われかけた志を
つねに立て直していく努力が必要。立志は、そのまま
学の全体をおおう営み。

一人静坐し自省という営みは心を学ぶ直接的なそれ


決戦!新選組」葉室麟ほか著

新選組はなかなか理解するのが難しい。
なので、この決戦シリーズで幾ばくかでも理解を深める。

近藤は自ら「私事ではない、公のためだ」と言い聞かす。
凡庸な男、養子に入り剣術道場の主となったが生まれは
農家。剣術の腕前も、学問も、要領も、容姿も、秀でて
いるものなど一つもない。

沖田は近藤勇を師と仰ぎ、兄のように慕っていた。が、
「心の底から信じているけど一等分からないんだ」とか。

沖田は天賦の才を発揮し、塾頭となった。
打たれないのは近藤くらいだが、それは師匠への敬意。

薩長は関が原以来、豊臣方を完膚なきまでに潰した
豊臣秀吉。旧主の一族を根絶やしにしようとする。
薩長は、徳川およびそれに与した会津など佐幕派を
完膚なきまでに滅ぼしたい。勤王の志士を斬りまくる
新選組などはその最たるもの。生き残らせるわけには
行かない。奇しくも二条城を出た徳川慶喜はかつての
秀頼のように大坂城に閉じこもった。徳川幕府を神聖
化して疑わなかった近藤勇と同じように慶喜自身も
思い込みから逃れられなかった。

新選組から脱けたい者がいると思えば、戦いたいのに
戦えない者もいる。結局、新選組の本尊は、江戸から
京都まで苦労をともに重ねた、生え抜きの少数のもの
たちだ。

近藤も思想にこだわりすぎ、精彩を欠いた。
武士になる夢を叶えてからの近藤はくすんだ。

世では新選組は、ただの暗殺集団という謗りを受け
ている。近藤や土方と過ごした時代は、そのような
不純なものではなかった。確固たる義があった。
輝ける瞬間は、名誉を手に入れた時ではなく、駆け
上がろうと死力を尽くしていた時、、、ということ


女子の気持ち。。「私をくいとめて」綿矢りさ著

みつ子のおひとり様と自身の分身Aから解放される
話。。。分身Aは文末に♡を付けたら気分が上がり、
ちょっと意識するだけで他者との関係も向上する
などとアドバイスをする。なかなか面白い。

同僚ノゾミさんとのギャップもありながら、友人・
皐月のいるイタリアへの旅で開かれる。ノゾミと
片桐、そして多田とのディズニーランドらしい
一日を経て、おひとりさまの総本山をクリアして
多田を得る。

根本的に必要じゃなくても生活位あるとうれしい
存在はたくさんある。人間が必要とするのは、
いつも自分以外の人間。求めるのは他者の存在。

分身Aはいつも見守る。しゃべらなくてもいつも
私と共にいる。私はラッキーだ。本物の孤独は
永久に存在しない。たから強くなれる。返事は
聞こえないが、頭の中でAが微笑んだような。
脳のシワのうちの一本がゆるんだ感覚、、、

出会いなおし」森絵都著

変わった自分を見てほしい。そう願いつづけて
きた相手がいざ再会してみると、自分よりも桁
違いに変わっていた衝撃。。。

ああ、年をとるって面白い。出会い、別れ、再会、
別れ---年を重ねるということは、同じ相手に、
何回も出会いなおす、ということだ。会うたびに
知らない顔を見せ、人は立体的になる

美しい距離」山崎ナオコーラ著

病院側の妨げにならない範囲で看病を求められて
いる。そして、妻を大事にする他の人たちの邪魔に
ならないように。配偶者が遠慮すべきときも、
きっとある。妻のことを思っている人は、その他
にもたぶん、たくさんいる。

忌引きという休みがあるが、死んでから休みを
もらって何になるのだろう。むしろ、死ぬ前に
休みが欲しい。でも、余命を言いたくない。
おそらく、未だ妻は生と向かい合っている。
明るい方へ行こうとしている。特別な流れに
身を任せようとはしていない。

また、こちらの感受性の問題だったか。心の
狭さのせいでいつもいらいらしてしまう。
やはり、相手のせいではなかった。

片手を挙げたい。「来たよ」「来たか」と、
片手を挙げたい。これまでずっと、「ただいま」
「おかえり」「ありがとう」「悪いね」といった
挨拶で、何度も片手を挙げ合ってきた。結婚後は
妻に頭を下げるなんて、一度もしたことがない。

