2011年東京夏の独りブラタモリ。 下町バスが停まっていた上野広小路のすぐ近くに、またまたこんな碑文がありました。 日本最初の喫茶店発祥の地、だそうです。
何でも明治21年(1888年)4月13日、この地に『可否茶館(かひさかん)』なる名前のお店ができたそうで、この少々意味不明の店名の読み方も、「かひさかん」の他に、「かひちゃかん」、「かひーさかん」、「かひーちゃかん」、「こーひーさかん」、「こーひーちゃかん」なんってのがあったということも書いてありました。 そのくらいCoffeeは日本人に馴染みのない飲み物だったのでしょうね。
しかもこの喫茶店、一階には『トランプ、玉つき、クリケット、碁、将棋』を揃え、二階の喫茶室は丸テーブル、角テーブルに籐椅子を備え、更には更衣室、化粧室、シャワー室、それにギャラリーのような部屋まで設けてあったようです。 庶民の為のお店にしてはかなりハイソな雰囲気。 サロンという言葉もありますが、パブリック社交クラブみたいなもんだったんでしょうか。
この碑自体、可否茶館が開かれてから120年後の平成20年(2008年)建立ってことなので、この界隈では埋もれた歴史の一つだったようです。 ロンドン野郎自身が知らなかったくらいですから。 でも、この当時の日本のコーヒーって、きっと豆の選別も保存も焙煎もまだ何も確立されてなくて、そんなに美味しいものじゃなかったと思うんです。 それでもお客さんは分かったような顔をしながら『これぞ舶来の珍味なり』とかなんとか言って黒い液体をすすったんでしょう。
ちなみにこの可否茶館、鳴り物入りで開店したものの今一つ流行らず、数年後には閉店してしまったそうで、今はビルの脇この碑がポツンと残るだけです。
それ以降はずいぶんコーヒー等になって、今でも、毎朝コーヒー飲んでますけど、当時の日本人は固いし新しい物をなかなか、感嘆には受け入れられなかったんではないでしょうか・・・残念な話ですね
下らん事を思い出したのですが、その昔マックが高校の近くの商店街に上陸した頃、何の変哲もない普通のハンバーガーが150円でした。 そのすぐ側のラーメン屋さんのラーメンも150円(時代が知れる!)。 当時のウルトラ貧乏高校生としては、やっぱりラーメンに軍配でした。 そういった意味ではマック安くなりましたよね。
そんなことはどーでも良いのですが、コーヒーは子供の頃は長らく飲ませてもらえませんでしたね。 美味しいと思ったのはいつの頃からなのか。 最近は結構頻繁にマックで朝マックのプレミアムローストです。