夜勤、やはりうまく動けず。。。。
ストレスたまり、関吉の疎水溝で癒されたい!と思ったとき、マリからラインが☆
んで、そのまま誘い、明けで寺田展望台へ。そこでランチして、その時であったご夫婦に吉野公園で桜が咲いてるって教えてもらい行ってみることに♪でもその前に、せっかく世界遺産ということで寺田炭窯後へ。そしたらそこでおっちゃんが人数確認してて、他に誰もいなかったから、歴史とどれくらいすごいか話してくれた☆
寺田炭窯後、八幡製鉄所とか釜石の製鉄所のお父さんらしい!!
話は島津斉彬がどれだけすごいかから始まる。
鎖国をしていた日本で、斉彬は日本も植民地にされるかもしれないという外国の脅威を知っていた。鹿児島が最南端で江戸から遠く海に面しており外の情報が入りやすかったらしい。台湾とか中国(秦)とか近かったとか。そして、生麦地方での久光と外国の武将との衝突をきっかけに薩英戦争へ。その戦争は引き分けだったらしいのだが、その戦争をきっかけに。イギリスは日本を植民地にしようとしていたが大砲で応戦した薩摩をみてあきらめた。(こんなに大砲もあるような国だとは!)斉彬は、世界の大砲のすごさを知った。(薩摩の大砲の飛距離は1KM、イギリスのは4KMだったらしい。)そこで、リスペクトしあったイギリスと薩摩。薩摩からイギリスへ薩摩藩士が19人留学した。その中に例の五代様もいたらしい笑そうして、紡績所などの技術を持ち帰った。
そして、今回の明治維新の世界遺産登録、何がすごいかというと。イギリスやヨーロッパでの産業革命は100年?150年?かかってるらしい。しかし、それと同じくらいの革命を日本は50年程度で行ったんだって!それがすごいことだとイコモスさんが調べてくれた結果今回の世界遺産登録となったらしい。そのスタートが島津斉彬だったとさ。
彼は、殿様?藩主?となっていた期間は実際7年程度なんだって。なのにこんなにすごいと語り継がれるなんて。スゴスギ!!
そして、戻って炭窯。鹿児島には適した木がなかったけど、島津久光が和歌山に勉強に行き、上手く熱を入れる、高熱に耐えられる炭を作ることに成功したんだって。
関吉の疎水溝から磯庭園まで8KMの水路を作り、大砲を作るエネルギー源としたらしい。そうやって、磯庭園で登録されている反射炉で鉄・大砲が作られたとさ。
とても面白かった!!
思い付きで行った癒しスポットだったけど、出会った人にいろいろ聞けて。
寺田展望台→寺田炭窯後→吉野公園河津桜→関吉の疎水溝
最後に疎水溝で癒されて。帰りは眠くて仕方なかったけど笑。無事帰れたし。爆睡だったし笑
とにかく、桜も見れて、とても満足な癒しでした。
やっぱ鹿児島好きやねん