骨壷に手を合わせ、ですます調で話しかけた。
妻は、より神に近づいた。ですます調で話し
かけたのは、十六年前以来のことだ。出会った
ときは丁寧語を使った。しかし、すぐに関係が
近づいて、数ヶ月でタメ口になった。。妻との
距離が急速に離れていく。ほんの少し前まで、
爪も切ってあげ、耳かきもしてあげていたのに
もう神だ。遠い存在だ。

近いことが素晴らしく遠いことは悲しいなんて
思い込みかもしれない。遠く離れているからこそ
関係が輝くことだってきっとある。

離れ続けているのだ、と思った。妻が死んだ
ときに距離の開きが決定したのではなくて、
死後も関係が続いている。冷静に考えるときは
その瞬間を特別視する必要はない。

出会ってから急速に近づいて、敬語を使わなく
なったり、ざっくばらんな言葉で会話し始めた
とき、妻との間が縮まったように感じられて
嬉しかった。でも、関係が遠くなるのも乙なものだ。
淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、すべての
関係が光っている。遠くても、関係さえあればいい。
人と人との距離はいつも離れ続ける。離れよう、
離れようとする動きが、明るい線を描いていく


改めて新書もいくつか。。
キャスターという仕事」国谷裕子著

ハルバースタムの警告「テレビが伝える映像は真実
であって言葉ではない。テレビが伝える内容は単純
で複雑なことは伝えません。複雑な政治問題や思想、
様々な行為の重要性について伝えることはできない」
「話の内容がどんなに大切でも映像のインパクトが
優先される。テレビは移り気で複雑なことは好まず」
「ジャーナリズムに携わる人間はテレビをいかに
賢く使うか毎日考えるべき」キャスターである私には
言葉しかなかった。「言葉の持つ力」を信じることが
全ての始まりであり、結論。一見「わかりやすい」
ことの裏側にある難しさ、課題の大きさを明らかに
して視聴者に提示すること、それこそがクロ現の役割。

多数派の流れを加速する「風向きの原則」。テレビは
パワーがあり、視聴者の「感情の共同体」に同化して
しまう危険性がある。だからこそ、反発はあっても、
きちんと問いを出し続けることが大事。

内田義彦さん曰く、「肝要なのは聞こえてくるように
聴くこと」「聴に徹しながら聞こえてくるのを待つ」
その人全体が発するメッセージを丁寧に聞くチカラを
見失ってはならない。

国谷さんの高倉健さんへのインタビューで高倉健曰く
「いい風に吹かれていたい。あんまりきつい風に吹か
れていると、人に優しくなれない。だから、いい風に
吹かれるには、自分が意識して、いい風が吹きそうな
所へ自分の身体とか心を持っていかないと、じっと
待ってても吹いてきませんから、吹いてこないという
のがこの頃わかった」沈黙の17秒は自分が話すべき
言葉を探している時間だった。

しつこく聞く。問題の本質に迫るためには、あえて
問うべきだと思う。もう一歩踏み込んで、さらに深く
話してもらうには、情熱としつこさに掛かっている。

日本の中には多数意見と異なるものへの反発や多数
意見への同意、あるいは同調を促す「同調圧力」と
呼ばれる空気のようなものがある。日本が自信を
失いかけている時に、より一体感を欲する。それは
非常に危険。本来同調圧力に抗すべきメディアまで
同調圧力に加担していないか。テレビが報道の持つ
危うさの1つとしての「感情の一体化」を進める。。

聞くべきことをきちんと聞く。小さな街のアップル
パイコンテストで優勝した作ったおばあちゃんにも
添加物を使わなかったかどうかをきちんと聞く、
日本で出来るか!?問題の複雑さを切り捨てて
「わかりやすさ」ばかりを追い求めていないか。
テレビ報道の抱える危うさを意識しながら、問いを
出し続けなければならない。

弱い立場の人間が発する「暗いつぶやき」。
日本全体に広がる「暗いつぶやき」をどこまで拾い
上げていけるかが報道の役割。現代の根底に潜む
新しい事象を見出し、拾い上げ、出来ることなら
新たな言葉により定義していき、そこに流れる問題
意識の共有化を視聴者とともに果たしていきたい。
苦しむ人々の生活のディテールにいたるまで一生
懸命に想像することが出来るかが問われている。

