9.11以降のアメリカの愛国映画について、数年前に原稿を書いたことがある。
『ブラックホーク・ダウン』『エネミーライン』や『ワンス&フォーエバー』『パールハーバー』など、
普段あまり観ないハリウッド系の戦争映画を資料として連日見続けた。想像以上に身にこたえた。
まるで『時計仕掛けのオレンジ』の悪童アレックスが、殺戮映像を強制鑑賞させられるように…。
まあ“戦争映画”といってもピンきりだが、私はざっくり7タイプに分けて捉えている。
①昂揚プロパガンダ ②戦闘バイオレンス&武器礼賛 ③戦場ヒーロー&サバイバル
④戦争悲劇ロマンス ⑤戦争戯画・コメディ ⑥反戦・和解メッセージ ⑦戦争PTSD
(①~⑤はまとめて“戦争エンタテイメント”ともいえる。各タイプが複合化している場合も多々。
①~③は愛国映画が百花繚乱。⑥⑦は表現が非常に多彩でドキュメンタリーも多い)
先日、試写で観た『サラエボの花』は、“戦争PTSD”という切り口で
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争「その後」を描いた、ひとつの“戦争映画”だ。
といっても、映画には激しい戦闘シーンも、主人公のシングルマザーが戦中に収容所で受けた
屈辱の日々も、具体的な回想映像としては一切描かれていない。
ただ彼女が時おり見せる男性への嫌悪と恐怖の眼差しに、言い知れぬトラウマの深さが垣間見える。
映画の舞台はサラエボ。1984年にサラエボ冬季オリンピックが華やかに開催されたその街は、
わずか数年後には壮絶な民族紛争の舞台に変貌した。1995年にはNATOの空爆も行われ、
他国介入で和平合意に至ったが、その犠牲は少なくなかった。死者20万人、難民200万人以上。
敵民族の女性に敵民族の子供を産ませるという暴力も組織的に行われたという。
私はちょうど同じ頃、何度かイタリア旅行をしている。サラエボはイタリア半島のすぐ対岸。旅先で目に
するTVや新聞にはいつも、ボスニア内戦のNEWSが日本のメディアよりずっと大きく取上げられていた。
主人公のシングルマザーの娘は、自分の父が殉教者であることを誇っている。が、その顔は知らない。
なぜなら彼女は、母が収容所時代にセルビア人に強制的に産ませられた私生児だから。
母の深いトラウマの要因は、母のかけがえのない愛の対象でもあるのだ。
母はすべての幸と不幸を受け入れている。身を裂かれるような戦慄を乗り越え、自暴自棄に荒れたり
自虐に暮れたり 敵を糾弾することもなく、娘を育てながら日々黙々と働き、生きている。
そこには、ただ涙を誘うだけで想像する余地のないメロドラマ的な演出は介在しない。
ゆえに、観ている者は激しく心を揺さぶられる。
紛争当時はサラエボから100mの地域に住む十代の娘だったヤスミラ・ジュバニッチ監督は云う。
「私は“日常”というものに魅了されている。でも、“戦争”と比べると、それ自体は平凡で、
陳腐ですらあるかもしれない。それでいて、日常が崩れてしまうと、人間の感情が司る、
現在、過去、未来はすり抜けていってしまう。
成長し、前へ進んでいくための果てしないパワーをボスニア・ヘルツェゴビナの社会は必要としている」
から元気のような妄想的ポジティブシンキングではなく、
地に足のついた日常の積み重ねの先にしか、未来は広がって行かない。
憎しみの連鎖が招く戦争の火種を消すのは、そんな“日常”への愛なのかもしれない。
残酷なトラウマからの再生について、深く考えさせられた映画だった。
賞と映画の価値とは別物だが、2006年度ベルリン映画祭金熊賞も受賞。
岩波ホール創立40周年記念作品第1弾として、来月12月1日からロードショーが開始される。
岩波ホールでは今夏、米の日系三世が撮った秀逸なドキュメンタリー『ヒロシマ ナガサキ』も観たが
『サラエボの花』同様、岩波ではいつも世界中の人に観てもらいたい映画を上映している。
ぜひ、ひとりでも多くも人に足を運んでもらいたいと思う。
ちなみに、娘役を演じたかわいいアクトレスの名はルナ(!)・ミヨヴィッチ。
劇中、母から出生の秘密を聞き、父に似ていると以前言われた髪を自ら剃って丸刈りになった。
