『禁じられた遊び♪』

2005~2007年に発信していたブログの保存用です。
『赤土に咲くダリア』&『red』が生まれました。

27 グッバイ いちご組!

2006-03-24 23:45:20 | こども

 今日は長男の幼稚園の終業式だった。年少いちご組が無事終わった。
 1年間お世話になった担任のまり先生が退職されることになり、終業式後、先生にお花を渡し、父母も交えて写真撮影を行った。まり先生が涙した時にはやっぱり私も泣けてきた。若くてかわいいまり先生は入園する前から息子のアイドルだった(パパたちにとってもアイドルだった)。息子にとってステキなお姉さんという存在、園ママ一年生の私にとっても時にお姉さんのように頼もしく接してくれた。

 年間通じて、息子はほんっとうによく泣いた。年少児の中で間違いなく「一等賞!」の泣きっぷりでホトホトまいった。

 初めてのバス通園日。ノリノリで家を出てチューリップに挨拶する余裕すら見せていたのに、バスが来た途端泣き出し、くちゃくちゃな顔して乗っていった。 なんだか切なかった。二日目はバスが来た途端ぐるりと向きを変えて逃亡しようとした。無理やり乗せて手を振りながら、オロオロと落ち着かず、私まで泣けてきそうになった。先生や園のおかげで最初の泣きはすぐおさまり、それ以来出発前にぐずることは一度もなく毎日楽しく通っていたが、参観日や行事ごとで私が園に行くと甘えが出るのか毎回泣いた。

 うちの息子に限らず、春に泣くのがおさまったからといってその後もOKというわけではない、というのは発見だった。とにかく、男の子がよく泣いた。夏のプールの頃はRくんやHくんが、運動会の頃はSくんが泣いていた。その子その子の波があるようだし、またよく伝わっていった。運動会の練習の時、一番大きい旗手のSくんが泣けて旗が持てず、二番目に大きなHくんも三番目のうちの息子も泣けてムリで、とうとう四番目のYくんが持ったと聞かされた時は爆笑した。その後みんな立ち直っていったというのに、秋頃からはうちの息子の独壇場だった。

 月に一度の自由参観日に行くと、帰り際に泣く。「ママが帰っちゃイヤ~~!!」ふだんは「お母さん」で「ママ」なんて呼んだこともないのに、「ママがいい~~」を連発する。「給食までいて」とせがまれ、園児と並んでうどんをご馳走になった時もあった。私がいる限り甘えて泣き続けるということが分かり、その後はさっさと振り切って帰るようにしたが(去ればケロッと泣き止む)、それにしても行くたびに1人だけ激しく泣くのはたまらなかった。It's his performanceってことだけどね・・・。動き回る次男を抱え、いつ泣き出すか分からない長男を励ます作業はけっこうたいへんで、私はいつも汗だくだった。
「あのお母さん、いつもたいへんそうだよね~」とみなさまから半笑いと同情を買っていたに違いない。イケニエはいつも私たち親子だった。関西出身のいつもおもろい母ちゃんからは「ダンナもまーくんが泣くの楽しみにしてるで~!」と言われ、泣き顔の写真をもらった。
 11月のお遊戯会では上手に踊れるかとかはどうでもよくて、「とにかく泣かずに舞台に立ってくれ!」と、祈るような気持ちだった(ギリギリセーフだったが、後で泣いた)。

 そんな息子も最後の最後、2月3月の参観日にはようやく泣かなくなった。1月の参観日の時は「バイバイしたのにお母さんがバイバイしてくれなかった」のが泣いた理由だったので(ま、様々な理由を毎回でっちあげるわけだが)、2月3月は、とにかく息子が振り向くたびにアホみたいに手を振ってアピールした。「大丈夫だよ、お母さんはここにいるよ!」(それにしても20回は振り向いた)。体力は人一倍あるくせに、本当に甘えん坊で情けなかったが、泣き虫は私にそっくりなので、しょうがないと思っていた。息子は体は大きいけれど1月生まれ。私自身2月生まれで背も一番小さく、保育園がイヤでイヤで毎朝泣いて母と先生をてこずらせた。足をバタバタさせて暴れる私を母が羽交い絞めで連れて行き、それを先生が体ごと受けとるといった日々(先生を蹴っ飛ばしたことも憶えている)。運動会のかけっこで転んで大泣きし、母が観客席から飛び出してきたこともあった。なので、泣き虫は仕方がないとは思いつつ、毎度毎度疲れた。
 
 そんな日々を越え、迎えた終業式。帰りの車を運転しながら、すがすがしい気持ちになった。
 ああ、色々たいへんだったけど、無事に一年終わったなあ。
 長男も、次男もそれなりに成長したよなあ。
 と、やわらかな感動に浸っていたのもつかの間・・・

 お昼ごはんを食べ、ふと見たらランドセルがない。
 ランドセル???
 家のどこを探してもない。車の中にもない。
 えー!?いったいどこに置いたんだろう?

 ふと、黄色いランドセルをしょって、ひょこひょこ歩く次男の姿が頭に浮かんだ。

 そうだそうだ! 帰りに園の近くの公園に寄った時、次男がランドセルを引っ張り出して背負っていたっけ。
 しかしその後、ランドセルがどこにいったか思い出せない(おそらく次男がどこかにポイッと置いてきたんだろう)。
 大事な連絡帳(まり先生との交換日記とも呼べる大事な思い出)も入っているのに。というより、あの連絡帳には「まり先生、倖田くみに似てますね。倖田くみとケツメイシのビデオ見て親子で踊ってます?」といった園とは関係ない我が家のバカぶりも書き込まれているというのに・・・。
 ううう~、名前や住所も書いてある。このご時勢、何か犯罪にでも使われたら心配だ。

 大慌てで子供2人引き連れ車に乗り、公園へ行って探してみたが見当たらない。
 緊張しながら園に電話をしてみると、、、
「ちょうど今、公園の見回りさんが持ってきてくれたところです」とのことだった。
 ふう~っ。。。
 ほっと胸を撫で下ろし、園に向かった。
 「本当にすみません!!」
 1時間ほどまえ、感動的にお別れしたまり先生とあっさり再会した。


 子どもを2人抱えていると、いつもいっぱいいっぱいで脳みそがにゅるにゅるとこぼれ落ちていくような気がする。
 横断歩道を渡るとか、すぐ走りたがる息子たちを制するとか、命を守ることに精一杯で、そこに「公園寄りたい」「あれやりたい」「おしっこしたい」とかが加わると、ランドセルのことなどこぼれ落ちていく(そんなでっかくて大切なもの、ふつうはこぼれ落ちないはずだけど・・・)。人一倍おっちょこちょいの私にとっては、とにかく、子どもの身を守るだけでいつも精一杯なんです。汗だくなんです。

 兄弟のワンパクぶりに私のドジがプラスされると、夜、大げさではなく足腰がギシギシする。
 年中になっても、泣き虫親子の失敗はつづくだろうけど、ありがたいことに、時が過ぎればその分成長する。
 子どもを持ってから、時が経つことを嬉しく思うようになった。
 命さえ無事に、なんとかその日その日が暮れていくように、親子でがんばろうと思う。