柳田邦男さんの若者たちへの8ヶ条。
①自分で考える習慣をつける。立ち止まって考える
 時間を持つ。感情に流されずに論理的に考える力
 をつける
②政治問題、社会問題に関する情報(報道)の根底
 にある問題を読み解く力をつける
③他者の心情や考えを理科視するように努める
④多様な考えがあることを知る
⑤適切な表現を身に付ける。自分の考えを他者に
 正確に理解してもらう努力
⑥小さなことでも自分から行動を起こし、色々な
 人と会うことが自分の内面を耕し、人生を豊かに
 する最善の道であることを心得、実践する。特に
 ボランティア活動など、他者のためになることを
 実践する。社会の隠された底辺の現実が見える
⑦現場、現物、現人間(経験者、関係者)こそ
 自分の思考力を活性化する最高の教科書である
 ことを胸に刻み、自分の足でそれらにアクセス
 することを心掛ける
⑧失敗や壁にぶつかって失望しても絶望することも
 なく、自分の考えを大切に地道に行動を続ける

情報の根底にある問題をどう読み解き、どう主体
的に考え、どう表現していくかという課題への
チャレンジの仕方への1つのモデル、、、

プロ野球・二軍の謎」田口壮著

プロ野球の二軍監督は会社で言えば中間管理職。
勝利とともに育成が求められるのが二軍の特徴。
また、怪我から復帰途中の一軍選手が調整をする
ための場でもある。

選手のパフォーマンスは、僅かなアドバイスでも
揺れ動く。指導する側が「同じことをする」
「同じ方向に進ませる」という2点を徹底し
なければならない。そのため、監督・コーチが
情報を共有し、選手全員と確認され、教える側の
スタンスも統一され、選手の戸惑いを少なくする
ことが大事。選手が孤独を感じないように、
ちゃんと見守られてると理解してもらうこと大事。

きっちりと自己を確立し、相手と勝負する強い
気持ちを植えつけるにはどうしたら良いか、が
二軍監督としての課題。気後れせず目の前の
チャンスに前向きな気持ちで向き合えるか、その
ために必要な自信を持てるかどうか、どれだけ
成功体験を積み上げられるか、が二軍の指導者の
一番大事な役割になる。

僕にとっての「当たり前」は必ずしも当たり前
ではない事実。指導者としての「当たり前」が
選手にとってそうとは限らない。常に心に置いて
おかなければならない、とか。

選手も強く言えば言うほど理解する、という
ことはない。理路整然と説明して、選手を納得
させていくかが大事。要因があって結果がある。
筋道を立て相手が納得するよう淡々と話すこと。
1つひとつの作戦には必ずなんらかの理由づけ
がある。言い訳をせずに監督として、すべてを
受け止める肝の太さが必要。常識的にはこう
だけれど、あそこではこういう狙いがあったと
意図を明確に説明することが大事。ただし
相手が本当に納得しているかどうかの確認必要。
言われる側には言われる側の気持ちや言い分が
ある。ほんの少しのガス抜きやフォローなど、
腐らずに前を向くエネルギーを生み出すことも
必要だとか。また誰かに説明するということは
自分の中にある理論を確認する大事なこと。

いかに若手の思考を理解し、受け止め、盛り
上げていくか。それは野球というツールを
超えたミッション。プロ野球選手になること
がゴールではなくプロ野球選手であり続ける
ことこそが目指すべきこと。

個人的に改善しなければならないことは
「鉄仮面」「無表情」それと「瞬発力のなさ」
だとか。瞬時に判断して動く、頭の瞬発力。
状況に応じた選手の起用やサインなど、決断
しないといけない時に、あれこれ考えすぎて
しまうところを改善しないといけないとか。

言ってはいけない」橘玲著

人は幸福になるためにいきているけれど、幸福に
なるようにデザインされているわけではない。
「現代の進化論」、身体だけでなく人の心も進化
によってデザインされた。

一般知能はIQによって数値化できる。知能の
良し悪しは7~8割は遺伝で説明できる。どう
努力しても頑張っても出来ない人がいるという
存在を認めないから不登校や学級崩壊が多発する。

相関関係があるからといって因果関係があるとは
限らない、というのは統計学の基本。

親の免許制:親のよき行動は子のよき行動を導く。
学習障害を持つ人たちへの差別で問題となるが、
それでも安全な社会を求める人々の要求のほうが
強ければ、将来このような制度が導入されても
不思議でない。