初映画とは思えない存在感と目ぢから。ルナつながりで光栄です(笑)。
『ブラックホーク・ダウン』『エネミーライン』や『ワンス&フォーエバー』『パールハーバー』など、
普段あまり観ないハリウッド系の戦争映画を資料として連日見続けた。想像以上に身にこたえた。
まるで『時計仕掛けのオレンジ』の悪童アレックスが、殺戮映像を強制鑑賞させられるように…。
まあ“戦争映画”といってもピンきりだが、私はざっくり7タイプに分けて捉えている。
①昂揚プロパガンダ ②戦闘バイオレンス&武器礼賛 ③戦場ヒーロー&サバイバル
④戦争悲劇ロマンス ⑤戦争戯画・コメディ ⑥反戦・和解メッセージ ⑦戦争PTSD
(①~⑤はまとめて“戦争エンタテイメント”ともいえる。各タイプが複合化している場合も多々。
①~③は愛国映画が百花繚乱。⑥⑦は表現が非常に多彩でドキュメンタリーも多い)
先日、試写で観た『サラエボの花』は、“戦争PTSD”という切り口で
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争「その後」を描いた、ひとつの“戦争映画”だ。
といっても、映画には激しい戦闘シーンも、主人公のシングルマザーが戦中に収容所で受けた
屈辱の日々も、具体的な回想映像としては一切描かれていない。
ただ彼女が時おり見せる男性への嫌悪と恐怖の眼差しに、言い知れぬトラウマの深さが垣間見える。
映画の舞台はサラエボ。1984年にサラエボ冬季オリンピックが華やかに開催されたその街は、
わずか数年後には壮絶な民族紛争の舞台に変貌した。1995年にはNATOの空爆も行われ、
他国介入で和平合意に至ったが、その犠牲は少なくなかった。死者20万人、難民200万人以上。
敵民族の女性に敵民族の子供を産ませるという暴力も組織的に行われたという。
私はちょうど同じ頃、何度かイタリア旅行をしている。サラエボはイタリア半島のすぐ対岸。旅先で目に
するTVや新聞にはいつも、ボスニア内戦のNEWSが日本のメディアよりずっと大きく取上げられていた。
主人公のシングルマザーの娘は、自分の父が殉教者であることを誇っている。が、その顔は知らない。
なぜなら彼女は、母が収容所時代にセルビア人に強制的に産ませられた私生児だから。
母の深いトラウマの要因は、母のかけがえのない愛の対象でもあるのだ。
母はすべての幸と不幸を受け入れている。身を裂かれるような戦慄を乗り越え、自暴自棄に荒れたり
自虐に暮れたり 敵を糾弾することもなく、娘を育てながら日々黙々と働き、生きている。
そこには、ただ涙を誘うだけで想像する余地のないメロドラマ的な演出は介在しない。
ゆえに、観ている者は激しく心を揺さぶられる。
紛争当時はサラエボから100mの地域に住む十代の娘だったヤスミラ・ジュバニッチ監督は云う。
「私は“日常”というものに魅了されている。でも、“戦争”と比べると、それ自体は平凡で、
陳腐ですらあるかもしれない。それでいて、日常が崩れてしまうと、人間の感情が司る、
現在、過去、未来はすり抜けていってしまう。
成長し、前へ進んでいくための果てしないパワーをボスニア・ヘルツェゴビナの社会は必要としている」
から元気のような妄想的ポジティブシンキングではなく、
地に足のついた日常の積み重ねの先にしか、未来は広がって行かない。
憎しみの連鎖が招く戦争の火種を消すのは、そんな“日常”への愛なのかもしれない。
残酷なトラウマからの再生について、深く考えさせられた映画だった。
賞と映画の価値とは別物だが、2006年度ベルリン映画祭金熊賞も受賞。
岩波ホール創立40周年記念作品第1弾として、来月12月1日からロードショーが開始される。
岩波ホールでは今夏、米の日系三世が撮った秀逸なドキュメンタリー『ヒロシマ ナガサキ』も観たが
『サラエボの花』同様、岩波ではいつも世界中の人に観てもらいたい映画を上映している。
ぜひ、ひとりでも多くも人に足を運んでもらいたいと思う。
ちなみに、娘役を演じたかわいいアクトレスの名はルナ(!)・ミヨヴィッチ。
劇中、母から出生の秘密を聞き、父に似ていると以前言われた髪を自ら剃って丸刈りになった。
初映画とは思えない存在感と目ぢから。ルナつながりで光栄です(笑)。