幼い頃は男の子になりたかった。
人形やぬいぐるみよりもマイグローブ、マイバットをせがみ、海では発泡スチロールのいかだをつくって男の子とともに出航した。スーパーで男の子に間違われると「してやったり」という気分だった。
そんな私が立ちションに憧れたのは当然だったと思う。
外でもお風呂でも試みたが成功したことは一度もなかった。当たり前だけど。
前に飛ばずにダラダラと足を伝うおしっこは、屈辱的ですらあった。
大学の時、サークルの合宿で、川に面した露天風呂から男子学生が並んで立ちションしたと聞いた。女子学生はみんな「やだ~~」と言った。私は一人だけ「いいな~~♪」と声を上げた。
まだ誰もいない早朝のイグアスの滝でトイレを探す夫に「そこからやればいいじゃん」とけしかけた。欄干に立つ夫。背中に壮大な滝のしぶきを浴びながら、100メートルも下の水面にめがけて立ちションする。大自然に自分の一部を溶け込ませたようで、心底うらやましかった。
ずっと憧れていた立ちションをついに疑似体験できる日がやってくるとは夢にも思わなかった。
息子がトイレでおしっこできるようになった頃。うしろからこぼさないように両手で支えた。
「おーーーっっ、これは夢にまで見た立ちションではないか!」
感激した。
佐藤賢一さんが連載していた新聞の育児エッセイで、「異性の子どもを育てることは違う性を生き直すようだ」「それはまるでファンタジーだ」と書いていた。
本当に、その通りだと思う。
私から生まれた男たちは、私ができなかったことをやってのける。
棚からふとんに宙返りした時は「あぶない!」とも「すごい!」とも言えず、ただただ絶句した。
男兄弟のエネルギーに泣けそうになることも多々(というか、毎日)。
そんな時は、ヤツらのおかげでファンタジーを生きられるんだ!と、自分を励ましている。
これからもガンガン行けよキミたち!母ちゃんは応援してるぜィ!