私たちの日常的な判断は視覚(見かけ)に大きく
依存している。容姿・美貌、美しさの基準はある種
普遍性があるという。顔の対称性と肌のなめらかさ
体型ではウエストのくびれだとか。この標準的な
理論は遺伝子を残すための投資効率よく進化論的に
合理的になされる。男性の場合は外見以外にも
社会的な地位や権力、資産に魅力を感じるため、
不細工な男性も努力によってハンディを乗り越え
られる、結果、女性だけが美しさの呪縛に苦しむ。

経営者の顔と会社の業績相関。①③は正確に予測。
①力:CEOの能力、統率力、顔の成熟度
②温かみ:CEOの好感度、信頼度
③リーダーシップ:巧みに会社を運営できるか

男と女は生まれながらにして違っている。男と
女は別々のものを見ている。男女共同参画などと
言われるが、男は物を相手にした仕事を、女は
ひとと関わる仕事を好むと言われ、男女の志向の
違いが(男性中心主義的な)環境ではなく、脳の
遺伝的・生理的差から生じることを示す。男らしさ
や女らしさは進化が生み出した脳のプログラム。

最新の遺伝子学は脳科学の知見は、男と女で生まれ
つき幸福の優先順位が異なることを示唆している。
男性は競争に勝つことに満足を感じるが、女性の
場合、家庭と切り離されると人生の満足度が大きく
下がってしまう。

男女平等は男子と女子を同じように扱うことで、
共学で同じ教育をすることが正しいと考えてたが
性差が生得的なものであるならば、男女平等の
社会をつくるためにこそ、男子と女子を別々に
扱う必要があるかもしれない。

わたしは、遺伝と環境によって「わたし」になる。
子育ては子供の人格や能力・才能形成に関係ない。
子供は親の思い通りには全然育たない。人生は
もともとそういうものだ。。

リベラル=憲法に表現の自由が定められてるのは
人が嫌がる言論を弾圧しようとした過去の反省に
よるものでない。不愉快なものにこそ、語るべき
価値がある。。。


笑って、泣いて、考えて。」永六輔の尽きない話
さだまさし著

有名になって、お金を稼いで、美味しいものを一杯
食べる。そんなところに永六輔は幸せを見出さない。
贅沢せず、我慢せず、ただ美味しいって言って食べる、
それを幸せだと思っている人。

神様は何かを持っている人には何かを削る。何かに
偏れば、何かが必ず削られる。その代わり、そんな
欲のない人には神様が別の何かを足してくれる。
永さんは、そう言う意味で足された人、選ばれた人。

憲法は分かり易いのが良い。野坂昭如が言うように
「二度と飢えた子どもの顔は見たくない」とか。
難しい言葉で言うよりも。

大の天邪鬼でいて、人一倍の照れ屋。。。


いろんな物事を知るハウトゥ..いろいろと(^ω^)

公式ストレッチポールBOOK
日本コアコンディショニング協会監修

コア(体幹)いわゆるインナーユニットをコンディ
ショニング(調整)することで、日常生活において
不調を予防し、改善や美しい体づくりを助ける。

ストレッチポールの効果は筋肉を緩め骨格を整える。
呼吸を深くして脳をリラックスさせる。ベーシックな
動きは、床みがき・肩の上下運動・鳥の羽ばたき・
つまさきバイバイ・ひざ緩め・ゆらゆら運動・自然
呼吸の7つ。イスを使ったひめトレは5つの基本的
動きがある。ベストポジション探し・シッティング
ツリー・シッティングバード・シッティングシェイプ
ブレス・ツイストブレス。いずれも重要コンセプトは
自分の体を自分のチカラで「緩め」「本来の姿勢」
「整える」。自分の健康を自分で作るセルフコンディ
ショニングする、自分の体の状態へ気づきを持つ、
健康づくり・体づくりを人任せにするのではなく、
自分自身で守るということを意識すべし、とのこと。

今日から成年後見人になりました
児島明日美、村山澄江著

後見人のお仕事は大きく分けて2つ。
本人のために適切な財産管理を行う【財産管理】と、
本人にい環境であるよう配慮する【身上監護】

最初の仕事は財産調査・収支計画作成・裁判所への
初回報告・生活費の確保・各種届出。次に、日常の
仕事として、財産(預貯金・現金)管理・身上(
医療・介護・居所・施設)監護・裁判所への定期
報告がある。特別な仕事としては、施設への入所・
遺産分割協議への参加・不動産の売却や賃貸や
リフォーム・確定申告・法律行為の取り消し・登記
事項の変更があり、本人の死亡により後見は終了。

後見制度の基本的な理念は、自己決定権の尊重・
身上配慮義務・特別扱いをしない、という支援・
サポートであるということ。

医学的判定=鑑定を行うのは原則。医師へ支払う
鑑定費用は予め家庭裁判所へ納める(5~15万円)。
また、後見人は報酬を受け取ることができる。家庭
裁判所が審判で決定する。

おひとりさま時代、任意後見制度もある。自分が
元気なうちに契約で、将来自分の後見人になって
くれる方と、予めお願いする内容を決めておくこと
(法定後見制度もあり)。


生産技術の実践手法がよ~くわかる本」菅間正二著

国民経済および国民生活の基盤の強化に相当程度寄与
する技術(基盤技術)や、ある企業の事業の柱となる
技術(固有技術)、ある製品やシステムを開発・生産
または運用するのに必要となる個々の基本的な技術(
要素技術)の存在がモノづくりの推進には不可欠。そ
れを整理し、発展させるのがメーカーの責務。。。

生産に不可欠な4MとQCD。アウトプットである
製品だけでなく、インプットである生産の4Mにも
QCDが求められる。大量生産から多種少量、変種
変量、混流生産と管理精度や手法が高度化するに従い
自動化・少人化・多能工化への対応が必要となり、
日進月歩 着実な進化が必要。。。

その中で生産技術が行うのは、生産システムを
「構築」し「維持・向上」させ法令・環境対応など
「社会へ整合」を図ること。そのテーマとしては、
品質向上・生産性向上・コスト低減・安全性向上・
環境負荷低減・資産の有効活用/スリム化・コン
プライアンス対応などがある。

生産技術と製造技術は厳密には違う。設計・製造の
中間にある生産技術は、設計と生産現場をつなぐ
技術で、生産の4Mや生産システムをうまく使い
こなす管理技術や現場技術とは異なる。生産技術は
設計品質(ねらいの品質)を確保するためのもので
あり、適合品質(できばえの品質)を確保するのは
製造技術である。

生産技術は生産設備が担う部分が多く、安全性を
ベースに、工程能力・保全性・信頼性・柔軟性を
具備しなければならない。
(設計段階で盛り込まれるべき)

生産技術は世の中の変化に従って、生産設備も
手作業から半自動、全自動、複雑化している。
電気制御技術の進化にも伴って、オン/オフ制御
から簡単なリレー、PLC制御、NC/CNC制御
などコンピュータ数値制御へと進化している。

トヨタ生産方式
<4手段>JIT・自働化・少人化・創意工夫
<8方式>かんばん方式・平準化・段取時間短縮・
 作業標準化・機械レイアウト・改善活動と提案
 制度・見える化・機能別管理方式
<ステップ>意識改革→5S→流れ生産(1個流し
 生産)→平準化→標準作業→JIT=より少ない
 在庫での生産(原価低減)
 ※後工程が使用した分だけ前工程から引き取る。
  前工程は引き取られた分だけ生産する(原則)

セル生産
労働集約型で比較的小物製品を多能工が作る生産
体制。簡易設備を使い、作業者の知恵やアイディア・
やる気で生産性向上やリードタイム短縮、在庫削減・
原価低減を図る生産方式。生産量と部品点数に従い、
1人セル生産、分割セル生産、リレー式セル生産を
使い分ける※工程数が多く資本集約型設備で単能工
が行う流れ生産に対して

同期生産
レイアウト改善を行い、より少ない工数で生産する。
改善で検査工程を少なくするのが基本。サプライヤー
や後工程を含めて生産時間を一致させる

混流生産
生産順番がバラバラでも対応できる高度な生産方式。
混合に平準化を加味。

いろんな生産方式があるが、製品の要求仕様に応じ、
機能別設備配置や直線/U字/二の字、大部屋、
セル生産などラインのレイアウトを考える。

生産前品質保証活動は重要。生産工程における故障
発生の原因やメカニズムを追求して未然防止を図り、
保証すべし。発生頻度や厳しさ、検出の難易度を求め
評点化し、危険優先度を算出して対策を進め、予測
されるトラブルを未然に防止すること。

合理的なレイアウト構築
一定方向に、交差させない。運搬をスムーズにし、
かつ間締めして短縮。また仕掛は置けなくする。
作業者の距離感を図り、助け合い出来るように。
(P-Q、流れ、相互関連、スペース設定、その
相互関連)SQCDM

効率的設備投資は、回収期間法やROI法、DCF
法などで判断すべし。生産能力の増強・設備更新・
合理化・技術革新・ほか(安全等)の種類あり

設備の4Sとは、シンプル・スモール・スムーズ・
スリム。これを念頭に設備仕様を作成すべし。その
時に、標準作業と標準時間の設定が必要。。工程
分析と時間研究、動作研究のもと、PTS法などに
より必要時間を設定し、稼動分析をすべし。

蓄積した技術・ノウハウを有効に活用するために、
生産技術担当者は技術・ノウハウの見える化を行い
技術化すること。作業上の暗黙知を形式知に置換。
経験は抽象化・一般化しデータベース化、マニュアル
化・標準化して社内技術標準とすること。カンコツを
数値化し、自動化・ロボット化すること。

使い勝手のよい設備とは、人に優しい設備
「作業がしやすく安全・安心な設備」
生産量低下の時こそ体質改善のチャンス

省エネ6つの着眼点
ヤメル、トメル、サゲル、ナオス、ヒロウ、カエル

工法開発の着眼点
生産性向上の阻害要因、編成効率、工数低減、環境
対策、スペース効率、生産リードタイム、段取時間、
工程能力、不良率、設備停止時間、歩留率

インダストリー4.0とは、第4の産業革命という
ことで、ドイツ政府が主導した産学官連携モノづくり
革新の国家プロジェクトのこと。IOT技術やCPS
をベースに、ビッグデータ等をインプットして、
インターネットでつなげたスマート工場など多種少量
や高付加価値をマスカスタマイズする流れ
(蒸気機関→電力→PLC=制御→IOT)



最後はまとめなく、とめどなく。。
あくまで個人の備忘としての記録
(画像はアマゾンより)



追伸:読んだ本、あと2冊ありました。興味深い本..

「民俗の記憶」篠原徹著

琵琶湖博物館の篠原館長の著作で謹呈いただいた作品。
「キオクのヒキダシ」というシリーズで相応しい作品。
琵琶湖周辺の営みを俳句から読み取るアプローチ。。。

琵琶湖と俳句を、文芸の眼を通した文化的景観としての
俳句を大景(造化:水の自然)、中景(労働と自然:
生命の水・農の水・漁の水・工の水)、小景(生活と
自然:生活の水)と体系だてて整理されている。

また、文化的景観の魅力と生活の質とで4象限で整理し
田園化(さやけし)・観光化(ぎらぎら)・都市化
(かさかさ)・貧困化(ぎすぎす)と分類しているなど
民俗学的なアプローチもなされている。

文化的景観は、ほとんど前近代の中で形成された。
前近代は「歩く世界」「記憶する世界」に対し、近代は、
「乗り物の世界」「記録する世界」ということで、その
前提から見え方が異なるようで、例えば、工に関しては
工の姿が自然の中に融解するのが前近代の特徴とか。

自然と人事の双方を含む「造化」を「歩く世界」での
自らの観察と伝承を一行知識として「記憶」する知と
感性のありかたこそが、俳諧の世界の骨法、とのこと。

いわゆる、わび・さび・細み・しおり・軽みなどを感じる
俗事・俗情の場面が俳諧の世界。

京に従属する近江に関する話も幾つか。。。
滋賀の銘茶、土山茶・政所茶・朝宮茶は、茶の競争環境
から、例外的に開催のお茶・宇治茶として扱われたとか。
また、鄙(近江)に住むものにとっては、夕日の比叡山は
遠望できても、その向こうの都(京)は見えない。その
距離こそが「ひろやかな空間」を「はるかな時間」に
変換し、憧れという思いを人に抱かせるのだとか。。。

また酒や醤油、高級和菓子の羊羹は幕府を開いたばかりの
田舎の関東にはできなかったので「下るもの」として上方
から東下りした。京都の御所前にあった「虎屋」が東京
遷都に伴って天皇と一緒に関東に進出したのは本当らしい。
関東で自前でできたのは煎餅くらいで、こうしたものは
「くだらないもの」ということらしい。

饂飩と蕎麦。
蕎麦はたびたび夏の季語として登場するが、饂飩はあまり
俳句には出てこない。冷麦や素麺などが登場するが。。。
季節感が感じられるのは田舎の

滋賀の代表的な食品「ふなずし」。ふなずしの食の旬は
桶を開けて食べはじめると考えるのが普通。ふなずしは
塩漬けと飯漬けの二段階があるため、ニゴロブナの多産な
時期とはズレているとか。ニゴロブナは3~5月にかけて
湖岸に近寄るノッコミ直前の時期に小糸網で捕獲される。
(ヨシ帯や川岸の抽水地帯、水田などへ産卵のため遡上)
季節でいえば春。一方、加工食品としての季語は夏。。。
近世の滋賀以外では、冬を経て腐りやすい時期に魚を食べる
ものの存在していて季語と生活感覚は一致していたとのこと。

滋賀ではふなずしを作る。その形態は「商売のふなずし」
「漁師のふなずし」「農家のふなずし」の3つがある。
漁師は浮き袋などの内臓をえらから抜き取る壷抜きから行う。
商売や農家は前工程が処理されたものから、ふなずしを作る。
壷抜きされたものを、塩切り(塩漬け100日)飯漬け
(土用のころ塩抜き水洗いして飯に100日漬ける)を経て
12月~正月にかけて桶を開けて食べはじめる。最初に
開けたふなずしは、いわゆるハレの日のご馳走であったり
年末の歳暮に使われる。大量に漬ける人は2年もの3年もの
も持っている。塩抜きせずに、琵琶湖に漬けたまま、という
水の切り方もあるとか。

献上される「儀礼のふなずし」もある。彦根や京への献上品
ということで、盆正月の進物として現在にも残っている。

商売のふなずし:大津(起源は阪本屋)・今津・海津・
        長浜・彦根・近江八幡
漁師のふなずし:沖島・朝日・磯田(彦根)・長浜・
        高島・堅田・南郷水産センター
農家のふなずし:日野や多賀、彦根などの鈴鹿山麓の農家

ふなずしの原初は東南アジアの大陸部の発酵文化でナレ
ズシの起源。作り方は二段かに分かれておらず期間も短い。
滋賀では、それが作り手の創意によって洗練されてきたとか。

1972年からはじまった琵琶湖総合開発は戦前から
はじまった琵琶湖内湖干拓に終止符を打ち、湖岸の水田と
琵琶湖は完全に流路を遮断され、魚たちの生活史が破壊され。
魚に限らず琵琶湖水域の生物多様性や人々の生活にとっても
重大な価値が損失した。

芭蕉や蕪村など俳諧の人たちは自然観察眼が鋭い。
また生活など背景もしっかりと飲み込んだ上で詠んでいる。

造化(自然と人事)の観察。それを経験地として一行知識に
落とし込んでいる。人事に関するものは生活の規範として
ことわざへ生活の知恵は自然暦や動物の俗信へ、感性は俳句
へと描かれ、経験知が残されていく。
自然の本質に迫ろうとする貪欲までの気概が、歩く・見る・
聞く・話す・飲む・食べるということも通じて、しっかりと
フィールドワークがなされ、自然のうつろいと人生の移ろい
が重なった感性が一行知識として描かれているとのこと



「ゾウがいた、ワニもいた琵琶湖のほとり」高橋啓一著

360万年前に琵琶湖がまだ伊賀市にあったころ、湖の
ほとりで水を飲んでいたゾウの姿は、今は想像できない。
3万年前までは琵琶湖のほとりにゾウがいたし、琵琶湖の
南端にある5千年前の縄文時代の遺跡である粟津貝塚からは
たくさんのシカやイノシシの骨が出てくる。湖の近くには
そうした動物が多くいた。。いつからかというよりも、
絶えず移り変わっていた。

ミエゾウの時代、アケボノゾウのいた古琵琶湖時代、
そしてムカシマンモスゾウ、トウヨウゾウ、ナウマンゾウ
ときて。。。

350万年前までの温暖な時期、その後の寒暖の変化を
伴いながら寒冷化、そしておよそ70万年前からはじまる
10万年周期の寒暖の大きな波。そうした中で、植物や
動物たちは絶滅や進化を繰り返しながら現在の姿になって
いった、とか。。。
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